『教科書改訂で毛沢東の文革再評価、習政権の狙い 「誤った認識」は「必要な苦労」へと改変』(9/26日経ビジネスオンライン 福島香織)について

9/28阿波羅新聞網<民心慌慌 习近平急发定心丸 央行大放水 遭遇陷阱=民心は落ち着かず 習近平は精神安定剤を急に打ち出した 中央銀行は大盤振る舞い 陥穽に嵌まるだろう>中国経済は「国進民退=国営企業を大きくし、民営企業を縮小する」であるのは疑いようもない事実である。米国への亡命学者の何清漣は「金融のレバレッジの圧力は強いため、多くの民営企業は債務危機に直面し、株価も下がり、担保がうず高く積み上がり、業績が低迷している重圧の下に国営企業の資本を受け入れようとしている。この他、年初から今までに2.8兆元も放出し、中央銀行は流動性の罠に陥るのでは。2015年に出した「国有企業改革方案」の1年前に出した案に対する意見では、殆どの民営企業の経営者は国営企業の傘下に入るのは反対であった。王健林、郭広昌、肖建華、宗慶後等公開で反対と述べた。但し、彼らは逮捕や海外からの資金還流を求められたため、今や国営企業の傘下に入りたがっている」と分析している。

注意すべきは、国営企業に株を移す時に、58.06%を超える場合には無償譲渡か行政の持ち分に振り替えなければならない。北京金一文化発展株式会社は公告で「大株主に1元で株を譲渡した」と公表、会社の売った先は北京の海淀区の国家資産委員会である。

この2年間で、金融市場の変化に伴い、投資者はリスクに対して忌避する態度になり、高収益追求から安全追求へと変わった。言ってみれば、中央銀行が通貨膨張や低利の政策を止めなくても、資金は貨幣マーケットファンドに入るのみである。極端に低い金利でも意に介さなくなっている。

http://www.aboluowang.com/2018/0928/1180990.html

9/27阿波羅新聞網<北京陷空前孤立 习近平四字方针泄密了!中南海万般无奈=北京は空前の孤立に陥る 習近平の4字(自力更生)の方針が明るみに! 中南海は何もできず>中共の習近平総書記は25日(火)に黒竜江省視察に行き、「農業改革は国有農場を発展させ続けることだ。世界の先進技術、鍵となる技術は益々獲得が難しくなってきた(当り前で今まで盗み放題してきたから)。中国は自力更生しなければならない。時事評論家の文昭は「自力更生では戦略的優勢は獲得できない」と述べた。中共は益々孤立したので、「自力更生」は、実際は止むにやまれずと言ったところ。

9/25米日欧の貿易担当大臣会議は共同声明を発表し、「第三国(中国のこと)の政府補助金、強制技術移転、政府の市場介入」を非難した。中共の貿易政策、特に「中国製造2025」を狙ったものであることは明らかである。これは米日欧が北京を封じ込める戦線を形成したことを意味し、北京の「欧州連携・対抗米国」、「日本連携・対抗米国」の期待は外れた。

北京は世界の中で徐々に孤立させられ、国内経済も貿易戦のせいで危機に陥っている。当局は社会をコントロールするのに全力を挙げ、言論の自由を抑圧し、マルクスと「反・資産階級の自由化」を再び持ち出し、経済危機を防ぐ名目で意識引締めを図っている。同時に当局は通貨を大幅に増刷し、民営企業を支配し国営に変えるのを強化し、P2Pは潰し、地方政府の融資平台(LGFV)の破産、踏み倒しを認め、14億の民衆の利益を犠牲にして貿易戦に対抗することを決心したことを示すものである。

「自力更生」とは、毛沢東時代の陳雲の「鳥籠経済」に近くなってきました。日本がこの場面で中共に協力するとすれば、大大馬鹿としか言えません。反日を世界的に広め、「南京虐殺」、「慰安婦問題」等、事実でないことで日本を貶めて来た国、五族協和の理想を収奪の論理に換えた国に支援するとしたら日本は道徳を持たない国となります。モンゴル人・ウイグル人・チベット人を漢人の軛から脱せさせられる良いチャンスです。金儲けの為に彼らを見捨てるとすれば、日本は何のために大東亜戦争を戦ったのですか?副次的ではあるにせよ、植民地解放の為だったはずです。今や中共帝国主義の植民地を解放しなければなりません。中共に協力するのはもってのほかです。

http://www.aboluowang.com/2018/0927/1180384.html

福島氏の記事で気になるのは、「南京虐殺」について明確に否定していないことです。嘘つき中国人の言うことを信じている訳ではないでしょうが、ハッキリ否定すると、次の取材ができにくくなるからでしょうか?「南京事件は通常の戦闘であり、それ以上でもそれ以下でもなかった」と中山成彬・日本維新の会・衆院議員は2013年3月8日に国会で述べています。NHKは録画を削除したようですが。隠蔽は中共だけでなく左翼の常套手段です。

http://blogos.com/article/58040/

福島氏の共産党王朝内部で易姓革命が起こっているという視点は新鮮です。確かに陳独秀や周恩来を蹴落とし、下っ端ではありますが残忍な毛沢東が中共を握り、毛王朝を打ち立て、死後鄧小平が毛を否定して鄧王朝を作り、間に江・胡がいますが両者とも名前は変わりましたが鄧王朝の後継者であり、今度の習が前王朝を否定して習王朝を作ろうとしていると考えますと分かり易い。

歴史の改竄が当り前の中華民族の言うことを何故日本はずっと聞いているのでしょうか?日本の学界も真実追求ではなく、イデオロギー優先になっているという事でしょう。日教組というノイジイマイノリテイが力を持ってしまっているうえに教育に関して国民の無関心が効いています。学校では正しい歴史は学べず、正しい歴史を知ろうとすれば自分で調べるしかなく、手間がかかりますので大多数がそうはしません。左翼教師が書いた教科書が入試に出たりするので、間違った歴史を覚え、それ以外の意見を「右翼」とか「国粋主義者」とか言って排除するようになります。敵の作戦通りですが、情弱な国民も悪いと思います。もっとネットを使い、調べ、自分の頭で考えませんと強い民主主義国家は出来ません。「秘密情報の98%は公開情報から得られる」と言われているではないですか。

記事

北京の天安門広場近くで販売されていた土産用のプレート(写真:AP/アフロ、2017年10月撮影)

毛沢東がこの世を去ってちょうど42年目の9月、党中央教育部傘下の人民教育出版社が中学校二年生用の歴史教科書下巻の改訂版を出した。この教科書では文化大革命が毛沢東の“錯誤”であったという表現を、毛沢東の“苦労と探索”という表現に書き改めていた。文化大革命は「十年の大災難(浩劫)」から「十年の艱難辛苦の探索と建設成就」に言い換えられた。これは2月に出版された歴史教科書上巻に続く改変である。教育部によると、2017年秋の国家教育重大改革の方針に従った改変という。これは中国の知識人たち、そして国際社会に少なからぬ衝撃を与えている。いまさら文革を美化しようという習近平政権の狙いは何なのか。毛沢東を全く瑕疵の無い領袖に再評価する意味は? 中国の歴史問題、教科書問題の背景を考えて見たい。

これまでの旧教科書では、文革について「20世紀60年代、毛沢東は党と国家が資本主義の復活の危険に直面しているという誤った認識を持った。資本主義の復活を防止するために、彼は文化大革命の発動を決定した」と説明している。

これに対して新教科書では、「誤った認識(錯誤認為)」の錯誤の二文字を削除し「20世紀60年代なかば、毛沢東は党と国家が資本主義復活の危機に直面していると認識し、『階級闘争をもってこれを改める』と強調し、文化大革命を通じて資本主義の復活を防止しようと考えた。それで1966年夏、文化大革命が全面的に発動したのである」と書き改めた。つまり毛沢東の認識は間違っていなかった、と言うのが中国共産党の正式な見解となった。「文化大革命の十年」という旧教科書での章名も、新教科書では「艱難辛苦の探索と建設成就」と改められた。文革は、中国において近代建設成就のために必要な苦労であったというわけだ。

これ以外にも、新教科書では文革について「動乱と災難」という表現を削除したり、「世の中には順風満帆で事業が進むことはないのだ」といった文革の罪悪を言い訳するような修飾表現が付け加えられたりした。文革小組ができたいきさつの中での党中央の役割や二月逆流に関する記述なども削除された。

なぜ今更、習近平が文革を美化、あるいはその悲劇を淡化しようとしているのか。理解の仕方としては二つある。一つは習近平の個人的文革経験からのアプローチ。もう一つは中国における歴史というものの考え方である。

習近平が文革について、非常に深い思い入れを持っていることはかねてから指摘されていた。習近平が愛用するスローガンやキメ台詞には「党政軍民学、東西南北中、党が一切を指導する」といった文革時代に使われたものが多く、習近平が下放された先の陝西省北部の梁家河の経験を美化するようなラジオドラマを作らせたりもしている。また、毛沢東時代の前半30年、後半30年ともに過ちはなかったという発言もしており、毛沢東を完璧な英雄だと見ているようでもある。

文革で苦労した習近平一家

多くの知識人にとっては、悪夢であり、中国が最も野蛮であった暗黒期という認識の文革時代だが、いわゆる本当の意味での知識人ではなかった習近平にとっては、思春期に毛沢東思想にどっぷりつかったときの精神的刷り込みの方が強烈であった。あるいは自分が毛沢東のようになるつもりであり、そのために毛沢東のやったことは全部正しかった、と言いたいのかもしれない。習近平は本気で、文革時代は貧しくとも皆が清廉であった理想の時代、とか思っているかもしれない。いずれにしろ、習近平が理解している唯一の権力とは、毛沢東そのものであり、習近平が知る権力掌握、権力維持の唯一の方法は階級闘争であった、といえる。

文革時代、習近平の父親の習仲勲は迫害に遭い、習近平自身も下放先で苦労しているはずだ。なのに、なぜここまで文革と毛沢東に対して強い思い入れをもちうるか、については、米国のニューヨーク市立大学政治学教授の夏明がラジオ・フリー・アジアの取材に次のように分析している。

「習近平とその取り巻きたちは、彼らのなじんでいるロジックで中国の歴史と未来を見ている。つまり彼らの思想形成期は中国史上最も暗黒で貧しく野蛮な人類の悲劇の中で形成された。習近平ら50年代生まれのイデオロギーと思想、世界観は一種のストックホルム症候群(人質が犯人に過度の好意や共感を持つこと。無意識の生存戦略)的なもので、迫害時代のいけにえのようなものではないか。あの時代にのみ理解可能な生命の意義、あの時代の枠組みでのみ解釈できる生存の価値というものがあり、それに一種の懐かしさを覚えるのだ。習近平のいかなる行動、思想もあの時代の結果として培われたもので、あの時代を超えるものにはならない。……我々にとってより大きな悲劇は、そういうあの時代が生んだ指導者が、50年前の思想をもって、未来を見ていることだ。すでに歴史が過ちであったことを証明している毛沢東のやり方を維持して、未来の新時代の人々の上に用いようとしていることだ」

次に中国人の歴史観から考えてみよう。

文革について毛沢東にも過ちがあったと決定したのは、文革終結後に最高指導権力を掌握した鄧小平である。1980年8月 イタリアの記者ファルチの取材を受けたときに「彼(毛沢東)は晩年、過ちを犯した。特に文化大革命における錯誤は、党と国家、人民に多大な災難をもたらした」と発言。1981年6月27日の第11期六中全会において「建国以来の党の若干の歴史問題於ける決議」で、明確に文革を“指導者の錯誤の発動であり、反動集団に利用され党と国家、各民族、人民に深刻な災難となる内乱をもたらした”と性格付け、毛沢東を名指しで、“全面的に長時間の左傾による深刻な錯誤によって主要な責任を負うべきである”と批判したのだった。

昨年秋の第19回党大会後に行われた教育重大改革の決定により、この鄧小平の歴史決議は否定され、毛沢東の完璧性を回復させ、文化大革命を肯定的に再評価された。中国共産党の“正史”が、この瞬間、書き換えられたといえよう。

中国においては歴史とは“正史”

ここで中国における正史とはなにか、を改めて整理しておく。中国においては歴史とは正史であり、正史とは時の王朝、指導者の正統性を裏付けるものである。中国の王朝はたいてい農民蜂起や動乱でついえ、その後釜に座るものはもともと盗賊や下級の人間であったりする。だから、その新しい王朝の王は、自分がただのチンピラ出身の簒奪者でなく、天命によって誕生した正統なる指導者であることを裏付ける歴史を急いでつくる。中国の歴史学者たちは、この中国における正史には三つの特徴がある、と分析している。一つは新たな王は、自分がやってきた歴史の罪悪を隠蔽し、暗黒の血生臭い歴史的事実を人々の記憶から無くそうとする。二つ目に捏造と誇大によって自分のやってきた業績を喧伝する。三つ目は類似の事件があった場合、選択的に封殺したり宣伝に利用したりする。

“共産党王朝”も実はよく似たことをやっており、たとえば中国共産党がやってきた血生臭い負の歴史、反右派運動、文革、天安門事件については隠蔽し、人々の記憶から消し去ろうとしている。また抗日戦争における共産党軍の活躍については捏造や誇大の宣伝を行い、虚構の英雄像を作り上げた。そして日本軍による“南京事件”と解放軍による“長春包囲戦”はともに国民党軍の守る都市で行われた無辜の市民を巻き込む大規模にして悲惨な歴史的戦闘であり、双方とも犠牲者の数も“30万人”とされているが、南京事件は“南京大虐殺”という日本軍の悪事として選択的に誇大宣伝し、解放軍の犯した長春包囲戦に関する歴史は封殺した。

こういう共産党としての“正史”を作り上げることで、今の共産党が唯一無二の執政党として中国に君臨する正統性を裏付けることに成功した。おわかりのように“正史”は歴史的事実である必要はまったくない。時の王朝が自らの正統性を保つために作り上げるものなのだ。歴史とは歴史的事実を時系列に整理したものだと考えている日本人と、歴史とは権力の正統性を維持するために作り上げるものだとする中国人が歴史問題を語り合ったところで共通認識などもてるわけがないのだ。

もうひとつ正史を作る上で重要なのは、自分の直前の王・指導者たちのやってきたことを過ちや罪として喧伝することで自分の権力の正しさを印象付けることである。

“共産党王朝”は“日本のファシズム”を中国国内から駆逐し、腐敗にまみれた“蒋王朝”旧政権をやっつけたのだ、と喧伝することで、その正統性の根拠とした。共産党王朝の初代王の毛沢東は1935年の遵義会議でコミンテルンの支持を得ていた主流派を極左冒険主義と批判して、その過ちを認めさせることに成功したから、その後、絶大な権力基盤を築くことが可能となった。鄧小平がその地位を確立するには、“先代王”毛沢東に錯誤があったことを認めさせる必要があった。ただ、鄧小平の優れたところは、人民に対して「お腹いっぱい食べさせる」「豊かにする」「輝かしい未来」を約束できる力を、“共産党王朝”の権力の正統性の根拠の一つとして新たに位置づけることに成功したことだろう。

そして今、習近平が新時代の王となるためには、鄧小平に過ちがあったと皆に認めさせる必要がある。習近平が反腐敗キャンペーンを旗印に掲げているのは、中国の腐敗が、鄧小平最大の功績とされる改革開放経済の副産物であったからであろう。毛沢東の文革における“錯誤”の表現を教科書で削除したのも、自分が毛沢東スタイルの権力掌握を目指しているということもあるかもしれないが、同時に鄧小平の歴史的決議自体が“錯誤”であったと認めさせたいからだ。習近平は鄧小平に過ちがあったということを皆に認めさせることで、自分が毛沢東の再来のように絶対的な独裁権力を掌握することの正統性を打ち立てたいわけだ。だが、鄧小平のように、共産党の正統性の根拠となる新たな位置づけ、価値観を見いだせてはいない。

再び暗黒時代に向かう可能性を示唆

私個人の見方をいえば、鄧小平は確かに大きな“過ち”をしでかしたことがある。天安門事件で民主化要求の学生運動を“動乱”として武力鎮圧したことだ。習近平が、この鄧小平の過ちを指摘し、天安門事件を再評価できたならば、それが習近平の作った新たな“正史”であり、しかも鄧小平を超える新たな指導者としての価値観、正統性の根拠を打ち立てることができたかもしれない。だが、それは共産党体制の正統性を否定することにつながるだろう。習近平がそこに踏み込み、社会主義の限界を見極めて、選挙による指導者の選出という民主主義に舵を切ったならば、それこそ、習近平新時代の幕開けになったことだろう。

習近平がロシアのプーチンやトルコのエルドアン以上の独裁者であっても、公平な選挙を経て選ばれた指導者に対して西側社会は否定できない。もちろん、そういう方向に舵を切るということは、中国が受ける痛みは相当強烈で、これにあえて挑戦しその痛みに耐えうる自信は習近平には、おそらく、なかった。だから習近平はそこに踏み込まず、自分がよく知りなじんでいる権力の象徴・毛沢東の亡霊を呼び戻すことによる権力掌握を目指した。だが、亡霊を召喚することで、この難しく複雑な国際化時代を14億人人口の国を導けると思うのなら、これは、完全に近代史の流れの読み間違いだと私は思う。もし、習近平政権の方向性を正しいと思って疑わないならば、それを中国的“正史”という虚構の歴史に騙され続けてきたために、歴史を鑑にして、未来を読み解くセンサーが狂っているのではないか、と思う。

こうした背景を総じてみると、習近平政権の“新しい歴史教科書”問題は、中国が再び血生臭く野蛮な暗黒時代に向かう可能性を示唆している。国際化時代の今、毛沢東時代の文革とまったく同じ規模のものが起こるとは考えにくいが、一方でその悪影響はより広範に、国際市場や国際金融、そして国際社会の安定を左右するくらいに広がるかもしれない。

だからこそ、歴史を多角的に、客観的に見て、歴史を鑑とできる人々が、そのリスクについて言及していかねばならないと思うのだ。 ちなみに、日本人は世界でも屈指の歴史好きの国民ではないか。一部で自虐史観から抜け出せない人たちもいるのだが、多様な歴史教科書、多様な歴史読本を己の好奇心のままに自由に読みあさり、異なる歴史認識をぶつけ合うことにタブーがない。歴史好きの若い女性が「歴女」などと呼ばれてブームを作り、歴史ドラマの時代考証に間違いがあれば視聴者から批判の投書がくるような国は珍しかろう。日本人には歴史を鑑として世界の未来を読み解く能力が実はあるのだと自負してほしい。

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