『米国で出てきた日本の専守防衛に異を唱える声 「日本の攻撃能力保持は東アジアの安定に寄与する」』(3/14JBプレス 古森義久)、『正念場に差しかかった憲法改正論議 吉田首相時代の防衛意識で日本の安全は保障できない』(3/13JBプレス 森清勇)について

3/17看中国<日美南中國海、東中國海軍演被指牽制中國(圖)=日米の南シナ海・東シナ海での軍事演習は中国の牽制と指摘される>海上自衛隊のひゅうが型護衛艦「いせ」は米原子力空母カールビンソンと3/11南シナ海で合同演習をした。いつ終わるかは明らかにしていないのと同時に、3/22に東シナ海で日米合同訓練をすると発表。「いせ」の乗組員は340~360人で対潜能力に優れている。去年11月、朝鮮半島にニミッツ、ロナルドレーガン、ルーズベルトと3艘の原子力空母の護衛に当たった。南シナ海での合同演習は去年6月以来である。去年の6月にはレーガンと準空母と言われる「いずも」と「さざなみ」が一緒に訓練した。高橋洋一教授は「南シナ海は日本の貿易の9割が通るルートであるし、自由な航行が妨げられれば米軍の活動にも支障をきたす」と。河野外相はインド太平洋戦略について触れ、「南シナ海の航行の自由の維持に対しての援助と海洋法治の重要性」について述べている。

https://www.secretchina.com/news/b5/2018/03/17/852996.html

3/17facebook朱雪琴<強徵視農民性命如蟻,随便踐踏,死者28歲是家里的頂粱柱,在合法維護自己的財產與利益時,被鏟土機來回碾壓,當場死亡。目視生命,草菅人命,共慘極權,都是些什麼人?喪盡天良,什麼傷天害理都敢去做。=強者は農民の生命を蟻のように軽く見て、自由に踏みつける。28歳になる死者は家の大黒柱で、自分の財産と利益を合法的に守ろうとしたら、ブルドーザーに押しつぶされ即死した。為政者にとって、人の生命は草のように軽く、人民を自由に虐殺できる。共惨党で強権発動できるのは、どんな人ですか?良心を失って、どんな極悪非道でもできてしまう。>

https://www.facebook.com/100017127274847/videos/210706446176930/

朱雪琴氏の記事を見ますと、中共と言うのは暴力団が国家を運営していると理解できます。官僚組織がグルになり、邪魔な人民は殺して、誰も罰せられず、金で解決しようとするものです。日本の左翼と左翼の言い分に乗せられている人に言いたい。「あなたはこれでも共産主義を信じますか?」と。日共、民進、立民、希望の党の言っていることは左翼or左翼シンパです。選挙の時には入れないようにお願いします。

中国は習・王体制で世界征服を目指そうとしています。暴力団国家に征服されるほど人類にとって不幸な出来事はありません。自由の敵から世界を守るために、日米が共同でこれに当たるのは当然です。日本の専守防衛の姿勢では相手が強すぎて守り切れません。国民の犠牲が膨らむばかりです。日本の野党はモリカケしか議論せず、日本の安全をお留守にしようと動いています。こんな連中をのさばらせれば、将来危機になった時に気付いても遅いと言うものです。

憲法改正して自衛隊を「国民を守れる」軍と位置づけしたいです。左翼は日本国民を少なくしたいから自衛隊が国民を守れなくしようと考え、行動しています。戦争になって日本人が殺された後に中国人が入って来て、共産主義で統治することを考えているのでしょう。敵の手に乗ることは愚かなことです。

古森記事

西太平洋上で日米合同演習に参加する(手前から)海上自衛隊の護衛艦「まきなみ」「いなづま」、米海軍のミサイル巡洋艦「バンカーヒル」、駆逐艦「プレブル」。米海軍提供(2017年11月12日公開、資料写真)。(c)AFP/US NAVY/Mass Communication Specialist 1st Class Michael RUSSELL〔AFPBB News

米国が中国の軍拡や北朝鮮の核武装への警戒を高めるにつれ、日本に対して防衛時の攻撃力を取得することへの期待が強まってきた。

2月に開かれた米国議会の大規模な公聴会では、米国の官民代表から、日本の防衛時の攻撃能力保持は東アジア全体の安全保障に大きく寄与するという見解が示された。日本の年来の「専守防衛」では現在の脅威や危機に十分に対処できないという認識の表明である。

日本の攻撃能力保持は「歓迎すべきこと」

「日本は従来の防衛のみの政策を変更して攻撃能力を保持すべきだ」という主張は、2月15日に米国議会上下両院の政策諮問機関「米中経済安保調査委員会」が開いた公聴会で明らかにされた。

「中国の軍事の刷新と近代化=米国への意味」と題されたこの公聴会では、中国の人民解放軍の近年の大幅な増強の実態と、その軍拡の米国の国家安全保障にとっての意味が討論された(公聴会の状況は当コラム「米国が危惧、中国軍の戦力が米軍を上回る日 強硬な対中姿勢の背景にある、かつてない危機感」でもすでに伝えている)。

政策諮問機関「米中経済安保調査委員会」は、「米中経済関係が米国の国家安全保障に及ぼす影響を考察する」目的で設置された。上下両院の有力議員から任命された、合計12人の中国や東アジア、安全保障などに詳しい専門家が委員となり、米中両国間の経済や軍事、政治についての動向を調査して、米国の議会や政府に政策案として勧告する。そのために定期的に開かれる公聴会では、議員も出席し、特定の専門領域に詳しい学者や官僚、軍人などを証人として招いて見解を聞く。

2月の公聴会では、中国の軍事動向に詳しい計10人の証人が調査委員会の委員や議員に対して中国の大軍拡について報告し、質疑応答に臨んだ。

各証言の中で、最初に正面から日本に言及したのは、オバマ政権で国際政策担当の国防副次官を務め、現在は戦略国際問題研究所(CSIS)副所長のキャスリーン・ヒックス氏である。

ヒックス氏はまず、米国が中国軍の脅威を抑止して、東アジアの安定を保つには、日本や韓国など同盟諸国との防衛協力の強化が不可欠だと証言した。そのうえで中国側が日米同盟や米韓同盟の弱体化に力を注いでいると指摘し、日本に関して以下のような諸点を強調した。

・アジア・太平洋地域における米軍の効果的な活動にとって、日米同盟は最も重要な基盤となっている。だが、中国の軍事増強や北朝鮮の核兵器開発といった脅威の増大に直面する現状では、日本自身の防衛力の強化が緊急に求められる。

・日本では敵基地攻撃能力の保持などの議論が始まり、安倍晋三政権もその方向に傾こうとしているようだ。日本が攻撃能力を確実に保持することは、米国およびアジアの同盟国、友好国すべてが歓迎すべきである。

・日本が防衛政策の一環として、攻撃能力を保持する意図を公式に表明するかどうかが、現在、内外の議論の中心となっている。だが、憲法上の制約を考慮しながら攻撃能力を保持することは、東アジア地域全体での共通の安全保障の目標に大きく寄与することになる。

日本の防衛努力に不満を抱くトランプ政権

ヒックス女史のこの証言は、日本が従来の「専守防衛」の枠を越えて攻撃の能力を保持することへの米国側からの要請だといえる。この場合の攻撃能力とは、中国や北朝鮮に到達する各種中距離ミサイルや、空中給油能力を完備した爆撃機、戦闘機、さらには航空母艦などが挙げられる。

この公聴会では、日本の攻撃能力保持への賛成意見が米中経済安保調査委員会の委員のラリー・ウォーツェル氏やジム・タレント氏からも表明された。また、公聴会の質疑応答に加わったデーナ・ローラーバッカー下院議員(共和党)らからも、同意の見解が述べられた。

トランプ政権も日米同盟に関しては、日本側の防衛努力が足りないという批判を微妙ににじませている。特に最近、中国の軍拡に対する抑止態勢を強化する構えを顕著にしているため、日本に対して攻撃能力の取得を強い要請としてぶつけてくる見通しも否定できない。

森記事

参院予算委員会に出席した安倍晋三首相(左)と麻生太郎副総理兼財務相(右、2018年3月8日撮影)。(c)AFP PHOTO / Kazuhiro NOGI〔AFPBB News

安倍晋三首相(自民党総裁)の強力なリーダーシップで、戦後初の改憲が政治日程に上がってきた。自民党は先の総選挙で公約に掲げた改憲4項目を3月下旬までに取りまとめようとしている。

いざ改正となると、4項目だけでなく戦後70余年間に露見した不具合があれこれ思い出される。その第1は日本国家の在り様そのものである天皇に関することである。

日本国家の弱体化を目指した米国の政策で、男系天皇の存続さえ危ぶまれる状況に至っていることである。

第2は現憲法下で核家族化が進み、子供も老人も国家が管理する共産主義社会同然になりつつあり、家族の絆を大切にする日本人のアイデンティティが消滅の危機に瀕していることだ。

本来は日本の安全に関わる9条や緊急事態条項に加え、上記の2点が教育無償化や合区問題より大きなテーマであろうが、政権党として他党の賛成も確保して改憲を確実なものにしたい意向から公約のように絞り込まれたのであろう。

中でも自衛隊をどのように書き込むかが最大の焦点とみられる。抑止力として存在する自衛隊であるが、国民の支持がなければ、北斎の富岳三十六景に見るような大波に日本がのみ込まれかねない。

各政党が国際情勢に目を背け、「安倍政権の下での憲法改正は許されない」などといった政局にとらわれていると、東日本大震災で経験した想定外の国難に直面しても対処できない。

マッカーサー将軍の意図

大東亜戦争(米国では日米戦争)では歴戦の勇士として指揮を執ったマッカーサー将軍であったが、緒戦で日本軍に苦戦を強いられた。

態勢立て直しのためとはいえ、一時はフィリピンからオーストラリアに撤退した将軍が、日本と日本軍にいかなる感情を抱いたかは想像に余りある。

将軍を送り出した米国自体も想像以上の損害を受け、日本弱体化を意図した政策を打ち出し、連合軍最高司令部(GHQ)のマッカーサー司令官に指示した。

同じ敗戦国のドイツと日本に対する米国の対処が全く異なっていたことは、敗戦日のニューヨーク・タイムズ(NYT)の報道から読み取ることができる。

ドイツに対しては、「この優秀な民族はナチズムによって道を誤りはしたが、それを反省し自らの手でナチスを裁くだろう。我々はこの国この民族の再生のために存分の援助と協力を惜しまない」と書いた。

一方、日本に対しては論説の横に巨大な怪物の漫画を添えて、「この怪物は倒れたが、いまだに生きている。この醜い危険な怪物の毒のある牙を我々は世界のために、どれほど長い時間をかけてでも徹底して抜きさらねばならない」と書いている。

極東戦線と欧州戦線の作戦を指揮したマッカーサーとアイゼンハウアーの性格の違いも大いに関係したであろうが、連合国の占領行政と被占領国の国民性からNYT報道の通りに進んだ。

ドイツは敗戦慣れもあったであろうが、自己主張して数年後に基本法(憲法)や軍隊、教育権を勝ち取り、憲法も59回の改正である。

一方の日本は天皇の安全を人質に無理難題を押しつけられ、ハーグ条約に違反した改正憲法(現憲法)まで受け入れざるを得なかった。そして、改憲ゼロ回である。

マッカーサーが大日本帝国憲法(明治憲法)改正の必要性を伝えると、日本側は明治憲法の主意を受け継ぐ内容の素案を提示。

しかし、司令官は受け入れられないとして、自らの信念に基づく3点を示した。その1つが現9条の根底で、「自己の安全を保持する手段の戦争」も許さない内容であった。

不戦条約や国連憲章は自衛戦争を容認

1928年にパリ不戦条約が締結された。起草にあたったケロッグ米国務長官とブリアン仏外務大臣は、国権の発動としての戦争(以後「侵略戦争」)を禁止するようにしたが、侵略に立ち向かって自国を守る戦争(以後「自衛戦争」)は認められるとした。

1945年に成立した国連憲章も侵略戦争は禁止するが、自衛戦争は禁止していない。さらに、侵略国を制裁するための制裁戦争も認めている。

マッカーサーの指示を受けて憲法案文を作成する責任者となったチャールズ・ケーディス大佐は、パリ不戦条約ができるときにロースクールの学生で、米国代表のケロッグ長官が自衛戦争は認められるし、自衛か否かの判断は自国が行うという原則を強く主張したことを知っていた。

大佐は司令官の指示ではあっても熟慮の末に、「どの国も〝自己保存″の権利を持っている。日本国にも自国の安全を保持するための手段としての武力行使は認められる」(西修「我輩は日本国憲法である」、『正論』2017年9月号所収)と考える。

そして、「国権の発動たる戦争は、廃止する。武力による威嚇または武力の行使は、他国間との紛争を解決する手段としては、永久に放棄する。陸軍、海軍、空軍その他の戦力は、決して認められることはなく、また交戦権も、国家に対して与えられることはない」という案文に仕立てた。

武力の行使を「国際紛争を解決する手段」に限って禁じるが、司令官の指示にあった「自己の安全を保持する手段の戦争も許さない」文言は削除したのである。

大佐の案文に、「前項の目的を達するため」を追加して、文意を明確にしようとしたのが芦田修正と呼ばれるものである。

文民規定は「軍人」の伏在を示す

ところが、日本統治に関する最高機関であった極東委員会はこの芦田修正の文言によって、日本が自衛戦争のための軍隊や戦力を保持し得ることを危惧する。

そこで、旧軍と同じように軍人が首相や大臣に登用される恐れがないように、首相をはじめ、すべての大臣は「文民」でなければならないという歯止めの議論が交わされ、GHQにもそのことが伝わる。

日本側は端から非軍事化を要求されていたので、「軍人」がいるはずがないとして、あえて「文民」の規定は不要とするが、GHQにも影響力をもつ極東委員会での議論でもあり、66条2項として「文民」条項を追加する。

この文民条項によって、9条の行間に隠れていた「自衛戦争のための軍隊や戦力はもてる」ということを浮き彫りにしたのである。

分かりやすくまとめると、憲法66条2項と9条から侵略戦争や紛争の武力解決のための軍隊や戦力は保有しないが、「自衛のための軍隊や戦力」は保持し得る。だからそれを指揮・運用する軍人が存在するが、彼らを首相や大臣にしてはならないということである。

日本の憲法学者は意識的にと思われるが、このことにほとんど言及してこなかった。

日本の政府も、自衛戦力を含む一切の「戦力」の保持を禁止するとしつつ、「自衛権の行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することまでも禁止されておらず、わが国を防衛するための必要最小限度の実力組織としての自衛隊は、憲法に違反しない」との解釈をとっている。

いわゆる「戦力なき自衛隊」論である。

吉田茂首相の認識

昭和21(1946)年2月、GHQからマッカーサー憲法草案を渡された吉田茂外相らは、日本側が提示した素案と余りに違い仰天する。しかし、検討時間は30分しか与えられず、天皇の安全にも言及し有無を言わせない状況での受領となる。

吉田が外交官として軍隊に苦労させられたとはいえ、外相、そして首相(同年6月)となったうえは、軍隊のない国家が維持できないことはよく分かっていた。

しかし、非武装の憲法草案を外相として受け取り、首相としてその憲法に沿って国家を運営する宿命となる。

昭和21年6月、第90帝国議会で芦田修正が加えられる前の現憲法草案の審議が始まる。ここで吉田首相は「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定しておりませぬが、第9条第2項において、一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります」と述べる。

警察予備隊の創設をマッカーサーが命じるのは4年後の昭和25(1950)年であり、この間は非武装日本である。

敗戦直後で、国民は塗炭の苦しみの中にあり、米国が日本の防衛をやってくれるというならば米国に任せ、経済復興に注力した方がいいという意識が吉田首相に働いたのは当然であろう。

しかし、昭和25年に朝鮮戦争が始まり在日米軍が半島へ出兵すると、軍隊廃止の憲法を押しつけたマッカーサーが、今度は米軍の代替え組織を創設せよと言ってきた。

吉田はあまりにも勝手ではないかという反発と同時に、「戦力をもってはいけない」という憲法を活用して、米国を徹底的に利用してやろうと思っても不思議ではない。

その辺りの機微を小堀桂一郎東京大学名誉教授は「マッカーサー証言に現れた如き『アメリカの後悔』(筆者注:日本は「自衛戦争をした」とする認識へ転換など)を小気味よく思ひ、米国製憲法の固定化を以て彼らの困惑を冷笑してやりたい様な復讐感情も我に有った」(「『占領基本法』の呪縛を断つ時だ」、「産経新聞」平成24年5月1日「正論」)と記している。

吉田は当初非武装日本を強いられ、その後警察予備隊から保安隊、そして自衛隊の創設にかかわるが、「わが内閣」の間は非武装日本、「戦力なき自衛隊」で我慢するとしても、その後の内閣では経済復興に伴うしかるべき実力組織を持つべしとの意思をもっていたとされる。

ところが、その後の内閣では著しい経済成長を遂げながらも、「戦力に当らない必要最小限度の防衛力」という表現で一貫し、形容矛盾の「戦力なき自衛隊」は今日に至っている。

西教授らの提案

駒沢大学名誉教授の西修氏は産経新聞(平成30年2月22日付)「正論」で、「私の憲法9条改正案を提示する」の掲題で、現行の「第9条」をそのまま残し、新たに「第9条の2」を加えるとして、

(1)日本国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、自衛隊を保持する。

(2)自衛隊の最高の指揮監督権は、内閣総理大臣に属し、自衛隊の行動については、文民統制の原則が確保されなければならない。

(3)自衛隊の編成及び行動は、法律でこれを定める。

とした条文案を提示(『正論』2017年9月号初出)している。

西教授は、66条2項の文民条項が導入された経緯の精査から、9条2項は「自衛戦力」の保持まで禁じていないと解釈すべきだと考えているが、この条文案ではそのことには触れていない。

「軍」という呼称でこそないが、自衛を目的にする実力部隊であることに変わりはない。

百地章日本大学名誉教授も「『自衛隊明記』で法的安定確保を」(産経新聞平成30年1月23日付「正論」欄)で、西教授と同様に、9条の2という独立の条文を起し、そこに自衛隊保持の「目的」や「文民統制」を書き加える案を提言する。

ただ、その場合、「9条」と「9条の2」が矛盾しないことをより明確にするために、「9条の2」の冒頭に「前条の下に」や「前条の範囲内で」といった接続文を加えるのが望ましいとしている。

おわりに

自民党では安倍晋三総裁が提案した「自衛隊」追加案にまとまりつつあるように見受ける。しかし、自党や他党から今後もいろんな意見が出され、どこに落ち着くか定かでない。

自衛隊を明記しても違憲性が問われ続けるという憲法学者もいれば、「軍」と明記されなければ「百害あって一利なし」だから、改正しない方がいいという声も自衛隊関係者からは聞こえる。

現憲法は明治憲法の改正条項に沿った形をとったが、ハーグ条約に違反して強権的に押しつけられたものであるから現憲法自体が無効で、これを改正すること自体が現憲法を有効と認めることにつながるといった意見、さっさと破棄や無効宣言して暫定憲法で行くべきであるという意見などもある。

あるいは、明治憲法は日本民族の自主憲法であり、三権分立主義、議会制民主主義、人権尊重主義という近代立憲主義を貫いたものであるから、これに帰れという人もいる。

神学論争が余りにも長く続いたために、神学論争をやっているうちに危機は去ってくれる錯覚に陥っている日本のようだ。そこに現実的な一石を投じたのが今回の「自衛隊追記」案である。

安倍首相が自衛隊を「わが軍」と発言したことに関連して、平成27(2015)年4月3日の閣議で「国際法上、一般的には、(自衛隊を)軍隊として取り扱われる」とする答弁書を決定している。

憲法での表現は「自衛隊」としても、国外で活動する自衛隊にジュネーブ条約などが適用されるためには、政府が対外向けの「軍適用」声明(形は検討するとして)などが必要ではないだろうか。

自衛隊追記は、現実に対処するためのホップ・ステップ・ジャンプの第1段と考えてはいかがであろうか。

国民の1人として、なかんづく自衛隊に籍を置いた者として、現役が日本の安全のために国内外において誇りをもって活躍できる法体制が構築されることを願ってやまない。

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