4/22阿波羅新聞網<美癌症中心开除3华裔教授 知情者披露内情=米国癌センターは3人の中国系教授を追放 情報通が内幕を暴露>米国国立衛生研究所(NIH)の所長であるフランシスコリンズ博士が米国の大学は「内なる敵」を追放すると発表してから1週間後、世界第一位にランクされるMDアンダーソン癌センターが率先して3人の中国系教授の追放を発表した。アンダーソン癌センターは、追放された人の名前を明らかにしなかったが、情報通は最近突然離職した何人かの教授の名を大紀元に明らかにした。 彼らは1年以上に亘りFBIによって調査されていた。
3人は謝某、黄某、台湾から来た洪某である。(某は不明を表す)
アンダーソン癌センター
台湾にも中共に加担しているのがいるという事です。今後益々米国は中共に対する締め付けを厳しくすると思います。日本企業はボーっとしていると制裁を食らうでしょう。
https://www.aboluowang.com/2019/0422/1278507.html
4/21看中国<公司年利润770亿 一生献台湾的半导体之父(组图)=TSMCは年間利益が770億台湾$ 一生を台湾に捧げた台湾半導体の父>半導体業界を理解している人はTSMCの名は必ず知っている。TSMCは世界最大のファウンドリであり、ほとんどのチップ設計業者はTSMCなしでは造れない。 TSMCの創業者は、有名な起業家・張忠謀である。
Texas Instrumentsの社長になる
張忠謀は1931年浙江省寧波市で生まれた。父の張蔚観は鄞県の財政所長をし、1932年に南京に移り、1937年には広州に移った。日本との戦争が始まり、一家はしょっちゅう引越し、寧波から南京、香港へと転居した。
1941年に太平洋戦争が勃発し、日本軍が香港を占領した。 1943年に重慶に移り、重慶南海中学校に入学した。 1945年には戦争に勝ち、上海に引っ越し、上海南陽モデル高に入学した。 1948年、国共内戦で、一家は香港へ移った。
1949年にハーバード大学で勉強するために米国ボストンに行き、翌年にはマサチューセッツ工科大学(MIT)の機械工学科に転学し、1952年にはMITの機械工学の学士号と修士号を取得した。
張忠謀は機械工学の専攻で、学校では一生懸命勉強したので、ずっと最高にランクされていた。 卒業後、張忠謀は機械関係の仕事に従事せず、半導体業界に入った。この業界を良く理解するため張忠謀は、昼間は働き、夜は勉強した。ゆっくりと半導体を理解し出していた。
27歳のとき、彼は半導体業界の雄だったTexas Instrumentsに入社し、41歳で、副社長になった。 1964年、彼はスタンフォード大学で電気工学の博士号を取得した。
TSMC設立
52歳の時、彼はTexas Instrumentsの戦略は時代の趨勢に合致していないと考え、そこを離れた。当時の張忠謀の見解は正しかった。Texas Instrumentsは既に衰退している。
1985年、孫運の招きに応じ、台湾・工業技術研究院の院長を務め、同時に聯華電子の会長を兼任し、翌年には、縁があってオランダのPhilipsと工業技術研究院が合弁でTSMCを作り、会長兼社長となった。
今日、TSMCはすでに半導体業界の覇主となっており、華為やAppleのチップ設計者だけがTSMCのファウンドリを使っているのではなく、ファウンドリのIntelもTSMCに製造委託している。 その理由は、TSMCの高度な技術が顧客のニーズを満たし、現在5NMチップの試作を準備して半導体業界をリードしている。
張忠謀によって設立されたTSMCは、最も収益性の高い企業の1つで、2018年の純利益は770億元であった。張忠謀の起業家としての道程を振り返ると、彼は一生懸命勉強し仕事を愛する人であることがわかるし、それが成功の原因である。
https://www.secretchina.com/news/gb/2019/04/21/891175.html
4/21希望之声<(组图)郭台铭若能带他这顶帽子见习近平 才是“真老虎男子汉”=郭台銘がこの帽子を被り習近平と会うのなら、郭は本当の虎漢である>鴻海集団の会長である郭台銘は、先週、2020年の台湾大統領に出馬すると発表した。中国のメディアは、さまざまな方法で彼の被った帽子にある中華民国の国旗を覆い隠した。郭台銘は最近、「民主主義では食べられない」との言い草で、中華民国の蔡英文総統と空中戦を始めた。 蘇貞昌行政院長は、4/21に「郭台銘は自分が総統になれば、台湾の自由で民主的な社会は必要ないと考えている。もし彼がこの中華民国国旗を象った帽子を被り習近平と会うのなら、郭は本当の虎漢である」と。
4/17郭台銘は中華民国国旗を象った帽子を被り淡水の行天武聖宮を参拝
https://www.soundofhope.org/gb/2019/04/21/n2823048.html
張忠謀と郭台銘の二人を比べれば、同じ本省人でもこんなに違うのかと思います。張忠謀は日中戦争に翻弄されたが、向学心は止まず、米国に渡って勉強したことが大きかっと思います。台湾の自由と民主主義を守るために彼は戦うでしょう。翻って郭台銘は典型的な中国政商です。阿漕なことが平気ででき、平気で嘘をつくタイプです。深圳にあった台湾人経営の洗壜工場の人権無視な作業環境や住環境を思い出します。
鴻海が中国大陸に持っている富士康の工場は従業員の飛び降り自殺で有名になりました。人権無視の働かせ方をしていたからでしょう。トランプは郭の中国での生産を許さなくするでしょうから、TSMCは生き延び、鴻海は衰退していくのでは。
東大名誉教授の中川威雄氏は郭の投資判断の速さに驚いていますが、ソフトバンクの孫と同じで、単に博奕が好きなだけでしょう。中川氏こそが日本の産業空洞化を推し進めた戦犯なのにその自覚がありません。シャープの佐々木正副社長と同じです。こういう似非エリート達が日本をダメにしてきて、不祥事が多発する社会にしてしまったと考えます。
記事
鴻海(ホンハイ)精密工業の郭台銘会長。米ウィスコンシン州で(2018年6月28日撮影)。(c)Brendan Smialowski / AFP〔AFPBB News〕
電子機器の受託製造サービス(EMS)世界最大手である台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業の郭台銘(テリー・ゴウ)董事長(68)が2019年4月17日に、2020年1月の総統選に出馬する意向を正式表明した。
中国との融和路線の最大野党・国民党は、2019年4月17日に式典を開催し、郭氏に資金面で貢献したことで「栄誉賞」を授与した。郭氏は、そのあいさつで「(総統選出馬に向け)党内の予備選に参加する」と表明したのだ。
「媽祖のお告げ」で出馬を決意
その日の午前には幼少期を過ごした台北郊外の板橋の道教寺院「慈恵宮」を参拝し、この寺院に祭られる台湾で有名な海の女神「媽祖(まそ)」が2日前に夢に現れ、立候補するよう告げられたと語ったのだという。
郭氏は、中国に多数の工場を保有しているとともに、中国広州に10.5世代液晶工場、珠海に半導体工場を計画し、習近平国家主席とも良好な関係を築いている。また、米国では、ウィスコンシン州に6世代の液晶工場を建設予定し、トランプ大統領に食い込んでいる。日本では、2016年にシャープを傘下に収め、シャープ再建につなげた。
このように郭氏は、台湾産業界のトップとして、中台米日の4カ国で事業を展開してきた実績を持っている。
しかし、郭氏の総統選出馬に伴い、日常業務や会長職から遠ざかる可能性があることから、鴻海やシャープの経営に影響する。また、中台米日の4カ国でパワーバランスが激変するするリスクがある。
この、鴻海・郭董事長の台湾総統選へ出馬に伴う、鴻海やシャープの経営への影響、中台米日の4カ国の状況とパワーバランスの変動を、分かりやすいように先取りして【図1】に示しておく。
郭台銘氏の関係者へのインタビューを元に、創業と鴻海への発展過程から郭氏の経営理念、さらに鴻海、シャープへの影響、そして中台米日の4カ国のパワーバランスの激変リスクについて述べてみたいと思う。
【図1】郭董事長を取り巻く中台米日4カ国のパワーバランス (筆者作成)
「外省人」の両親から生まれた郭台銘
郭氏の両親は中国山西省の出身である。中国共産党の支配を恐れて台湾に渡った人々は、やがて現地で「外省人」と呼ばれた。両親が台湾移住後まもなく板橋の「慈恵宮」に住み込んだことから、郭台銘氏は「慈恵宮」で、1950年10月8日に生を受けた(『野心 郭台銘伝』安田峰俊著、プレジデント社、2016年)。
この生立ちが、「外省人」の中国への恩返しと、道教への信心という、現在の考え方に影響している。
郭氏は24歳の時、2人の友人とともに「鴻海プラスチック工業有限公司」を1974年2月に設立した。従業員は15人で、白黒テレビの選局つまみをプラスチック成型していた(『野心 郭台銘伝』)。それからわずか3年後の1977年には自社の金型工場をつくる決断をし「積極投資」する。1982年に社名を「鴻海精密工業」に変更した。
その後、「鴻海精密工業」はどのように発展していったのか?
私は鴻海特別顧問でファインテック会長である中川威雄氏に、2016年5月13日に面談する機会を得た。中川氏は、東京大学の名誉教授であり、機械加工の世界的権威者である。その時のやり取りを、拙著『シャープ再生』から一部抜粋しよう。
「私が鴻海の郭台銘董事長と最初に出会ったのは、1988年にシンガポールで行われた第2回金型国際会議の席でした。当時は従業員240人程で、普通の射出成形屋さんでした。(中略)その後、私が東京大学を60歳で定年となったのを機に、1999年4月から鴻海の技術顧問となりました」
「顧問となって最初に中国深圳工場で郭董事長に会った時、質問がありました。『何をやったらいいのか』と、聞かれたので、当時日本で話題となっていたノートパソコンのケースを軽くするための、マグネシウム筐体のダイカストを提案しました。中国には、人件費が安く、仕上げに人手を要する仕事が向いていると思ったからです。『じゃあやろう』と、10分も話をしない間に、即断即決です。その後、ダイカスト工場は、世界最大規模の工場となり、日本から殆どの工場が消えることになりました。この時郭董事長の凄さを見た気がしました。即断即決には驚かされましたし、顧問としての自分の発言に重い責任を感じました」
――技術顧問だけでなく、創業もされましたね。
「その後間もなく、2000年10月に、郭董事長から日本に技術開発会社の創業の話が持ち込まれました。光通信のコネクターを扱う話で、こちらは自信がない分野で渋っていました。すると、郭董事長の勘違いで出資金額が跳ね上がり続け、最終的に100億円も投資する話となってしまいました」
郭董事長は、必要とあれば、100億円の投資も、「スピード重視」で「即断即決」する。
――その後、どのようにされましたか?
「携帯電話の後にスマホが現れ、アップル社は、独自のデザインを優先し、スマホのケースを金属製の高級感あふれるものにしました。このため、一台ずつ切削加工をして、また磨きを行わざるを得なくなりました。鴻海は、それに対応してなんとか力ずくでクリアしてしまいました。切削加工は、金型を使った成形のようには能率は良くないのですが、今は1日100万個を生産しています。何万台もの工作機械を夜中まで無人で動かしているのは驚きです。これだけの投資をすばやく決断して実行できることに鴻海の凄さがあると思います」
この話は、郭董事長の「経営理念」の本質を表している。
通常は、スマホのケースは、安価にするため、プラスチック材料で「射出成型」という方法で作成する。
しかし、アップル社は、こだわりがあった。「金属製の高級感あふれるものにしたい」と。
このためには、金属材料から一台ずつ削り出し、また磨きをかけて光らせざるを得なくなった。
このアップル社の要求に応えるためには、非常に高価な工作機械を、多数購入し、夜中まで動かさないといけない。
郭董事長は、ハイリスクで多額の投資を必要とする要求を受け入れることにより、アップルから仕事を取る。敢えてそれまでの規範を破壊することで、常識で動く競争他社を大きく引き離しているのである。私は、この郭董事長の経営を「規範破壊経営」と名付けた。
郭董事長のシャープへの「片思い」
その後、鴻海はシャープへ出資する。シャープから鴻海のフォックスコン・グループに移った矢野耕三氏(フォックスコン日本技研代表)から、直接話を2013年9月に聞いた。
――シャープと鴻海の交渉が暗礁に乗り上げた理由は、なんでしょうか?
「いちばん大きな理由は、中国人や台湾人との交渉をよくわかっていないということでしょう。関西のおばちゃんは必ず値切る。中国や台湾も一緒。言ってみて、できたら儲けと考える。交渉で詰めても、次の日にはもうちょっとどうにかならないかとくる。これに怒って帰ったのがシャープです。テリー(郭台銘)さんは上から目線で、これもつけてくれと中国式に交渉する。片山(シャープ片山幹雄社長(当時))さんは、本社の決済を取ったのになんだと、相性が合わなかった」
――テリー董事長は、いまでもシャープとの提携に期待されていますか?
「テリーさんは、いまでもシャープに片想いです。テリーさんの想いがシャープに伝わらない。テリーさんは、会議の席では『シャープは先生だ。そういうつもりで対応するように』と言っています」
この時は、結果として、鴻海の郭董事長は、シャープ本体への出資は行わず、シャープへの片思いは続くことになった。しかし、堺工場の運営会社には出資した。
金色マフラーで勝負
その郭董事長のシャープへの片思いが実を結ぶチャンスが巡って来た。
国内工場への過大投資によって経営が悪化したシャープは、官民ファンドの産業革新機構(INCJ)からの出資によって救済され、液晶部門はジャパンディスプレイ(JDI)と、家電部門は東芝の家電部門と統合されるはずであった。
ところが、2016年1月末、鴻海の郭董事長が来日して、シャープ経営陣と直談判し、長年の「片思い」を成就させることに成功した。この時、郭董事長は金色のマフラーを身に着けていた。これは、両親の出身地・山西省の出身で、三国志でおなじみの「関羽」にちなむものだった。関羽をまつる「関帝廟(かんていびょう)」から贈られたものと言われ、郭董事長が勝負所で身に着けているものだった。
中国・河南省で金色のマフラーを身に着ける郭台銘氏(写真:Imaginechina/アフロ)
鴻海・郭董事長の提案と産業革新機構の提案を比較し、参考として2019年2月時点の鴻海が行った実際の行動を比較して、【表1】にまとめておく。
【表1】鴻海・郭董事長と産業革新機構の提案比較と実際の対応(出典:『シャープ再建』表6-1に追記・変更)
鴻海とINCJとで綱引きされたシャープにとって最も重要な点は、支援の先に「成長戦略」を描けるかどうかだった。
産業革新機構の案では、シャープの液晶部門とJDIを統合するという同種企業の「日の丸液晶連合」を形成し、規模の経済でコストを抑えようという考え方であり、「成長戦略」が不透明だった。一方の鴻海は、郭董事長が「グローバル成長戦略」でシャープ経営陣を説得したことが、大逆転の決め手となったのである。
縁起を担いだ「値切り」交渉
しかし、鴻海の提案から3年を経た現時点から振り返ってみると、その後、「値切り」が起こっている事項があることが分かる(【表1】参照)。
社員の雇用については、「原則現状維持」としていたが、実際には2015年7月~9月に国内3500人の希望退職を実施した。
また、2016年2月24日早朝、シャープから鴻海に送られてきた「偶発債務」リストが騒動を引き起こし、交渉の結果、出資額は3888億円に落ち着いた。中国の習慣から、縁起を担いだ「八並び」の数字となった。合意してもさらに経済合理性を目指し「値切り」を試みる。
「三兎を追う」リスクが拡大
ここで見てきたように、郭台銘という人物は、即断即決型のワンマン経営者で、グローバルな視点からの成長戦略を描ける人物であり、いったん合意した内容もさらに踏み込んで「値切る」ことも厭わない経済合理性を優先する男と言える。
その郭董事長は現在、米中対立が激化する中、あえて中国で二兎、米国で一兎と、米中の双方で「三兎」を追ってきていた。三兎とは、米中でそれぞれ1兆円を超える液晶と半導体工場への投資計画である。
【表2】:郭董事長が進める中台米日の4カ国の液晶・半導体投資計画(『シャープ再建』から引用)
最初は、世界最大の10.5世代の液晶工場への投資である。広州に総額約1兆円を投資して建設する計画だ。
米中が知的財産権を巡って激突する最中、郭董事長は中国と同時に米国への接近を敢行した。トランプ大統領率いる米国に食い込むためだ。そして鴻海は2019年2月1日、ウィスコンシン州に液晶パネル工場を建設する計画を予定通り進めると改めて発表した。
さらには中国の珠海に半導体工場を建設する計画が持ち上がった。「中国製造2025」の実現に必須の半導体素子を、中国が自前で製造したいためである。
もちろんこれらの投資計画は、シャープが保有する技術をあてにするものであり、鴻海・シャープ連合なくしては成り立たない。
戴正呉社長の後継者不在のシャープ
対立する中国と米国の間に立って、郭董事長が計画推進することにより、総額3兆円の液晶・半導体投資計画が成り立っている。この中台米日の4カ国のパワーバランスは、既に【図1】に示したが、難しいバランスの上で全てを成功に導けるとしたら、経営者としての能力と経験、そして絶大な権限を持った郭董事長しかいないと思われていた。そうした中での総統選出馬なのだ。
「総統候補」としての郭氏に期待されているのは、台湾が抱える経済問題の解決だ。その有力な突破口と考えられているのが中国との経済交流であり、その分野において郭氏は過去に事業面では十分な実績を上げてきた。しかし、中国が目指す中台統一に、台湾では警戒がある。中国との距離感は非常に難しい。
郭氏は、総統選出馬に伴って、鴻海の日常業務から退くが会長職には留まる意向とのことである。郭氏は「ワンマン経営」と言われているだけに、会長職に留まるにしても、鴻海の経営にマイナスの影響が出るのは避けられないだろう。そのうえ、仮に総統に当選すれば、兼業が禁じられているため会長職も退かねばならず、もっと大きな影響が出る。
シャープにとってみれば、現状では戴正呉社長が「日本型リーダーシップ」で経営しているので、戴社長の舵取りが続く限りにおいては影響が少ないかもしれない。しかし、郭氏が鴻海の経営の一線から離れることになれば、戴正呉社長が鴻海の業務を担う可能性が出てくる。そうなれば、シャープへはマイナスの影響が出てくるだろう。最悪のケースとして、戴正呉社長がシャープを離れ、鴻海に戻ることになれば、シャープの経営は非常に大きなダメージを受けてしまうだろう。戴社長の後任として、シャープの経営を担える人材がまだ育っていないからだ。
さらに、総額3兆円のプロジェクトは、郭董事長が中心なり、中台米日の4カ国の間で絶妙なバランス感覚を発揮しながら進められている。郭董事長以外の人物がそのプロジェクトの舵取りをすることになれば、バランス感覚をうまく発揮できず、プロジェクトが崩壊するリスクさえ出てくる。
もちろん、自分の総統選出馬がこのような大きなリスクを冒すことになることを、郭董事長は百も承知だろう。それを押しても出馬しようという「真意」は、「故郷」中国に貢献したいという思いがあるからだろう。
ただそれが、鴻海やシャープ、そしてなにより台湾の人々にとって最善の選択になるのかどうかは、また別の話である。
*中田行彦氏がJBpressで書かれた記事を加筆・修正した『シャープ再建 鴻海流 スピード経営とリーダーシップ』が、啓文社より4月2日に発売されました。
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