山口淑子の訃報に接し

山口淑子が亡くなったとのこと、日経の「私の履歴書」と佐野眞一著『甘粕正彦 乱心の曠野』を思い出しました。甘粕正彦は大杉栄、伊藤野枝、伊藤の甥・橘宗一(7歳)を虐殺したとして有名ですが『乱心の曠野』では陸軍の中に真犯人がいて、甘粕は身代りにされたという見方を取っていました。満州に渡り、満州映画協会の理事長になって、李香蘭(=Li Xiang Lan、山口淑子の芸名)等を使って国策映画を作りました。日本は汪精衛(汪兆銘)の南京政府を応援、蒋介石の重慶政府は欧米の支援を受けていたので、内戦の構図でした。ウイキによれば「李香蘭は1943年(昭和18年)6月には、阿片戦争で活躍した中国の英雄・林則徐の活躍を描いた長編時代劇映画『萬世流芳』(151分)に、林則徐の弟子・潘達年の恋人(後に妻)役で主演した。この映画は、中華電影股份有限公司、中華聯合製片股份有限公司、満洲映畫協會の3社による合作で、阿片戦争敗北100周年記念に作られた映画であった。中国全土で映画が封切られるや、劇中、彼女が歌った主題歌「賣糖歌」と挿入歌「戒煙歌」も大ヒットしたが、映画『萬世流芳』は、中国映画史上初の大ヒットとなったのである。また内容は、阿片戦争の相手国であったイギリスを当時の日本に見立てて、中国民衆の抗日意識を鼓舞するものだった。」とあります。日本の映画会社だけでなく、中国の映画会社との合作で戦争中と言えども複雑な所です。再度ウイキによれば「日本の敗戦後、中華民國政府から売国奴(漢奸)の廉で軍事裁判にかけられた。李香蘭は来週、上海競馬場で銃殺刑に処せられるだろうなどという予測記事が新聞に書かれ、あわや死刑かと思われた。しかし奉天時代の親友リューバの働きにより、北京の両親の元から日本の戸籍謄本が届けられ、日本国籍であるということが証明され、漢奸罪は適用されず、国外追放となった。」とあり、確か日経の「私の履歴書」にもその経緯が描かれていたと思います。でも何の目的もなく、中国が帰すとは思えず、何らかの因果(将来中国のために働くこと)を含められていたかもしれません。中帰連(中国帰還者連絡会)のメンバーのように洗脳されてから帰国を許されたのと同じだったかも。ただ参院議員時代の彼女の仕事ぶりについて、中国有利になるようにしたかまでは記憶がありませんが。時代に翻弄された一人であったことは間違いありません。甘粕は1945年8月20日に毒薬を飲んで自殺しました。また蒋介石は漢奸として汪精衛の墓を爆破して暴きました。こんなことをする蒋介石の「以徳報怨」演説も裏があると思いませんか?一説によればアメリカの圧力があったとのこと。蒋介石は台湾で2・28事件を起こし、知識人等を2~3万人を殺しました。中国人は恐ろしい。

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