西尾幹二著『アメリカと中国はどう日本を「侵略」するのか』を読んで

西尾氏の本を読んでつくづく感じますのはアメリカの悪意です。一番悪いのは戦後占領政策として採った検閲です。二番は憲法の押付けです。第三は戦中の原爆投下です。一は人権侵害、二と三は国際法違反です。もっと言えば戦前の1941年7月23日、FDR(ローズベルト)はフライングタイガースによる日本本土爆撃計画に署名しました。中立国義務違反です。当然、真珠湾攻撃の前です。検閲政策はアメリカの都合の悪い部分を焚書して日本人を洗脳したわけです。WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の一環です。もういい加減歴史の真実に日本国民は気が付くべきです。アメリカに安全を全面的に委ねるのは危険です。勿論中国と対峙するにはアメリカの力を借りねばなりませんが。

中国は昔から民族的特性は変わりません。韓国もですが。しかし、日本の経済人のレベルは間違いなく下がっています。目先の利益に拘り、自分だけ(或は自分の企業だけ)が良い思いをすればいいという経営者が多いのでは。日本の名誉について無関心、歴史についても学ぼうとせず、ハウツーのものだけ。中国の進出熱は収まったように見えますが、これから投資したものの回収をどうやるつもりなのでしょう。

本の内容

中国の持ち駒となる韓国、北朝鮮、台湾、そしてアメリカ

「中国海軍レーダー照射事件」(ニ〇一三年一月)が起こったとき、私は「盧溝橋事件」一九三七年)に似ていると思った。なんとかして日本に先に手を出させようする、昔の支那人のやり方とそっくりだった。日本国憲法の前文で、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という言葉がある。この言葉は、中国や韓国や北朝鮮の公正と信義に期待する、ということだとしたら、あまりにもまぬけで馬鹿馬鹿しい条文であることは最近ではみなわかってきている。 しかし、「諸国民」がその三国に限られるなら馬鹿げた前提だと嘲るだけでいいがそこにはアメリカも入っているのではないか。アメリカの公正と信義に信頼して、これらの安全と生存を保持するというのが、日本の現実なのではないか。だとしたら条文を嘲るだけでは済まない。すごく真に迫った、無責任な空手形を頼りにして生きている、薄氷を踏む思いのこの国の「不安の正体」に直面するのである。 アメリカ政府は、日本の安全保障や北朝鮮政策についてはあやふやである。ヒラリー・クリントン前国務長官は「日米安保条約第五条に適応する」と言ったし、バラ ク・オバマ大統領も二〇一四年四月の訪日で、ついにそう明言した。しかし中国は、表向き怒ってみせているが、「アメリカの信頼を勝ち得ているのは、 日本よりむしろわが国だ」と言わんばかりの態度もとっている。日本のうろたえぶりが外目に見えているのであろう。 韓国はすっかり中国寄りになっていて、アメリカの言うことをあまり聞かない。 「日韓秘密情報保護協定」(ニ〇一二年六月)をアメリカが要求したが、韓国は土壇場で拒否している。

翌々月(ニ〇 一二年八月)には、尖閣問題で日本国内が乱れているのを見て、韓国大統領李明博が竹島に上陸した。韓国は、日本がすぐ中国に屈服すると見越した。日本が全面敗北すると想定して、中国に擦り寄ったのだと見ていい。それが李明博の動きだった。韓国は昔もロシアに擦り寄り、清に擦り寄り、日本にも擦り寄り、いつでも事大主義で強いほうにつく。中国は今や労せずして、日韓分断に成功している。北朝鮮もにわかに混乱している。中国とアメリカが裏で動いている証拠ではないか。中国が北朝鮮を制裁するような国連決議にサインした。これはかなりアメリカに同調している。北朝鮮を処理することにおいて、米中で話し合いが進んでいるのかもしれない。しかし現実には、アメリカが中国に北朝鮮の処理を委ねている現状をそう簡単に変えることはできないだろう。北朝鮮が中国に反抗的になることはあつても、中国から完全に離れられないのも現実である。エネルギーと食糧供給で縛られている。ただ、韓国の中国への擦り寄りはかなり決定的で、今後動かない方向のように見える。台湾もまた、馬英九政権になって以来、中国寄りになっている。台湾が尖閣沖で「水鉄砲発射」(ニ〇一ニ年九月)をやったのを覚えている人は多いだろう。台湾がやったことが、私はショックだった。台湾もまた、中国から見ると使いやすい手駒のひとつになっている。台湾を手なづけた中国は、沖縄を奪取するために、利用価値を次第に高めるだろう。中国はずるい国で、威嚇はするが、実際にはなかなか軍事的に行動しない。へタすると、中国共産党が崩壊してしまうからだが、中国は自ら日本を侵略する必要はない。韓国、北朝鮮、台湾に侵略させればいい。その三国も反日勢力になってきている。 「三国(韓北台)を利用すればいい」。中国はそう考えているに違いない。

「真実」より「宣伝力」が物を言う国 (抜粋) 長野朗の『支那三十年』より

習近平はドイツ訪問に先立って、ホロコーストの犠牲者の施設で「反安倍」の演説をやろうと企てたが、さすがにこれはドイツ政府が断った。李克強は「尖閣は日清戦争のドサクサに日本が盗んだ」と、欧州旅行で言って歩いた。こういうとき、中国政府は各国駐在の外交官を総動員する。習近平の先の例において、 五十力国の在外公館が同じ内容の政治宣伝を繰り広げたらしい。何ともおぞましい限りだが、このような宣伝は中国の国内では有効でも、平和な地域の国際社会では、かえって逆効果となることも考えられる。ただ、「南京虐殺」は当時の国民党の「宣伝」がつくった虚構であり、それに「東京裁判」が悪乗りしたのであるが、今に至るも信じている人がいるのは、「宣伝」も激しく長くやれば「現実」になりかねないという恐ろしさがある。

「支那では車賃が非常に安い。一里で十銭ぐらいだから、日本から支那に行った人は、これでは可哀想だというので、二十銭も与える。すると支那人のほうでは、これに感謝するというよりも、「こいつは十銭でいいところにニ十銭も与えるのは馬鹿なやつだ。もう少し催促したらもっとくれるだろう」というので、「少ないからもっとくれ」と言ってどこまでもついてくる。それをくれると、またついてくる。ところが反対に、一里十銭のところに八銭ぐらい与えると、「こいつはなかなか喰えない」とそのまま引き下がっていく。ある米国の宣教師夫妻が山東を旅行しているときに、道に乞食がいたので、可哀想だと思って 一円銀貨を与えた。その乞食は大いに感謝すべきはずだが、彼が考えたのは、「一円あれば一力月くらい食える(普通、乞食が貰うのは、たかだか一銭銅貨一枚くらい)。乞食に一円銀貨を投げ出すような人は、余程の金持ちに相違ない」 というので、早速仲間を語らい、先回りして宣教師夫妻を殺してしまったという事実がある。これらが車夫と同じく、「支那人の考え方が日本人とまったく異なっている」ことを示している。カネのことでちょっと書いておかねばならぬことは、支那人はカネに非常に執着を持っていて、カネを見たら一種の魅惑を感じて頭が変になるらしい。買い物に行って、十円のものを三、四円くらいにまけろと言ってもなかなかまけない。そこで カネを三円出して、これを握らせ、「これでいいだろう」と言っても聞かない。「それならそのカネを返せ、品物はいらない」とやると、もう握ったカネを離したくないのでたいていまけてしまう。支那人にカネを見せるのは危険で、長く使っているボーイでも、カネを見ると気が変わって何をするかわからない。ある日本人の小学校の先生が、月給とボーナスを貰ってきて大金を持っているところを自分のボーイに見られて殺された。〈中略〉 話が脇道に外れたが、車夫の話で知るような支那人の気持ちは、外交の上によく現れている。山東問題が喧しかったときに、山東問題を中心に大正八年以来、排日が支那全国に起こり、九年にも再発して慢性的となり、日支間に一種の暗影を投げかけ、低気圧の中心は山東問題だから、これを解決すれば日支間の暗雲はすべて一掃され、日支親善は期せずして実現するだろうと思われた。そこで華府(ワシントン)会議で山東を日支に返した結果はどうであったか。なるほど返した当座十一一力月は支那側でも日支親善みたいなことを言っていたが、十二カ月すると今度は「旅大回収」を叫び出した。日本人の考え方からすれば、山東を返して支那人の要求を受け人れてやったから、支那人も感謝して日支親善ができるだろうと思ったのは、車夫に車賃を余分にやって車夫が感謝するだろうと考えたのと同じである。ところが支那人のほうでは、われわれがちよっと騒いだから山東を返した。今度はもっと騒いだら、旅順・大連も返すだろうと言うので、また騒ぎ出した。支那人は、日本人が予期した感謝の代わりに、日本に対して軽侮の念を生じたのだ。最近、旅大問題が日支問の癌のように見えるので、旅大を返したら日支関係は一 変するだろうと言っている人がいるが、それは支那人を知らない者の言うことで旅大を返せば、次は台湾、朝鮮と進んでくることは明らかである。」

実に驚くべき洞察で、支那人のこの現代に通じる正体を一九三〇年代に、しっかり見抜いている。靖國参拝で、最初に譲歩したのが間違いだった。中曾根康弘内閣最大の失敗である。このまま日本が首相の靖國参拝をもし止めたら、次に「靖國神を廃社にせよ」と言ってくるだろう。靖國をなくしたら、次に「皇室をなくせ」と言ってくる。それが彼らの論法である。このことをよく知っておかなければいけない。こちらが一歩後退すれば、二歩前進してくる。「相手が一歩後退したのだから、自分は控え目にしよう」とか、「恩義に感じる」という感覚はまったくない。逆に、軽蔑する。下手に出るとカサにかかってくる。日本流に言えば、「雲助の徒輩」の論理である。追い詰められたヤクザや盗人との取引である。こちらは彼らに、徹底して強く対応しなくてはいけない。 謙虚、へりくだり、控え目などの美徳は、露ほどの効果も上げない。

中国サイドからの「経済制裁」なんて笑うべきこと (抜粋)

中国のGDP (国内総生産)の約八割は、官製企業が握っている。内需をつくるのは民間企業である。これでは、内需が拡大するわけがない。そこで中国の成長する官製企業は、アメリカや日本などの先進国に進出し、外貨を稼ごうとし始めている。はっきり言っておきたいのは、中国に対して譲歩する姿勢で領土問題の落としどころを探り合うようなやり方をすれば、必ず相手はカサにかかって威嚇してくる。力で押しまくってくる相手には力で押し返すしかないのだが、日本のカは今のところ軍事力ではない。投資や技術の力である。これを政治の力ードとして、なぜ使おうとしないのか。中国経済は、日本から多額の援助をもらっているときでも、アフリカに援助していた。そして、その援助を楯に恫喝しながらアフリカを味方につけてきた。中国経済はそのあと大きくなってますます牙を持ってきている。アメリカ経済にも当然牙がある。日本経済にだけ牙がない。経済人に言っておきたいが、尖閣諸島を失えば、国際社会の中で日本は軽視される。 国債は暴落し、株は投げ売りされ、国家の格は地に墜ちる。その影響はたちどころに他の経済活勛に影響を及ぼす。経済は経済だけで成り立っているのではない。戦後の日本において「経済力が国家の格を支えてきた」ことは間違いないが、 逆に言えば「“国家の格”が経済力を支えてきた」とも言えるわけである。だからこそ、尖閣諸島は経済のためにも死に物狂いで守らなければいけないのである。そうい ことを、経済人はわかっていない。私はわが国の指導層を見ていると、将来が本当に危ういように思えてならない。

ヨーロツパの「地球分割」とアメリカの「グローバリズム」

今にしてよくわかったことがある。それは、世界帝国アメリカは「地域の覇権国家を許さない」ということだ。まずイギリスをつぶし、次にドイツをつぶし、それから日本をつぶし、ロシアをつぶしてきた。そして今、中国をどうしようかと思案している。一体こんなことがいつまで続くのであろうか。こういうアメリカの体質や思考を一言で表現すると、何と言うのか。これをグローパリズム」と称するのである。グローバリズムは、最近の日本人は何か新しいよいことだと思っているようだがその正体はアメリカン•スタンダードの全面拡大に過ぎない。「世界政府アメリカの基準」を「国際基準」にするということである。そもそも「グローブ」とは「地球」である。地球を人間が全体として支配するといいう発想はアジア人にはまったくない。空間を幾何学的に分割して統治することもアジア人には考えつかないが、これを最初に実行したのは、スペインとポルトガルの間で結ばれた一四九四年の「トルデシリヤス条約」である。両国による統治方式は、カトリックのローマ法王の勅許を得て実現したのである。両国の西海岸から一定の距離を取った地点から地上をずっと縦に真っ直ぐ線を引いて、 その線をぐるっと地球の裏側まで回して、これを分割線とするのである。驚くべき大胆な計画であり、行動であった。どうしてそんなことが起こったか。当時、ヨーロツバ人は東方へ出て行こうと懸命に努力したのだが、地中海の東の出口はイスラム教徒に完全に押さえられていて、インドに抜けたいと思っても抜けられなかった。しかもイスラム教徒は、次第にヨーロ ッパの内部に侵略さえしていた。何とか情勢を脱却したいと考えていたとき、クリストファー・コロンブスとバスコ・ダ・ガマが登場したのである。コロンブスは、スペインを出発して西へ西へと進んで新大陸に到達していた。一方、ポルトガルのバスコ・ダ・ガマは、アフリカの海岸を南へ南へと下って、喜望峰を回ってインド洋へ出てきた。ポルトガルはインド洋を東へ行き、イン ドへ出る。スペインは西へどんどん行って、やがてアジアに出てくる。両者はどこでぶつかるかというとモルッカ諸島、地球の反対側のインドネシアのセレベス島(最近はスラウエシ島と言う)の東側の諸島である。そこは香辛料の集産地だから、世界中の人々がそこを狙っていた。ぶつかって両国の争いになり、やがて線引きで分けっこをしたのである。そして最終の目的地は日本だった。やがてスペインとポルトガルは国力を失い、代わりにオランダが登場し、イギリス が登場し、そしてフランスが登場することになる。この地球分割で面白いのは、南アメリカ大陸にさしかかると、ブラジルに当たるところだけが境界線上にかかって、ポルトガル側に分割されてしまう。大陸の出っ張りにブラジルがあるからだ。そのようにして、ポルトガル領に相当するとわかると、ポルトガルは大喜びして、「ああ、俺のものだ」と言って植民地にした。今でもブラジルの国語がポルトガル語である所以である。他のラテンアメリカの国々の国語は、スペイン語か英語かのどちらかである。こんなとんでもないことが起こったのも、単純に幾何学的に線を引いたからだ。地球を分割するという発想、しかも占有する権利をローマ法王庁が与えたというそのような考え方は、アジア人にはなく、西欧を越えて、アメリカに真っ直ぐつながっている。 グローパリズムとは端的に言ってこのようなことなのである。このグローバリズム思考によって、次の時代にはイギリスとロシアが中近東から東へずーっと線を引いて、地球を南北に分割するように侵略した。どこでぶつかるかというと、再び日本列島である。日本はいつも運命的な位置にある。その結果が、「日露戦争」である。イギリスとロシアの戦いを、日本がいわば代理戦争させられたようなものなのだ。英露が線を引いたとき、どちらにも属さなかった国がある。アフカニス夕ンだった。一九七九年になって突然、ソ連がアフガニスタンを侵略したのは、じっと地図を見て「そういえば、ここはロシアとイギリスのどちらにも入らない場所だったな。それじゃあ、一発やってやろうじゃないか」ということで、ソ連が侵攻したのである。隙を見せると、そういうことが起こる。アフガニスタンは中間緩衝地帯だった。それ以外の国々はすでに一度は分割統治されていて、他国は手出しできないという暗黙の約束になっていたというわけだろう。制空権を決めることは、アメリカが今実行しているが、元をただせばスペィンとポルトガルによる地球分割計画に端を発するのである。それでは次章より、日本を初めとするアジア諸国がいかに、西欧列強やアメリカ、 ロシア(ソ連)に侵略されてきたかを見ていこう。何度も言うが、日本は侵略した国ではなく、侵略された国である。否、侵略された国々の中で、そうされまいと抵抗し、戦った唯一の国である。それで独立は成功したかに見えたが、残念ながら現在、必ずしもそうはなっていない。アメリカに多数の軍事基地を許している国である。これを異常と見做す感覚をすら失っているのは異常である。日本はアジアを西欧列強から解放したと自認しているが、その日本が未だ解放されていない唯一の国なのである。だからこそ今、「歴史観の転換」をしなければならない。

Tratado de Tordesilhas