『人生の半分を「新聞なし」で生きてきた私が新聞の凋落問題に思うこと なぜそうなったか、を真剣に考えると…』(1/28現代ビジネス 高橋洋一)について

1/28阿波羅新聞網<特朗普:今年花费在非法移民的成本已达189亿美元 非法入境2577万人 非常荒谬!=トランプ:今年の不法移民にかかったコストは既に189億$になる 不法入国者の数は2577万人になる 非常におかしいトランプの言うのが正しい。日本も反日国からの流入を防がないと危ない。台湾有事・尖閣有事はありえますので。

https://www.aboluowang.com/2019/0128/1238196.html

1/28阿波羅新聞網<先收中共巨款再与美国合作!斯里兰卡这招让美大使喊赞=先に中国から巨額の金を借りたが、米国と協力!スリランカのこのやり方は米国大使を喜ばせた>中共は2017年下期にハンバントタ港の経営権を99年で買ったが、現地に軍事基地を造る野心は抵抗に遭っている。スリランカ政府は1/24から米空母の為に物資供給サービスを始め、米国大使を喜ばせた。

インドの“The Economic Times”によれば、「米国空母ジョン・C・ステニスは1/24からスリランカと臨時貨物運送計画に参加し、人民解放軍のインド・太平洋地域での活動が増えているのに鑑み、スリランカ政府は此の挙に出たのは、象徴的な出来事であり、中国の債務は未だあるが、依然として中国には抵抗している」と報道

空母の将校のJessica Andersonは「C-2運輸機はバンダラナイク国際空港と空母とを往復し、部品や道具、個人宛郵便、文具等を積み込んで空母に戻り、米国の海上作戦を実行するうえで助かっている。それがスリランカの物流も押し上げ、商業地域の中心は1月にスリランカの経済に2500万ルビーも貢献した」と述べた。

米国駐スリランカ大使のAlaina Teplitzは「スリランカ当局はインド・太平洋地域のあるべき姿が何であるかを既に表明した。また地政学を良く理解し、チャンスをモノにした。我々は互恵関係に基づき、このようなことが実現でき、物流協力にも署名でき、インド・太平洋を通る米国の軍用・商用船に大きな支援となるので、大いに喜んでいる」と述べた。

中国の持つ対外債権も中国経済が崩壊すれば、第三者に譲渡されるのでは。ハンバントタも手放すかもしれません。中国経済を締め上げることです。

https://www.aboluowang.com/2019/0128/1238187.html

1/27看中国<2020总统大选 蓝绿胜败的关键都是他(组图)=2020台湾総統選 国民党・民進党の勝利の鍵は彼の手に下の図のように柯文哲・台北市長が握っていると言いたいようです。彼が総統選に出るとは書いていません。ただ211万人のファンがいて、ネットで人気が高いと。

《TVBS》的最新世論調査(図は:看中国が自ら作成)

https://www.secretchina.com/news/gb/2019/01/27/883136.html

1/27希望之声<中共刚安抚老兵即批捕19人=中共は退役兵を宥めたがすぐに19人も逮捕を許可した>中共の1/25の公式発表は「検察は去年権利主張した19名の退役兵の逮捕を許可した」と。

https://www.soundofhope.org/gb/2019/01/27/n2599378.html

高橋氏の記事は、直接国際関係に絡むものではありませんが、「南京」、「慰安婦」、「靖国」等火をつけて、中共の思惑通り日本政府を縛る役目を果たしてきた左翼メデイアの衰退ぶりを知って戴きたく取り上げました。

昨年1年間で222万部も減ったとのこと、かつ下の朝日新聞に関するブログによれば、朝日は昨年の発行部数568万部(押紙が2割とすれば、454万部)で、新聞事業は赤字とのこと。良い傾向です。売国新聞がまだこれだけ売れているのが不思議なくらいです。まあ、戦後GHQに洗脳され、その呪縛が解けない高齢者が読んでいるのでしょうけど。若者が読まないのですから、ジリ貧になるだけ。日経の磯山氏のようにジャーナリストは必要な存在と頭から決めつけるのも、上から目線を感じて不快になります。必要とするかどうかは読者が決めること。財務省や中共の提灯記事しか書いて来なかった新聞媒体では愛想を尽かされても仕方がないのでは。ジャーナリストと自称するからには真実報道を追求しなければ。それが捏造記事や役所の下請けになり下がっているのでは読む気もしないでしょう。そもそも真面に取材して書いているのか疑わしい。国際面で言えば、外国のTV、新聞、ネットを翻訳して紹介しているだけなのでは。それでしたら小生でもできますし、金も取らなくて済みます。やはり、付加価値を付けるべきなのに、今の記者はそれができていない。朝日の記者はネットで知る限りですが、傲慢で鼻持ちならず、事実に基づいた報道をしないと感じています。エビデンスなしの報道は報道の名に値しないでしょう。何を勉強してきたのか?まあ、勉強すればするほど馬鹿になる典型です。本質が理解できないのですから。

ブログ<朝日新聞は今日も反省なし。朝日新聞は戦争を煽った。 朝日新聞さん、誤報・捏造・偏向報道は止めましょう。慰安婦誤報の英文での謝罪をお願いします。>

http://khiikiyat.blog.fc2.com/blog-category-10.html

記事

30年、支障を感じたことはなかった

今回は、1月24日の現代ビジネスに掲載された磯山友幸氏の記事『新聞部数が一年で222万部減…ついに「本当の危機」がやってきた 新聞は不要、でいいんですか?』(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59530)を取り上げて、マスコミの現状と今後について、考えてみたいとおもう。なお、磯山氏は日経新聞出身であり会計関係の記事に強い書き手で、筆者もよく知っている。

この一年で新聞の部数が200万部以上も減少した、という新聞の凋落についての数字を記事の前半部で示したうえで、「本当に新聞は不要、でいいんですか?」と問うている。実際の結論部分は、

「そう、新聞が滅びると、真っ当なジャーナリズムも日本から姿を消してしまうかもしれないのだ。

紙の新聞を読みましょう、と言うつもりはない。だが、タダで情報を得るということは、事実上、タダ働きしている人がいるということだ。そんなビジネスモデルではジャーナリズムは維持できない。

誰が、どうやって日本のジャーナリズムを守るのか。そろそろ国民が真剣に考えるタイミングではないだろうか」

となっており、磯山氏は必要だと言いたいようだ。

この記事はかなり多くの人に読まれているが、反応を見ている限り、この結論には批判的な見方がかなり多いようだ。

たとえばジャーナリストの佐々木俊尚氏は、「ピークの1997年と比べると4分の3に。いま起きてるのはビジネスの崩壊と、新聞ジャーナリズムの転換点という二つの危機だと思います。その意味で本記事の結論には必ずしも同意できない。」とつぶやいている(https://twitter.com/sasakitoshinao/status/1088576933300981762)。

筆者の意見を述べよう。そもそも筆者は、マスコミにとっては一種の危険人物であることを自覚している。本コラムでも、2017年11月20日付け「新聞・テレビが触れられたくない「マスコミの大特権」の話をしよう 「公正」を声高にいうクセに…」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53563)などを筆頭に、マスコミにとって触れられたくない内容や「アブない」内容を書いている。

これらの記事の中では、マスコミがいま抱える主な問題として、①日刊新聞紙法、②再販規制、③消費税軽減税率、④国有地低廉売却を上げている(詳しくは上記コラムを読んでいただきたい)。

こうした問題を指摘してきた筆者なので、磯山氏を知っているからといって、同氏のコラムの結論に納得できるはずない。厳しくいえば、問題だらけのマスコミに自助努力(自浄努力)がなかったので、ネットという空間に新たな競争者が出現し、その結果、あえなく縮小均衡を迎えたのだろう、という感想と、マスコミの自浄努力が今後も期待できないのなら、これからもそれは進むだろうという予想しか出てこない。

このことは、筆者にすればはるか以前から分かっていたことである。実際、筆者は新聞を自宅で取らなくなってから30年くらいになる。人生の半分くらいは新聞なしで生活してきており、なんらそのことの支障を感じこともない。

役人時代にも新聞は取らなかった

筆者が官邸勤務をしていたときは、まさに新聞を読んでいない時期に重なっているが、仕事に差し支えることもなかった。

新聞を自宅でとらなくなってからも、筆者は大蔵省で広報の裏方のような仕事をしていた。旧大蔵省の場合、広報を担当する部署はあるが、事実上のマスコミ対策は各省に任されており、政策の根回しの一環として、一部官僚がマスコミ対策を行うことも当たり前であった。いわゆる「ご説明」「レク」と呼ばれるものである。

なにか新しい政策を打ち出すとき、その政策の担当部局の課長や課長補佐が、あたかも軍隊のように一糸乱れず整然と政治家、学者やマスコミに「ご説明」して周り、彼らの理解や支援を得て、国会を有利に取り運ぶのだ。

筆者も、課長や課長補佐時代に多くの「マスコミ対策」を行った。そのためのいち手段として、日頃から、マスコミへの「小ネタ」を提供していた。言い方は悪いが、いわゆる「鳩への豆まき」だ。

役所から見れば、マスコミ記者は「鳩」であり、その餌付けのために「豆をまく」という感覚である。なぜ「鳩」かというと、マスコミの記者は自分で考えることが少なく、記憶しようという努力も怠ることから、鳥並みである、というわけだ。

マスコミの方には申し訳なのだが、役人が「豆まき(レク)」をすると、かならず「紙」をくれといわれる。そうでないと、デスクが納得しないからという。なので、役人からみると、マスコミ記者は「ヤギ」にも見えた。「紙くれ」「紙くれ」というからだ(紙、とはその政策や発表に関する資料のこと)。

まだ「ヤギ」のようが「鳥」より賢いだろうが、いずれにせよマスコミにすれば気分が悪いだろう。しかし、実際に官僚のもとに来る記者のほとんどが、自分でものを考えようとしなかったし、官僚からのレクや紙に頼るばかりだった。

このようにマスコミを「操っていた」ので、新聞は読む必要がなかった。役所にある新聞で、自分があげたネタがどのように報じられたか、その結果を確認すればよかっただけだった。

もし、役所にとって予定外の記事がでることになっても、すぐに情報は入手できた。というのは、その新聞が出るまでに、他の新聞社が必ず役所に確認に来るからだ。「明日の〇〇新聞で、こんなニュースが出るらしいですが、そのニュースは本当ですか?」という感じで、だ。わざわざ他社の記者が知らせに来てくれるので、その新聞が出るまでに、対応方法や対策などの事前準備はほぼ済んでいる、といった具合だった。

結局、どのような場合でも、新聞から情報を得る必要がなく、逆に与える立場だったので、役人時代は新聞を取る必要はまったくなかったのだ。

ある体験から思うこと

いまは筆者は役人ではないが、現在でも新聞のほとんどの記事の出所は、新聞独自の一次情報ではなく、役所等の発表物や役人等のリークであるので、一次情報の発表物さえ押さえておけば、新聞を読む必要はないと思っている。

さすがに、役人等のリークは確認しようがないが、これまでの経験で、新聞記事の裏側はだいたい読めるので、わざわざ新聞をとる必要はまったくない。

おそらく、一般の人も、新聞が一次情報を報じているのではなく、何らかの機関や組織を経由した二次情報が中心であることを既に感じているだろう。さらに今では、ネットでの情報をもとにしたものも多くある。

磯山氏の記事へのコメントの中にも、「ネットで専門的な意見をいう人の記事をみていれば、新聞記事は読む必要ない」というものもあった。その中の一人として筆者のことが触れられていたのは、内心嬉しかった(そこに掲げられていた人は、元官僚の人が多かった)。

ハッキリ言えば、大手マスコミが書く標準的な記事くらいの内容ならば、筆者でも簡単に書け、それをネットで発信することも可能である。

しかも、筆者の場合には大手マスコミに意見が載ることもまずない。かつては、日経経済教室に執筆したこともある。もちろん日経から依頼されて書くわけだが、あるときから、さっぱり声がかからなくなった。まあ、『日経新聞と財務省はアホだらけ』という本を書くくらいだから、新聞業界にお呼びはないのは当然であるが。

あるとき、日経新聞に財務省の批判記事を書いたら、財務省側が反論を書くという話が来た。そこで、誰が反論を書くのか聞いたら、未定でこれから考えるとの反応だった。

後日確認すると、御用学者が反論を書いていたが、専門でもないので財務省が代筆したのだろう。筆者は再反論したかったが、日経の担当者から「もう日経では掲載できない」と言われて、その後は一切音沙汰なしだ。

役人時代には、まさか自分がネットで記事を書いたり、ネット上の報道番組などで情報発信をするとは思わなかったが、実際にはそれなりの収入になっている。

最大限に皮肉を込めて言えば、これも、マスコミの記事報道がたいしたことないおかげである。しかも、筆者が日経を締め出しになった理由からわかるように、多くの記事報道は役所の代弁そのものであり、事実でなく、読者にとってつまらない。

なにも改めないままならば…

要するに、これまでのマスコミは、役所や企業などの意見の発表手段を紙面や番組で事実上独占することで、存在意義を示せたわけだ。しかし、ネットの発達ともに、マスコミの独占が崩れて、競争に晒された結果、付加価値なしの低品質なものが多いことが誰の目にもわかるようになった――その結果、新聞(およびメディアの)凋落が起こった、というだけのことだろう。

一次情報を役所や政治家が発信するので既存マスコミは徐々に無用の存在になり、二次情報でも既存のマスコミは、冒頭に述べた①日刊新聞紙法、②再販規制、③消費税軽減税率、④国有地低廉売却などにより、付加価値なしで低品質になっているのは否めない。

例えば、新聞は財務省に過度におもねるから、日本の債務残高は世界一で財政危機という、ちょっと非常識なことをいまでも垂れ流している。2018年10月15日付けの『IMFが公表した日本の財政「衝撃レポート」の中身を分析する それでも消費増税は必要ですか』(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57978)といった本コラムが指摘してきた見方を新聞メディアが詳しく報じないのも、この話題がタブーとなっていることの表れだろう。一方で、日本財政破綻論者や、増税推進学者の意見はこれでもかというぐらいに載せており、財務省の巣窟に成り下がっているのか、と思うほどだ。

もうひとつ、皮肉を言わせてもらおう。前出の本コラムで書いたが、新聞社の財務諸表をみると、まるで不動産業かと見誤ってしまうくらいだ。その稼ぎは、歴史を遡れば本社の土地が国有地の払い下げであったことにも由来している。小ぶりな経営でよいのなら、多少は部数が下がっても、当分はマスコミ業を続けられるだろう。

その一方、森友学園の国有地の払い下げ問題で、筆者が「この土地は国有地だったので競争入札にすべきだった」と、本コラムで書いた(『森友学園に関する私の発言に、財務省が抗議してきたので反論しようhttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/51201)が、マスコミはこのことについてはまったく言えなかった。自分のところでは随意契約で土地を払い下げでもらって、それがいまの本業の不振を補っており、自分達の給与になっているという意識があるからではないか。

いずれにしても、財務省や官庁におんぶに抱っこ、というのが大部分の既存マスコミの姿だ。今度は消費増税の軽減税率で、官庁にお世話になるのだろう。そんなところの出すニュースがつまらない、と読者が思うのは当然ではないか。

既得権にまみれた新聞社が従来より小さくなっても、ネットという手段があるので、一般人は特に何も困らなくなっている。既存の新聞社でなくても、一次情報の出所である役所や政治家が自ら情報発信する時代なので、情報入手は可能になる。

官庁や企業に頼らなくても独自の情報を取ってこれる記者や、一次情報に付加価値を付けられる健全なジャーナリストはやっていけるだろうが、一次情報の媒介者にしかなれない記者や、そうした情報だけで紙面を構成しているようでは、ますます「凋落」は進むだろう。さよなら、既存の新聞社。

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