高山正之『アメリカと中国は偉そうに嘘をつく』について

9/23時事「慰安婦像設置を支持=米サンフランシスコ市議会」とありました。歴史戦で中国・韓国に負けています。領事館・外務省は動いた形跡がないとのこと。朝日新聞の捏造記事から日本人の名誉がこれだけ傷つけられているのに、何とも思っていない人が多いのでは。でないともっともっと朝日の購読者が減っても良いはずですが。「お前のおじいさんは銃を突き付けてレイプした」と嘘を言われて怒らない人はいないと思いたいです。でも今の日本人は「自分に関係ない」と思っている人が多いのでしょう。悲しいことです。そうでなければもっと大々的に反慰安婦像・反朝日の運動になると思うのですが。

高山氏のこの本にもありますように一番悪いのは米国です。メキシコ・スペインと戦争して領土を広げ、西部開拓して海にぶつかり、太平洋を越えてハワイ、グアム、フィリピンを手中に収めました。イチャモンをつけてシマを拡大するやり方はヤクザそのものです。東京裁判で日本を侵略国家と定義したのはチャンチャラおかしい。

中国は遅れて来たアメリカです。似たような発想をするので、真面目な日本人とは合わないのでしょう。でも中国の属国になったら、チベット・ウイグル・内蒙古と同じ運命を辿ります。現実を考えますと今は米国と一緒になって中国と対峙しなければ。岡崎久彦は「アングロサクソンと手を結んでいれば日本は安泰」と言っていたと思います。彼の言うことが正しいかどうかは分かりませんが、少なくとも日露戦争に勝ったのは日英同盟があったからです。当時最大の版図(=植民地領有が最大)を持ち、今の価値基準では悪の帝国と看做されるところと手を結んで、日本の生存を図りました。結果だけを見れば、昭和の軍人は理想を追い求めすぎて世界を敵に回し、大日本帝国を解体してしまいました。その失敗から反省すれば、米国と手を結ぶことが、日本の生き残る唯一の道です。GDP世界第一位の米国と世界第三位の日本(中国は統計を誤魔化しているので本当は第二位との説もあります)が手を組めば、中国+ロシア(米国の1/8のGD)連合とも勝てます。

外務省と朝日新聞、東大の劣化は甚だしい。エリートとか権威と言われる人達の生き様が如何に薄汚れているかという事です。単なる記憶力をベースにした学力レベルが高いだけで、「一旦緩急あれば」の覚悟を持ち合わせていない連中です。無様としか言いようがない。道徳の教育が小学校は2018年、中学校は2019年から完全実施されるとのこと。「人間は何のために生きるか」(金は手段であって目的ではない)、「どのように生きるか」を考えさせるテキストを使ってやってほしい。

沖縄も今のままだったら中国に取られるでしょう。利権に敏い翁長を県知事に選ぶくらいですから。元に戻して施政権をアメリカに返した方が良いでしょう。米国と違い、如何に日本政府が寛大だったか肌身で感じると思います。龍柱を建てようとする翁長に連なる連中はスパイ罪で監獄行きかも。

内容

P.42~49

日本外交は日米開戦の日から一八〇度暗転した

十九世紀初め、メキシコ大使に出るジョエル・ポインセットに国務長官が言った。「騒ぎを起こせ。それが君の役目だ」。騒ぎになれば米国が介入し、軍を出して領上も利権も手に人れる。それが米国の外交戦略だった。 彼はそれでメキシコの反政府運動をたきつけたが、土壇場でばれて首魅は処刑された。 ポインセツトは国外追放とされたが、メキシコを出るとき山辺に咲く赤い花を持って帰る余裕はあった。クリスマスに見ごろになるその花は評判になり、彼に因んでボインセチアの名がついた。破廉恥な男でもきれいな花言葉で飾ってしまう。この国のいかがわしさを端的に示す事例だ。

彼は失敗したが「騒ぎを起こせ」外交は他では成果を上げた。十九世紀末にはハワイ王朝の「邪悪で淫乱な女王」(ステイーブンス米公使)と米国人が対立する騒ぎが起きた。米国は軍鑑を送ってハワイ王朝を倒して傀儡政権ハワイ共和国をたてた。

キユーパでは港に入った米戦艦「メイン」が不審な爆発を起こして沈没する騒ぎも起きた。

米国はこれを口実にキューバ内戦に介入してキューバを保護国にしてしまった。

二十世紀早々、米国が運河建設に最適と見ていたコロンビアのパナマ州で都合よく「分離独 立騒ぎが起き」(セオドア・ルーズベルト)ると、米軍が派遣され、親米傀儡政権が独立を宣言し、米国はその尽力のお礼にと運河建設に必要な用地をもらった。

なんでも米国の思い通り。ただ思わぬ批判も出た。ハワイを盗ったとき、日本が巡洋艦「浪速」を送ってきた。艦長東郷平八郎はハワイ王朝滅亡を悼み、米愧儡政権樹立を祝う祝砲を拒否した。世界はその小気味よさに快哉し、海軍省次官だったセオドアは激怒したが、それで米外交戦略が変わることはなかった。

次の標的は再びメキシコだった。赴任する大使へンリー・ウイルソンはウッドロー•ウイル ソン大統領から「反米のマデロ大統領を潰せ」(ルイス•フイッシャー『石油帝国主義』)と命 じられた。

一九一三年、米大使の支援を受けたウェルタ将軍がクーデターを起こし、マデロは処刑された。大統領夫人やその家族も処分しようとしたが、日本公使館に逃げ込んだ後だった。ヘンリーはそれがどうした、反乱軍には米国がついている、やっちまえとけしかけ、公使館は反乱軍に包囲された。

このとき正面ドアに公使堀ロ九萬一が現れた。堀ロ大学の父だ。幾十の銃口が向けられる中、 日の丸を敷いて「大統領夫人を捕えたいなら私を殺し、日の丸を踏んで館内に入れ。日本と戦争する覚悟でやれ」と大音声した。

気圧された反乱軍が引き揚げると堀ロはウエルタに掛け合い、夫人らの通行の安全を取りつけて、パリに亡命させた。

命を賭して筋を通した堀ロに世界は称賛を送り、米国は再び日本によって世界から蔑みの視線を浴びた。ウッドローはセオドア以上に日本を恨んだ。彼は第一次大我後パリ会議で日本の人種平等法案を潰し、今の国連安保理に相当する十人委員会を廃して日本を追い出し、“ 仏伊の四大国による運営に切り替えた。日本の発言権は封じられた。

その少し前に清王朝の西太后が失意の中で死んだ。遺体は歴代満州王朝の皇帝が眠る東陵に埋葬された。

二十年後、国民政府軍の孫殿英がその東陵を盗掘した。

西太后と乾隆帝の玄室が破壊され、高価な副葬品が洗いざらい盗まれた。西太后の棺は壊さ れ、兵が死姦した。彼女の口中にあった夜明珠も盗られた。

蒋介石は怒った。満州人の墓を暴いたのはともかく、分け前のないことを怒った。それで孫殿英はかなりの盗掘品を蔣に贈った。西太后の夜明珠は宋美齢が気に入って長い間彼女のスリッパを飾った。

漢人の盗掘を聞いて天津に軟禁されていた溥儀は怒り「満州国を再興し、この恥辱を晴らす」覚悟を決めた。彼は日本の支援を得て天津を脱出し、満州族の故郷満州に戻って一九三二年三月、満州国を建国した。 

これに米国が文句をつけた。日本は傀儡政権をつくってすぐ承認し満州の権益を独占する気 だろうと。この盗人国家はよその国も自分と同じ発想だと頭から思い込んでいた。

しかし三か月過ぎても日本は承認しない。承認したら叩こうと待つ米紙記者がしびれを切らして外務省惰報部長白鳥敏夫に聞いた。

白鳥は「日本は急がない。建設すべき運河がないから」と答えた。セオドアが奸計を用いてパナマを独立させ、傀儡政権を置くや、すぐに承認して運河掘削を始めた。それを痛烈に皮肉った。世の中、利権漁り以外の真摯な国家関係もあると諭したわけだ。 米紙記者は言葉に詰まり、米政府はまたまた赤面した。

戦前の日本外交は立派だった。筋を通し、ときには皮肉る余裕もあった。それが開戦の日に 一度暗転した。ワシントンの大使館員井口貞夫と奥村勝蔵は開戦前の緊張感もなく遊びまわって開戦の通告を遅らせ、結果、日本に卑怯者の汚名を着せた。 万死に値する二人はともに戦後、外務次官になった。外務省は日本人に背を向けた。

七〇年代、パレスチナ・ゲリラが次々西側の大使館を襲った。スーダンではサウジアラビア大使館主催のパーティーが襲われ、招待客の米大使クリオー・ノエルが人質にされた。数日のち、彼は妻に別れを告げて裏庭で処刑された。最後まで堂々としていた。

クゥートの日本大使館も襲撃され、女子更衣室に隠れていた石川良孝大使が引きずり出された。彼は日本に泣きながら命乞いの電話をした。世界は啞然としたが、石川大使はのちに栄転した。

北京の新設日本大使館が支那人の嫌がらせで使えない。それで支那の言うまま「名古屋の支 那領事館建設に協力する」旨の口上書を外務省が書いた。 名古屋市民が嫌がっているのに、とそれを怒る声がある。

戦後の外務省は変わった。まともさの片鱗も残っていない。日本に背を向けたままの外務省 は廃止したほうが国益に叶う。

アメリカのポチは朝日新聞だった

八〇年代、米国は不景気だった。雇用創設のため、各州の事務所が赤坂溜池辺りに軒を連ね、 我が州に進出してくださいと日本企業に頼んで歩いた。どっちが敗戦国なのか分からない体たらくだった。

米国の自動車産業も落ち目で、BMWやベンツ、アウディが市場を席巻していた。 そのうちアウディが電子制御のエンジンを搭載して、GMなどは真っ青になったものだ。 ところがその最新鋭電子制御が狂って制御不能のまま暴走し、何十人かが死傷した。落ち込んでいた米紙が妬みを込めて虚実ないまぜ、悪態の百も書き連ねた。

かくてアウディは市場占有率を八五%も減らし、米国から駆逐された。日本のオーディオ機器もとばっちりで連邦議会議員に斧でぶっ壊された。

それから二十年、ビッグスリーが次々こけてトヨタに全米販売台数一位を奪われた。状況は八〇年代に似てきた中で〇九年八月、サンディエゴ市警に911通報が入った。レクサスの運転者からで「アクセルが戻らない。ブレーキも効かない」の音声を残して交差点で衝突炎上、 本人と妻子を含む四人が死んだ。時速一九〇キロは出ていたという。

米社会はアウディのときより燃えた。トヨ夕の電子制御欠陥が米市民を殺したと新聞が騒ぎ、 イリノイ大のデビッド・ギルバート准教授はレクサスが制御不能に陥るさまをタコメー夕—で映像化してABCテレビで流した。

ラフード運輸長官は「トヨタに乗るな」と絶叫し、トヨタの豊田章男社長が連邦議会公聴会に呼び出されて聞くに堪えない悪態をつかれた。豊田は謝罪し、原因究明を誓った。

日本の不幸はこういうとき朝日新聞以下が米国側についてトヨ夕を責めることだ。朝日の主筆(当時)船橋洋ーは「いまや米社会ではトヨタは欠陥の代名詞になった」と書き、夕刊素粒子はプリウスを買って損をしたと、揶揄と当てこすりを続けた。船橋も朝日の特派員も米国人をマスター(ご主人様)と呼ぶ。なんでもご主人様のおっしゃる通りに書く。

米国ではこの十年間、トヨタ車で死んだ八十九人の遺族がPL法でトヨ夕を訴える準備を始め「総額は一兆円になる、トヨタはアウディになる」と米紙は書いた。

ところが米運輸省交通安全委がサンディエゴでの事故車を含めた二十三台を一年かけて徹底調査した結果、欠陥は見つからなかった。「ラフードは調査結果を伏せるよう命じ」(安全委の一人、G.パーソン)、事故車を米科学アカデミーに再調査させた。それでも欠陥が見つからず、ついにはNASAに持ち込んだが、それでもトヨ夕はシロだった。

この一連の調査でイリノイ大のギルバート教授はタコメーター記録を捏造していたこと、また暴走被害をいう者の多くがトヨタからカネを巻き上げようとした詐欺漢だったことを認めた。

かくてニ年半も過ぎてから、米科学アカデミーはやっとトヨタの無罪を認めた。ラフードはとぼけ、米紙は書くには書いたが「無罪だが無実ではない」だと。

そしてGM社がトヨタを抜いて販売台数トップに返り咲いた記事では「トヨタは津波とタイの洪水で生産を落とした」と。

違うだろう。米国が中傷しまくって追い落としたからだろう。もっと恥ずかしいのはそのトヨタ無実を日本のワシントン特派員の誰もが大書しなかったことだ。米国のあくどさを書くとご主人様に怒られるのか。

東大もアメリカに媚びるのはやめよ

東大が米国など主に白人国家に合わせて秋入学にすると言い出した。なぜなら半年もずれる と「いい人材が集まらない」からという。意味が分からない。ほんとに東大に魅力があれば半年くらいみんな待つものだ。それでも待てないというなら、春に加えて秋入学を認めればいい話だ。現にいまや偏差値最高を誇る秋田の国際教養大学(中島嶺雄氏が学長だった)はその秋入学で人材を集めている。

だいたい東大に肝心の魅力があるのか。教授陣と言えばまず姜尚中(当時)やロバート•キヤンべルだ。姜は強制連行とまだ言い立て、キヤンべルはトヨ夕騒ぎを「あれはトヨタバッシングではない」と見え見えの嘘をついた。

優秀な人材は日本にいる。いま世界を潤す小麦の品種もステルス技術も光ファィバーもみな 日本人が発明し、オランダ人か米国人か支那人が盗んだものだ。日本人の知恵がなければ世界 は進歩しない。

由紀さおりはPPM (ピーター.ポール&マリー)の歌まで日本語で堂々歌い、ジャズ部門 1位を取った。東大も媚びずに堂々春入学で通すがいい。

P.116~120

世界は日本人の知恵と頭脳に頼ってきた

エジソンを発明家というのは当たらない。例えば彼が大金持ちになった電球にしたって原理は英国人の発明をそのまま、フィラメントの素材をちょっと変えただけだった。それを大宣伝して特許をぶっかけ、あとは類似品を片っ端から訴えてカネにした。 被害者の中には日本企業も並ぶ。彼の特許とはまったく別製法なのに、エジソンが創ったGE社に特許侵害で訴えられた。南カリフォルニア地裁の裁判は人種差別は公認。特許の拡大解釈という禁じ手まで使われて日本は大負けを喫した。

光ファイバーは東北大の西沢潤一の発明だ。馬鹿な特許庁役人が「つまらん」とか言って特許を出さなかった隙に米コーニング社がアイデアを姿んで特許を取った。それで西沢理論を製品化した住友を訴えた。結果はエジソンのときと同じ。米法廷は違法な拡大解釈をやって、住友は大負けした。

十九歳のビル・ゲイツはIBMがコンピユーターのOSを公募しているのを知って、知り合いが持つOSをたった五万ドルで買って応募した。IBMがそれを採用するや、弁護上の父が、出てきてOSをいくつもの特許でくるんで、採用したIBMもカネを払わなければ使えないようにした。

「特許とは天才の炎に利益という油を注ぐ制度」というリンカーンの言葉が米商務省の入り口 に記される。金になるなら企業は盗み、法廷も平気で法を曲げる。それが米国だ。

日本はどうか。例えばクォーツだ。キユリー夫人の亭主ピエ-ルが水晶に電気を通すと正確に振動することを発見した。

それって時計に最適ではないかと米国べル研究所がクォーツ時計を創った。ただ時計にくっつける振動部分が洋服ダンスほどもあった。どの指も親指みたいな米国人にはそれが限界だが、精工舎は営々小型化を試み昭和四十四年、洋眼ダンスを腕時計に納めた。

正確無比のクォーツ時計の特許を日本企業が持った。米国人は世界の腕時計をすべて変えてしまう精工舎はいったいどれほど儲けるのか嫉妬に狂い、スィスはハィジの童話しか売れない貧しい小国に落ちることを危惧した。

しかし日本人は米国人ではなかった。精工舎はクォーツ小型化の特許を公開してみんなが正確な時計を持てるようにした。

日本ではかつて十五歳の少年が多極真空管という世界的な発明をやってのけた。松下幸之助 は日本の将来を思い、その特許を少年から買い取って特許を公開し、SONYなど世界的な企業を輩出する礎をつくった。精工舎もそれに做ったのだ。

世界は日本人を理解できなかったが、それが強欲な米国人でなかったことを今更のように喜 んだ。もっとも当の米国はこういう日本の善意を予想できず、対応を誤って米時計工業会は全滅してしまった。今では精工舎を逆恨みしている。度し難い国だ。

ドイツのルドルフ・デイーゼルが高圧空気に燃料を吹き込むとガソリンエンジンより大きな馬力が得られることを見つけた。構造は簡単。燃費は格安とくる。ただエンジンには頑丈さが必要で、洋服ダンスどころか部屋いっぱいのスペースが必要だった。それでデイーゼルエンジンは大型船とか機関車とかのみに使われた。

山岡孫吉はそんなデイーゼルをもっと小さくすることを考え、昭和八年、ヤンマーデイーゼルを生んだ。小さなデイーゼルエンジンは以来、車にも耕耘機にも小さな漁船にも搭載された。

それがいかに世界に貢献したかは山岡のエンジンが本家ドイツの博物館に展示されていることでも分かる。

世界が日本の知恵を願っている。そして今、最も期待しているのが原子力発電炉だ。 最初、英国はコールダーホール型を出した。黒鉛ブロックを積み上げた炉は地震と火事に弱い。日本は導入して早々に廃炉にした。ロシアは技術のすべてを英国から盗んでいた。黒鉛炉も盗んで真似てつくったらチエルノブイリで火災を起こし、爆発した。

米国はGEとライバルのウエステイングハウスが沸騰水型と加圧水型を出した。日本が入れてみると両方とも材質も設計もだめだった。GE炉は万一のときのベントもなかった。

 不具合を直すにもまず米国の傲慢な特許が邪魔し、それを乗り越えると核アレルギーを煽る愚かな朝日新聞が待っていた。米国製ゆえの不具合が見つかるたびに騒ぎ、地元自治体が便乗 してカネをたかる。福島県はその脅しで二百億円を東電からせしめた。新聞拡張などのおこぼれにあずかった朝日はそれを「寄付」と書く。

だから最悪を想定する無人ロボットも導入できなかった。入れれば朝日が「人も立ち入れないほどの事故が起きるのか」と騒ぎ、自治体の恐喝が始まる。そんな中で日立も東芝も三菱も安全な国産原子炉を生み出した。

技術も知恵も敵わないことを悟ったGEもWHも原発部門は日本に預けた。日本ならやってくれると。

そういうとき3.11があった。朝日は喜び、京大のお荷物、小出裕章が国を滅ぼすデマを吹きまくり、アホなテレビ局はそれが刺激的だからというだけで反原発を支持してまともな原発論者を排した。

ズパリ辛口で本音を言うはずの辛坊治郎も勝谷誠彦も「原発はなくさねば」と前置きして喋らないと何も言えなくなった。彼らも迎合した。

そんな日本に安全な原発を期待してきた世界は戸惑う。スリーマイルもチェルノブィリも一基でぶっ飛んだ。日本は四基同時なのに見事にマネージした。

おまけにもとは欠陥の象徴GE製。まるで神業だ。日本はそれを誇ろうともせず逆に馬鹿な新聞や政治家が原発を潰せと喚き回る。

次世代のエネルギー政策は日本抜きでは考えられない。IAEAも含め世界は本気で民主党政権の言う愚かな脱原発論を怒っている。

P259~261

沖縄をアメリカに返してやったらいい

米国は先の戦争で沖緹だけは何人戦死しようと構わず取りにきた。ハワイ、グアムにつながる太平洋横断の戦略拠点にするつもりだったからだ。だからサンフランシスコ講和条約でも米領で残した。

しかし沖純の民は日本人のままだった。屋良朝苗は「日の丸を立てたい」と訴え、本土復帰前の昭和四十ニ年、米国は日の丸の掲揚を認めた。みんな日の丸に泣いた。

ケビン• メアは今の沖禅人が政府から好きに補助金をたかっていると指摘したが、米政府はその一万倍、あくどかった。

財政破綻中のニクソンには基地は必要でも百万沖縄人はいらなかった。で、佐藤栄作に施政 権を返す。その代わり基地の維持費用も人件費もみな日本が負担しろと強請った。

栄作はそれで屋良朝苗の思いが叶うならとOKした。日本以外の在外米軍基地はみな米国が 経費を負担する。常識外の取引だった。

かくて日本人の血税を注ぎ込んで沖縛が戻ってきたが、沖縄の人々はそれに感謝もせずに 「基地も出ていけ」と言い出した。 沖縄は戦争で取られた。取り返すにはもう一度米国と戦争せねばならない。 今は無理というと「俺たちは支那にくっつく手立てもある」と脅す。政府は宥めるために毎年三千七百億円の摑み金と基地の街に別途数百億円をばらまいている。

彼らはそれでも不満で、先の知事選ではたかりだけに生きる翁長雄志を選んだ。彼を黙らす 摑み金は今の財政では無理。再度の日米戦争はもっと無理だ。

でも、ただ1つだけ手段がある。沖縄の施政権を米国に返せばいい。そうすれば基地負担金もいらない。翁長は今後はホワイトハウスに抗議に行けばいい。再度の日米戦争も避けられる。

何より米国が持てば支那に沖縄が持っていかれる心配も消えるのではないか。

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