『なぜ中国はジンバブエのクーデターを黙認したか 習近平のメンツ潰したムガベ辞任、「植民地化」の行方は?』(11/29日経ビジネスオンライン 福島香織)、『中国人が蜜月関係だったアフリカから続々帰国している理由』(12/1ダイヤモンドオンライン 姫田小夏)について

11/29日経<「習近平新時代」の寿命決める新星は誰か  編集委員 中沢克二

先の中国共産党大会では、2012年にトップに就いて5年にすぎない党総書記(国家主席)、習近平(シー・ジンピン)の業績について重大な決定があった。「習近平新時代」が思想の形で共産党規約に明記されたのだ。

この意味を極めて分かりやすく説明した人物がいた。11月下旬、来日した中国共産党中央党校副校長、何毅亭(65)である。中央党校は共産党幹部の教育を担う重要な組織だ。とりわけ何毅亭は理論面で習近平を支える側近で、スピーチライターの一人とされる。

■共産党史の全面書き換え

「中国共産党政権の歴史は3つに分けられる。第1は毛沢東時代。人民と共に立ち上がった創立期である。第2は『改革・開放』政策の導入で富ませた鄧小平時代。そして第3は、強い国家をつくった習近平新時代だ」

習近平新時代の登場に押されて、江沢民・胡錦濤両時代は中国共産党史に入る余地がなくなった(10月の共産党大会に登場した江沢民(右)、習近平(中)、胡錦濤(左)各氏)=小高顕記者撮影

共産党の理論づくりを担う重鎮の公式見解だけに驚きだった。既に共産党の歴史は書き換えられたのだ。何毅亭は、日本の国会内で議員らを前にそう宣言した。内容を整理し、少し補足するとこうなる。

(1)毛沢東時代=1949年の新中国建国から76年の毛沢東の死を経た78年頃まで

(2)鄧小平時代=鄧小平は78年に「改革・開放」政策導入を宣言。97年に死去したが、その時代は鄧小平の指名でトップに就いた江沢民、胡錦濤の執政期を含む

(3)習近平時代=2012年から反腐敗運動による厳しい党の統治と大胆な軍改革で強国を志向。35年に経済と軍の現代化建設を基本的に終え、21世紀中葉に現代化強国を完成

まだ、たった5年にすぎない習近平の新時代は、反腐敗運動などで毛沢東と鄧小平の2つの時代に匹敵する実績を既に上げたというのだ。そして江沢民と胡錦濤の執政期は特に独自性がなく、事実上、鄧小平時代の中に組み込んでよいという結論になった。

なお存命中で党大会にも出席した91歳の江沢民、そして74歳の胡錦濤は、この党大会総括をどんな気持ちで聞いたのか。どう考えても穏やかに耳を傾けたとは思えない。

そもそも輪郭がはっきりしていなかった江沢民、胡錦濤両時代は、共産党の歴史に刻まれる余地が全くなくなった。形の上では自分たちが後継者に選んだはずの後輩、習近平が早々に自らの新時代を宣言。押さえ込まれてしまったのだ。

では習近平新時代は今後、いつまでつづくのか。それは後世が決めることだ。しかし、現時点で習自身とその周囲がどこに視点を置いているのかは極めて重要である。

習近平の国家主席として憲法上の任期は2期10年が終わる23年までだ。慣例に従うなら党総書記の任期も22年の党大会までになる。

では、たったあと5年間。つまり合計10年間で本当にトップから退くのか。それは疑問だ。毛沢東時代は30年間近く続いた。次の鄧小平時代も78年の「改革・開放」政策の宣言から鄧小平の死までの19年間に江沢民、胡錦濤両政権を加えれば合計34年間もあった。

■少なくても「2035」までは習近平新時代

ここで考えるべき重要な論点がある。今回の党大会報告で初めて登場した2035年という数字である。習近平は20年に小康社会(少し余裕のある社会)を達成した後、次の現代化建設の第一目標を35年に置いた。

中国共産党の歴史は毛沢東時代、鄧小平時代、そして習近平時代の3区分に書き換えられた(写真は北京・天安門に掲げられた毛沢東の肖像画、小高顕記者撮影)

なぜ35年なのか。今から21世紀中葉までは33年間。その中間地点であるという理屈は成り立つ。21年の中国共産党設立百年と、49年の新中国成立百年のちょうど真ん中でもある。

35年の目標設定には、国家計画の面から見ても極めて精緻な計算がある。それは中央党校副校長の何毅亭も言及した。

「(49年の建国百年を見据えてきた)現代化建設を基本的に達成する目標を15年ほど前倒した」

この言葉を聞いてハッとした。極めて重要な発言だった。党大会報告に盛り込まれた主要プロジェクトは、ほぼ全て35年を目標に計画されているのだ。

新シルクロード経済圏構想(一帯一路)、北京・天津・河北省を一体化する新首都圏構想、インターネット、ビッグデータ、人工知能(AI)と実体経済との高度な融合、グリーン・低炭素社会の実現、シェアリングエコノミー、現代版サプライチェーン構築……。全てが2035年に向けて動き出す。

中国の経済成長率は徐々に低下している。とはいえ、「今後18年間もあれば、どんなに少なく見積もっても経済規模の上では米国と肩を並べ、抜き去っているに違いない」。中国の指導層はそう考えている。問題はもはや生産能力の大きさや量ではなく質の確保だという。

そして何より重要なのは、軍の現代化建設の第一目標も35年に置いた点だ。現代電子戦に対応する人材を育て、武器・装備を近代化し、統合作戦、全域作戦の能力を高めるとしている。

大胆な軍改革は、反腐敗運動と並ぶ代表的な習の実績である。それは35年に向けて進み、最終的に21世紀中葉までに世界一流の軍隊をつくるという。世界ナンバーワンの軍事強国である米国と戦えるほどの強軍国家。それが中華民族の復興の夢の意味だ。

「2035」には、習近平新時代が少なくともそこまでは続くとの期待が込められている。それは必ずしも習近平政権そのものが35年まで続くことを意味しない。

■退く時期の選択権を手中に

習がトップから退く可能性がある時期は、5年後の22年党大会、10年後の27年党大会とある。実際はいつ退いてもよいのだ。退いた後も習近平新時代が続いていれば何の問題もない。

「改革・開放」政策で自らの時代をつくった鄧小平氏(広東省深圳で)

そのとき、習がいつか指名する後継者が「習近平チルドレン」として習近平新時代の守人になる。鄧小平時代の守人が「鄧小平チルドレン」の江沢民と胡錦濤だったように。習近平は表向きポストから退任しても、かつての鄧小平のように事実上の最高指導者として振る舞える。

今回、習は「ポスト習近平」候補とされた孫政才(54)を反腐敗で摘発し、共産主義青年団のホープ、胡春華(54)を最高指導部に引き上げなかった。次世代を担う人材を排除する手法によって、引退時期を自ら決めることができる選択権を手にしたのだ。

強い現指導者の引退時期が決まらない場合、各勢力は現指導者に服従するしかない。結果的に求心力は保たれる。

とはいえ習の思惑を阻もうとする動きは今後、必ず出てくる。その勢力は、習近平時代をできるだけ短い期間で終わらせ、さらに新しい時代を築こうとするに違いない。その際、激烈な内部闘争が繰り広げられる。

これまでの5年間、習は「反腐敗」闘争の名目で江沢民と胡錦濤の旧勢力を押さえ込んだ。次世代新星もまた別の手法で闘いを挑むだろう。標的になるのは今度は「習近平チルドレン」かもしれない。習近平時代の寿命を決めるかもしれない未来の指導者はどこかに潜んでいる。その顔が見えるのはまだ相当先になりそうだ。(敬称略)>(以上)

習近平が今後とも、無事主席の地位を確保or最高指導者として実権を握れるかどうか分かりません。共産党のラストエンペラーになる可能性もあります。

一つはこの記事。11/30Money Voice<中国が恐れるトランプの経済侵略と北朝鮮「北京核テロ」の脅威=斎藤満>。米国のハゲタカが中国の不良債権ビジネスを展開、食い荒らすと言うもの。それより北の問題(テイラーソンが更迭、ポンペオになるという事はやはり戦争は近い?)が片付けば、次の標的は中国となるはずです。

http://www.mag2.com/p/money/342777?l=ttv0c03f55

二つ目はこの記事。12/1中国観察<張陽傳死於“非典型”政變 主謀名單或在另一巨虎身上 希望之聲電台=張陽が死に追いやられたのは“非典型政変”に絡む 首謀者は他の巨魁である 希望の声TV>「張陽の自殺は口封じの為ではという見方です。海外メデイアの博聞社に依れば、張陽と参謀長の房峰輝、武警司令の王建平と共に、毛沢東死後の「四人組」逮捕のような政変を企図、しかし早いうちに発覚、王建平は刑務所内で自殺と伝えられるが発表はない。彼らの背後にはもっと上(江沢民or曽慶紅?)がいるはず」と。非典型政変が4人組を指すのなら、さしずめ習近平は華国鋒となり主席を辞任、4人組は王岐山や陳敏爾と誰?或は張陽、房峰輝、王建平らが4人組(3人であるが)となって習を江青によって操られた毛沢東のようにするという意味なのか良く分かりません。

http://chinaexaminer.bayvoice.net/b5/ccpsecrets/2017/12/01/382007.htm%E5%BC%B5%E9%99%BD%E5%82%B3%E6%AD%BB%E6%96%BC%E9%9D%9E%E5%85%B8%E5%9E%8B%E6%94%BF%E8%AE%8A-%E4%B8%BB%E8%AC%80%E5%90%8D%E5%96%AE%E6%88%96%E5%9C%A8%E5%8F%A6%E4%B8%80%E5%B7%A8%E8%99%8E.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=facebook

11/28宮崎正弘氏メルマガ<張陽(中央軍事委員会前政治工作部主任)が「首つり自殺」 巨額の賄賂を郭伯雄、徐才厚らに上納して「のし上がった」>にも軍の不満が募っているとあります。習は、クーデターか暗殺(病死か交通事故死に)されるのでは。習は決してその地位が安泰とは思えません。

http://melma.com/backnumber_45206_6615102/#calendar

また、12/1宮崎正弘氏メルマガに<中国、ベオグラード ←→ ブタペスト新幹線を着工 アフリカから足抜け、空白のバルカンと旧東欧へ集中か>とあり、中国がアフリカから「一帯一路」に投資を切り替えているとのコメントです。姫田氏と同じで情報の確度が高いと思われます。中央アジアは元ソ連の衛星国でしたからロシアは、シベリアへの中国人の人口侵略と合わせ、苦々しく思っているというか「タタールの軛」を思い起こして恐怖に感じているのでは。

http://melma.com/backnumber_45206_6616367/

福島氏の記事のムガベは中国にとって用済みという事でしょう。独裁者同士のやることですから。中国のすぐ隣にもロケットマンという独裁者がいますが。やはり全員、国民を思うことの無い為政者達です。我が身を安全地帯に置いて政府批判しかすることがない、日本の左翼リベラルの政治家・メデイア・学者に言いたい。この3ケ国と人権状況を比べてから「モノを言え」と。

福島記事

ムガベ前大統領と習近平主席、持ちつ持たれつの関係は終わりを迎えた。写真は2014年(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

ジンバブエで軍事クーデターが起こり、37年にわたり政権の座にあった独裁者・ムガベが大統領を辞任。元第一副大統領のムナンガグワが新大統領に就任した。この事件の背後で中国が関与していたのではないか、という憶測がCNNなどで流れた。証拠はあがっていない。クーデター前に国軍司令官が訪中しており、ムガベ排除について、中国の了解をとっていたのではないか、というあくまで憶測である。だが、習近平が24日にムナンガグワにすぐさま祝電を送っているのをみると、ひょっとすると、という気にさせられる。

ムガベは中国がその独立運動を軍事的に支援して政権の座につけただけに、特に親密な関係を続けてきた。ムガベ自身が毛沢東思想に傾倒し、中国共産党の古き良き友を自任していたはずだ。そのムガベ失脚に対して、ほとんど反応せず、ムナンガグワに祝辞とは。

習近平は「中国とジンバブエは良き友であり、良きパートナーであり、良き兄弟である。両国関係は時間と国際情勢の移ろいやすさの試練を耐えてきた。中国側はジンバブエとの伝統的友誼を大切なものとみて、両国関係および各領域における協力の継続が前向きに発展し、両国と両国人民がさらに幸福となるよう、ジンバブエとともに一路努力していくことを願う」とムナンガグワに強い友誼関係を約束したのである。

憶測は憶測でしかないのだが、少なくとも、この政変、中国にとっては好都合、ということではないだろうか。

では、なぜ中国は親密であったムガベ政権に対してかくも、態度が冷ややかなのか。中国とジンバブエの関係はどうなるのか、ちょっと考えてみようと思う。

「妥当に処理することを望む」

中国側の公式反応だが、中国外交部報道官は定例記者会見でジンバブエのクーデター発生時に、次のようにコメントした。

「ジンバブエは友好国であり、我々はジンバブエ情勢がどのように発展していくか注視している。ジンバブエが平和的安定発展を維持することが、ジンバブエ国家の根本利益であり国際社会の普遍的な期待である。我々はジンバブエの関係当局が内政問題を妥当に処理することを望んでいる」

実にあっさりしたものである。このとき、ある記者は、ジンバブエの元ナンバー2であり、11月6日にムガベから突如副大統領職を解任されたムナンガグワが中国に脱出しているとジンバブエ紙が報道したことについて、真偽を問うて、報道官は「彼は中国に来たことがない」と完全否定していた。実際は、ムナンガグワは南アフリカに亡命していたのだが、中国には疑われるだけの背景があったということだ。

ジンバブエのクーデターを簡単に説明すると、2018年の大統領選を前に高齢のムガベに健康上の問題が出てきて求心力が落ち始め、与党ナンバー2のムナンガグワとムガベの41歳年下の妻のグレースが後継狙いの派閥争いを昨年夏あたりから拡大し始めたのがきっかけ。ムナンガグワは軍と情報機関の支持がある一方、グレースは党内改革と世代交代を求める若手党員集団ゼネレーション40(G40)の支持がある。

今年夏、グレースの方からムガベに後継者指名を強く求め、G40が勢いづいた。ムガベは11月、ムナンガグワを副大統領から解任し、グレースを事実上、後継指名した格好となった。

クーデター5日前の訪中

だが、これに断固反対を唱える国軍司令官チウェンガが11月15日にクーデターを起こしムガベと家族を軟禁。ムナンガグワに大統領を移譲するよう求めた。当初、大統領辞任を拒否していたムガベだが、グレースに権力奪取を許した責任追及を理由に議会が弾劾の手続きに入ると21日、辞表を提出し、亡命先から帰国したムナンガグワが大統領に就任した。

中国国防部はこのクーデター発生の5日前、チウェンガの訪問を受け、国防部長の常万全が八一大楼で会見している。このとき、チウェンガが中国に政変への理解を求めた、あるいは協力を求めた、というのが主要欧米メディアの憶測である。中国外交部はすでに実施が決められていた純然たる軍事交流、と説明するが、このときすでにクーデターの準備は整っていたとみられるし、中国とムガベの関係の深さを思えば、仁義を通しておく方が安全ではある。

では、仮にそうだとして、ではなぜ、中国は軍のクーデター計画を黙認したのだろうか。ムガベと中国の絆の深さはそう簡単に切れるものではないだろう。

実はムガベと中国共産党の絆はそれなりに深いのだが、習近平個人との相性はあまりよくないといわれている。その理由の一つは、習近平自身が経済の立て直しができないムガベ長期独裁政権を完全に見下しているからだといわれている。「ムガベ長期独裁政権は“アフリカの真珠”と呼ばれたジンバブエを貧民窟に変えた」(華字ネットニュースサイト・アポロニュース)というような、その無能ぶりを嫌悪している、らしい。

「欠席」「拒否」「批判」でメンツ潰す

さらに、ムガベの厚かましさ、無礼さが習近平の気に入らないようでもある。ムガベ政権は長期にわたって中国から援助を受けてきたが、最近は足りないといっては不満げな顔をすることが多くなった。アポロニュースによると、習近平が2015年9月3日、世界反ファシスト戦争・抗日戦争勝利70周年記念の大閲兵式にムガベを招くも欠席。ムガベは中国共産党の“老朋友”というのが国際社会の認識であったから、習近平は晴れの舞台で、老朋友にメンツを潰された格好だ。しかも同年12月、中国版ノーベル平和賞とでもいうべき“孔子平和賞”をムガベに贈ると言ったら、ムガベは「意味がない」と受け取りを拒否。これも中国のメンツを大いに傷つけたことになる。

加えて2016年6月、ムガベはとある演説会で、中国が派遣してきている公務員やビジネスパーソンに対して、「稼いだ金を現地から中国に持ち帰っていることがジンバブエドルの深刻なインフレを加速させている」「中国人がジンバブエの女性を虐待している」などと中国批判を行った。ムガベがこうした中国のメンツをあえて潰すような行動をとったのは、習近平政権が満足のいく支援をくれないという不満だけでなく、そろそろ権力移譲計画を立てるようにせっつかれたからだともいわれている。

中国の軍事支援によって、独立闘争を勝ち抜き政権を樹立し、大統領の座についたムガベは、実のところこれまでは中国にとって非常に都合のよい大統領だった。中国がジンバブエに巨額投資を行えば、ムガベはその代償に金、プラチナ、ダイヤモンド鉱山の権利を中国の欲しいままに許した。ムガベは事実上、中国によるジンバブエの植民地化を手伝ってきたともいえる。巨額投資の見返りに土地、鉱山、資源などの侵食を続けてきた中国は2015年、4000万ドルというジンバブエの債務を帳消しにする代わりに人民元をジンバブエの法定通貨の一つに認めさせ、国家の基幹である通貨まで奪ってしまった。

だが、そんなムガベも高齢となり、しかもその政治的無能と長期独裁による国民からの人気の低さに、中国共産党内にもポスト・ムガベを考える空気が流れていた。それに気づいたムガベが、今度は習近平に対して不信感を募らせ始め、習近平のメンツを潰すような言動を次々とするようになった。

ダイヤモンド採掘国有化に激怒

そうして関係がだんだん険悪になってきたころ、習近平を激怒させた決定打が2016年3月にムガベが突如決めたダイヤモンド採掘企業の国有化政策である。外国の採掘企業によるダイヤモンド産業は、ジンバブエが本来得るはずの約130億ドルの潜在的収入を盗んでいる、として、外国資本によるダイヤモンド採掘企業を政府がすべて接収することを決めた。この中には当然中国企業も含まれていた。

ジンバブエ東部のマランゲは世界最大規模のダイヤモンド鉱山で、その埋蔵量は全世界の4分の1以上ともいわれている。マランゲはムガベ政権が2008年に軍と警察力を行使し、約400人を虐殺した末、その採掘権を奪取したことで知られる血塗られたダイヤモンド鉱山。このときムガベ政権に軍事協力していた中国解放軍が直接、このダイヤ採掘と治安維持に加担していたと、2010年9月当時の英デイリーポストの記者が告発している。このダイヤモンド鉱山には解放軍の秘密飛行場があり、採掘したダイヤをそのまま中国に輸送していたとも。ムガベ政権への見返りは解放軍の武器であったという。この武器がムガベ政権維持に必要な軍事力を支えていた。

だがこの中国による植民地化と富の収奪が、ムガベ政権の求心力をますます衰えさせ、またジンバブエ内の反政府活動を活発化させていくことになった。ムガベ政権に対する反発の最大の理由は中国がつくったといっても過言ではない。ジンバブエ内の中国華僑と現地人の対立も激化し、中国としては大っぴらにムガベ支持を表明しにくくなっていた。

こうした状況の中で、クーデターが起きたのだから、中国の関与が疑われたとしても致し方あるまい。ジンバブエ国軍の装備はほとんど解放軍が提供したものであり、ジンバブエ軍が中国解放軍になんらかの相談をしているかもしれないと考えるのは普通なのだ。

英国の関与は? 一帯一路への影響は?

私の考えを言えば、ムナンガグワがいったん身を隠していた先が中国でなく南アであるのならば、中国関与の線は薄いのではないか。むしろ英国が積極的に関与してきそうな気がする。

ただ、ムナンガグワは、中国で軍事訓練を受けたこともある元ジンバブエ解放戦線戦士であり、クロコダイルの異名も持つ冷酷な強権主義という点では、ムガベと同じタイプだ。中国にすれば、ポスト・ムガベ体制としては理想的であり、たとえクーデターに関与していなくても、引き続き、ムガベ政権にしたように、大統領を通じてジンバブエの植民地化を進めていけると思うだろう。

ただ、ムナンガグワが大統領就任演説で訴えたように、本気でジンバブエの「完全な民主主義」を約束するのだとしたら、これはちょっと中国共産党の思惑から外れてしまう。なぜならジンバブエの大衆は、自国の経済崩壊に乗じて国を乗っ取りかけている中国に対しては極めて強い反感を持っているのだ。こうした反感は顕在化すると、習近平の壮大な大風呂敷・一帯一路構想でも重要な起点であるアフリカへのアプローチにも影響を与えそうだ。

姫田記事

中国で開催された「一帯一路」の国際会議で発言する習近平国家主席  Photo:新華社/アフロ

中国とアフリカの蜜月時代が変わりつつある。

今年9月、英フィナンシャルタイムズは「アフリカから中国人の帰国ラッシュが始まった」と報じた。中国資本によるアフリカへの「走出去(中国企業の対外進出)」と呼ばれた投資や経済活動は、一時のブームに過ぎなかったのだろうか。

数年前、世界は中国による積極的な対アフリカ投資を「新植民地主義」だと非難した。とりわけ警戒したのは、中国のアフリカ資源外交だった。2014年、新年早々に安倍晋三首相はアフリカを歴訪したが、そこにはアフリカにおける中国の影響力に一定の“くさび”を打つ意図があった。

中国が、アフリカで展開したのは資源外交だけではなかった。「メード・バイ・チャイナ」がアフリカの国々で瞬く間に普及。街を走るのは中国製の廉価バイク、市民生活に浸透するのは安価な中国の軽工業品、街を歩けば至る所に中国人──。中国による「走出去」の影響力は無視できないものになっていた。アフリカのマリでは、「この国のコンクリート建造物はすべて中国によるもの」と言われているほどだ。

他方、植民地支配を経験したアフリカにとって、「真のパートナー探し」は独立後の一貫したテーマでもあった。中国の台頭とともに、「西欧からの影響を遠ざけ、むしろ手を握るべき相手は中国だ」という機運が高まっていたことは確かである。近年は「中国は敵ではない」という共通認識すら持たれるようになっていた。

アフリカから中央アジアへシフトか

英フィナンシャルタイムズによれば、アフリカには100万人の中国人が生活しており、その大多数が零細企業のため、近年の資源価格の下落に伴うアフリカ経済の落ち込みとともに商売が成り立たなくなってきたという。あまりの勢いに警戒されていた中国資本の進出だが、アフリカでは今、大きな変化が起こっているようだ。

その変化が貿易に現れている。この5年間の中国とアフリカの貿易総額を見ると、2000年当時100億ドル程度だった貿易額は、2013年に2000億ドルと20倍にも増加した。だが、それも2014年をピークに減少に転じたのである。

中国商務部のデータを基に筆者作成

中国商務部によれば、アフリカにおける中国の貿易パートナーの「トップ10」は、南アフリカ、アンドラ、エジプト、ナイジェリア、アルジェリア、ガーナ、ケニア、エチオピア、タンザニア、モロッコの順であり、その国々の対中輸出の主要産品のほとんどが資源である。

個別に見ると、貿易パートナー1位の南アフリカは中国に鉱物資源を輸出、2位のアンゴラは原油を輸出しているが、それぞれ2013年、2014年をピークに下落している。ちなみに、下落現象はこの2ヵ国に限ったことではない。

中国商務部のデータを基に筆者作成

背景には、2005〜2012年にかけての国際商品市場での原油、鉄鉱石、非鉄、穀物などのコモディティ需要の累積的拡大と、2011年以降に顕著となった中国経済の減速がある。

資源・食糧問題研究所代表の柴田明夫氏は、2014年をピークに下落に転じたアンゴラの原油の対中輸出について、「コモディティの市場価格を歴史的水準に押し上げるという『スーパーサイクル』が2013年に終焉し、価格は下落基調に転じた」と指摘する。

その一方で、柴田氏は「『一帯一路』における中国の開発発展の主軸が、資源ブームに乗ったアフリカから中央アジアに移ったのではないか」と分析している。確かに、中国の「第13次五ヵ年計画(2016〜2020年)」が打ち出した「一帯一路」の主要6大ルートには、アフリカが含まれていない。

中国の専門媒体「オイルオブザーバー」よれば、中国の原油の輸入相手国は「非OPEC(石油輸出国機構)」にシフトする傾向があるという。中国への石油輸出国の順位はロシアを筆頭に、サウジ、アンゴラの順だが、「中国にはロシアからのパイプラインによる輸入、カザフスタンからの開発輸入に期待がある」(柴田氏)。アンゴラはOPECメンバー国だが、ロシアもカザフスタンはそうではない。

ちなみに、中国の原油の輸入量は今年、過去最高に達した。これについて柴田氏は「軍事用、輸送用の戦略石油備蓄を増やしている可能性がある」とコメントする。

資源バブルが終わりアフリカブームは終わったか

アフリカ経済は、資源価格の落ち込みで大打撃を受けている。これに伴う本国通貨の下落を阻止するため、現地では外貨管理を統制したり、脱税を摘発したりするなど、規制強化に乗り出しているようだ。多くの中国人が帰国の途に就いているのは、治安悪化のためだとも言われている。

他方、「一帯一路」の参加国として中国と協議を結んだ国もジブチ、エジプト、エチオピア、ケニアの4ヵ国にとどまる。中国では第13次五ヵ年計画に盛り込まれた「一帯一路」の主要なルートにアフリカへの経路は含まれていないことからか、2017年5月に中国で国際合作サミットに参加したアフリカの国も、ケニアとエチオピアだけだった。

中国の電子メディアには、金融の専門家が書いた「過去10年にわたってアフリカに対して行われた融資も、近年は『一帯一路』の参加国に振り向けられるようになった」とするコラムが掲載されている。中国の企業は新たに資金が向かう先へと、すでに投資の目的地を変更してしまった可能性がある。

アフリカも時々刻々と変化する。2015年から2016年にかけて、多くのアフリカの国々が発展計画を打ち出し、同時に貿易政策の見直しを図った。キーワードに据えられたのが「環境保護」と「品質重視」だったことからも、アフリカ諸国は従来行ってきた“選択”を見直したことがうかがえる。

中国とアフリカの間に存在した“資源開発バブル”は終わったと同時に、“アフリカからの中国人退避”が物語るのは、「もっともうかる別の国へのシフト」でもある。アフリカの景気悪化とともに、「一帯一路」の政策外にアフリカが置かれたことで、対アフリカの“走出去熱”は冷めてしまったのだろうか。

また、「一帯一路」という長期的な発展を目指す枠組みを前に、アフリカの士気が落ちているのは注目に値する。アフリカは資源開発バブルがはじけた今、冷静さを取り戻し、国益とは何なのかを思考し始めた可能性は否定できない。

他方、「自由で開かれたインド太平洋戦略」、「アジア・アフリカ成長回廊」など、日本やインドが中心となって新たな外交戦略を打ち出した。こうした中で、「中国主導」が真に持続可能なものなのか、関係国が中国を選ぶのか否かは引き続き注視する必要がある。

(ジャーナリスト 姫田小夏)

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