『ユダヤ教とイスラム教は「兄弟」だった?共存関係を変えた“2大事件”とは【元外交官が解説】』(ダイヤモンドオンライン 山中俊之)について

10/30希望之声<反击习近平?拜登为王毅做一罕见安排 北京迟迟不肯敲定拜习会 专家揭背后算计=習近平に反撃? バイデンは王毅に異例の取り扱い 中国政府は習近平との会談を遅々として確定せず 専門家は裏にある計算を明らかに>中共外事弁公室長兼外相の王毅は10/28、3日間の米国訪問を終えた。バイデン米大統領が王毅と会談した際、異例の取り扱いをした。外部は遍く王毅の今回の訪米の主な目的の一つは習との会談に道を開くことであるが、中国政府は遅々として確定せず、専門家は、中国政府がその影響力を利用して、米国が関心を寄せている問題について米国にさらなる譲歩を強いることを恐らく望んでいると指摘している。

中共外交部によると、バイデンは27日、訪問中の王毅と会談し、公開された写真では、バイデンが会議テーブルの端に座り、その下の両側に中国と米国の当局者が座っている様子が写っていた。

バイデン、王毅と会談(中共外交部公式サイトより抜粋)

VOAによると、会談は通常大統領が閣僚や高官らと会談するWHのルーズベルト・ルームで行われた。

報道は、今年6月にブリンケン米国務長官が北京を訪問した際、中国側が会談の席について「入念な調整」を行ったと指摘し、その際には習近平がメインの席に就き、その下に両国の当局者が両側に座ったと指摘した。報道は、バイデンと王毅会談の座席配置は習近平がブリンケンと会談した際の座席配置と似ており、相互主義の原則を反映していると述べた。

当時、習近平がブリンケンと会談した際の座席配置は大きな注目を集めた。多くの外国メディアは、習近平と歴代の米国国務長官らとの過去の会談の写真を比較対象として探し出した。あるメディアは、人民日報に「人類の敵」と呼ばれたポンペオ元国務長官も、2018年に習近平を訪問した際には習近平とは両側のソファに座っていたと報じた。

元米国国務次官補デービッド・スティルウェル准将(東アジア・太平洋担当)は当時BBCに対し、この座席配置では「基本的に(ブリンケンは)部下のようなもの」であり、「このような外交配置は今まで誰も見たことがない。この配置は全く規格外である」と語った。

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の上級客員研究員で中国・アフリカプログラム責任者の于澤(シャーリー・ユー)教授はBBCに対し、「これは40年以上前に米中が外交関係を樹立して以降、前例のないことだ」と語った。

WH国家安全保障会議のジョン・カービー報道官は27日、バイデン大統領の見解では、王毅との会談は前向きな展開であり、対話を継続する良い機会であると述べた。

VOAによると、バイデンと王毅の会談は1時間続いた。WHはこの会談について声明を発表し、「大統領は、米中両国は両国関係における競争を責任を持って管理し、意思疎通のチャンネルを開いた状態に保つ必要性を強調した。特に、米中が協力して世界的な課題に対処しなければならないことを指摘した」と述べた。

声明はまた、バイデンが中国の李克強元首相の死に対して哀悼の意を表明したと述べた。

報道によると、王毅は26日と27日、ブリンケンと2回にわたり計7時間以上の会談を行い、米中関係や国際情勢の話題のほぼすべての議題を網羅した。26日のブリンケンとの第1回協議を前に、中国の目標は「米中関係をできるだけ早く健全で安定した持続可能な発展の軌道に戻すこと」だと述べた。

27日、王毅はサリバン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)と1時間以上会談し、二国間の戦略的コミュニケーションチャンネルの維持や、11月にサンフランシスコでバイデンと習近平の会談促進に向けた協力など、よりハイレベルな外交活動の実施が含まれた。

外界はバイデン習近平会談が王毅の訪問の最も重要な目的の一つと遍く信じているが、中国は習近平のサンフランシスコ訪問の是非について明確な立場を明らかにすることに消極的である。

米政府高官は27日夜、記者向けの電話会見で「双方は11月にサンフランシスコで行われるバイデン大統領と習近平国家主席の会談に向けて両国が協力することを確認した」と述べた。匿名の当局者も「われわれはそのような会談の準備を進めている。明らかに、中国(中共)指導者は通常、訪問が近づくと公に確認するので、このニュースをいつ発表するかは中国側の決定に任せる」と述べた。

米国が習に下手に出る必要はない。気を揉ませるのは中国人の常套手段。敵の策略には乗らないこと。

https://www.soundofhope.org/post/766195

10/29阿波羅新聞網<李克强“游泳死”可能性不大 是氰化物引起的?【阿波罗网报道】=李克強「水泳中死んだ」可能性は低い、青酸カリが原因か?【アポロネット報道】>アポロネット李方の報道:李克強が上海浦東の東郊ホテルに滞在し、水泳中に心臓発作を起こし、上海中医薬大学付属曙光病院に搬送されたが救えなかったとのニュースがある。

医学研究の経歴を持つ横河は大紀元に対し、その可能性は低いと語った。なぜなら、心臓病の1つのタイプは心停止であり、もう 1つのタイプは広範囲の梗塞だからである。

同氏は、「広範囲の梗塞であれば、非常に重篤な冠状動脈硬化と血液供給不足に違いない。これは一日にして成るものではない。政治局トップレベルは定期的に検査を受け、冠状動脈が半分詰まっていたら、水泳をしたり、激しい運動をしたりすることは不可能である。こんなことは絶対にありえない。もう 1 つは、彼の周りにずっと医療医師のチームがいるはずで、常に彼の体調をよく知っており、あらゆる事態に備えた薬を持っている」と語った。

「彼が突然心停止に陥ったということは、心臓のリズムに何か問題があったことを意味する。国家レベル政治家の医療の厳格さは想像もできない。それは細心の注意を払っていると言える。そして一人の医療医師ではなく、チームとして奉仕している。 国の副代表レベル以上は、誰かがチームを解散しない限り、終身待遇を受け取る権利がある」

さらに、X上で自身を「羅翔」と呼び大きなフォロワー数を誇る8341一哥们(職位は明かさず)は、中央医療グループの友人(循環器の専門家)がこの件について話し、「国家レベルの指導者は健康診断を熱心かつ慎重に行っている。心筋梗塞は突然起こるが、徐々に発症する。医師や李克強が知らないはずはない。重症化したらすぐに治療する!この病気は、患者が死を望まない限り、まったく問題ない。彼は青酸カリによる心臓発作で死亡したと言われている」と語った。

魏京生は27日、医学者にとって病気を治療することも、病気を作り出すこともできると述べた。 これは延安時代に、毛沢東が医療を利用して王明を殺そうとしたと非難したことからも分かる。

アポロネット王篤然評論員は、青酸カリが心臓病を引き起こしたとネット上で広まっているが噂であり、情報源も検証する方法もないと分析した。現在の情報から判断すると様々な可能性が考えられるが、習近平が黄河に飛び込んでも体を洗い清めることができない=どんなことをしても身の潔白を証明できないので、習近平の政敵たちは喜ぶはずだ。それが習近平の政敵によって行われたとしても私は全く驚かない。

青酸カリ説は全く信じられない。政敵が李克強を殺したのも信じられない。但し、何が起きてもおかしくない国ではあるが。

https://www.aboluowang.com/2023/1029/1971669.html

10/29阿波羅新聞網<“台湾、中国国旗同框”中共没抗议?矢板明夫也吓到 曝原因:出问题了=「台湾と中国の国旗が同じ枠に」 中共は抗議しなかったのか? 矢板明夫もびっくりして理由を明かした:問題が起きているから>2年に一度の「モンディアル・デュ・パン(世界パン大会)」がナントで26日に閉幕し、上位チームの中で台湾が頭角を現し、世界第3位に輝いた。最も注目を集めたのは、表彰式での記念撮影の場面で、中国チームが世界第1位に輝いた。中国チームと台湾チームの国旗が同じ画面に表示されることはほとんどないが、中国選手は台湾国旗から非常に離れたところに立っており、日本のメディア人の矢板明夫も意見を表明し、中国が強く抗議しなかった理由を分析した。中国の政策が変わったのではなくて、中国外交部の草の根レベルで問題があるからと考えている。

矢板明夫は、台湾選手が国旗を広げたとき、中国選手たちは驚いて困惑し、カメラに台湾国旗と同じフレームに映るのを恐れて隠れなければならなかったと語った。その後、中国メディアがこのニュースを報じた際、当然ながら台湾選手の関連映像はすべてカットされた。しかし、彼は「しかし、この種の操作はこれまでとはまったく異なる」と単刀直入に言った。

矢板明夫は、もう一つの興味深い現象として、中華民国の国旗は元々は台湾の藍陣営のトーテムであったことも指摘した。しかし近年、蔡英文政権が「中華民国台湾」構想を打ち出し、台湾の内省人もこの国旗を容認する傾向が強まっている。一方で、藍陣営の一部の人々は、「中国を刺激しない」ために、「オリンピック旗」「梅花旗」「中華台北旗」などの自分を矮小化する旗を国際舞台で掲げることを好む。台湾を外から観察すると、この変化も非常に興味深いと彼は率直に言った。

政治は変化していくもの。米国では南軍(民主党)、北軍(共和党)だったのに、今や南が共和党、北が民主党になっている。

https://www.aboluowang.com/2023/1029/1971661.html

何清漣 @HeQinglian 2時間

この戦争が始まった時点で、私はすでにイスラエルと米国が第二の戦場(政治戦、世論戦、街頭政治)で負けるという予感を持っていた。

状況が変わった唯一のことは、現在米国の主流メディアだけがハマスを公に支持していないこと(これはWHを怒らせることになる)であり、その盟友の欧州メディアのほとんどが寝返ったということだ。

引用

何清漣 @HeQinglian 10月16日

イスラエル・パレスチナ戦争について知っておくべきこと:

イスラエル・パレスチナ戦争を見ていると、ロシア・ウクライナ戦争と同じで、戦場での軍事戦に加えて、政治戦や世論戦もあることがわかる。

しかし、この3つの戦闘では、優劣は完全に互換する。 ロシアは軍事戦では苦労して勝利しているが(ウクライナファンがそれを認めないのが彼らの問題である)、政治戦と世論戦では負けている。 …もっと見る

何清漣 @HeQinglian 7時間

第二次世界大戦後初めて米国とイスラエルは少数派となり、ハマスは今も米国によってテロ組織に指定されているが、アラブ世界、西側諸国のイスラム教徒、グローバル左翼、中国、ロシア、トルコなどから支援される集団となった。

国連と西側諸国以外の国々は嫌われたくないので、パレスチナと切り離せないハマスを支援している。

私がもっと興味があるのは、ISIS撲滅から今日まで世界はどう変わったのかということだ。

何清漣 @HeQinglian 11分

「ウクライナ和平案」をざっと見ると、ロシアは敗北したと感じる。

10/28、ゼレンスキーは60カ国以上の国家安全保障担当補佐官に対し、ロシアとの戦争終結を目指す自身の和平計画に基づいた世界モデルを策定するよう要請した。

ゼレンスキーの10項目の和平計画には、ウクライナ領土の完全回復、ロシア軍の撤退、食糧とエネルギー供給の保護、核安全保障、すべての捕虜の釈放などの呼びかけが含まれている。

何清漣が再投稿

天降偉人包由検 @fading_you1 1h

今回の作戦を通じて、ハマスの背後にいる資金援助者たちは、欧米の社会に大きな分裂を引き起こすことに成功し、欧米のイスラム教徒の間でジハードの意識を呼び覚まし、欧米の極左イデオロギーの矛を使って、欧米の伝統的な価値観、西洋社会の心臓部の盾を突き刺すことに成功した。…もっと見る

山中氏の記事では、シオニスト・ユダヤがパレスチナとの共存を拒んでいると言っているようにしか聞こえない。まあ、あれだけパレスチナの領土にイスラエルが入植を繰り返しているのだから、そう思われても仕方がない。ユダヤ人の優秀さは世界で証明されていますが、世界統一政府を目指すグローバリスト・ユダヤはマルクス(ユダヤ人)が唱えた共産主義とゴールが一緒。シオニスト・ユダヤもグローバリスト・ユダヤも人類を幸せにはしない気がする。

グローバリズムと共産主義の親和性については、田中英道著『虚構の戦後レジーム 保守を貫く覚悟と理論』にも出てきます。また、武井彩佳著『歴史修正主義 ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』には「ヒットラーのユダヤ人ホロコーストは公理である」と書いていたと記憶しますが、社会科学に公理なんて存在するのか?もっと言えば社会科学は科学に属するのかと感じています。

記事

hoto:Ahmad Hasaballah/gettyimages

イスラエルとパレスチナ自治区ガザで“戦争”が始まった。ユダヤ教徒とイスラム教徒の「共存」と「敵対」の歴史を振り返り、西側諸国はどんな観点で着地を見いだすべきか、世界97カ国で学んだ元外交官がわかりやすく解説する。(著述家/国際公共政策博士 山中俊之)

ユダヤ教徒とイスラム教徒 昔は「敵」ではなかった

「ずいぶんと鬱屈した雰囲気だな…」。1990年代、筆者がパレスチナ自治区ガザを訪問した時の率直な印象だ。ちょうど当時は、ハマスがガザ地区で影響を持つようになっていた。

ガザは、鹿児島県の種子島ほどの狭い地域に人口200万人余りが暮らす人口密集地である。さらに、外部との出入りは規制され、失業率も高い。筆者は世界97カ国を訪問する中で、多くのスラムや貧民街、農村にも足を運んでいるが、この地は何とも独特だった。イスラエルとの長年の紛争による人々の憤りも含め、まさに自由が奪われた「天井のない監獄」であることを現地で実感した。

さて、筆者が行う企業研修で、世界情勢を学びビジネスへのヒントを議論する際に、しばしば投げかけられる質問がある。「ユダヤ教徒とイスラム教徒はずっと戦いを繰り返してきたのですよね?」と。いわば、不俱戴天(ふぐたいてん、恨みや憎しみが深いこと)の敵なのかということだ。

しかし、歴史的に俯瞰(ふかん)すると、両宗教の信徒の関係は必ずしも悪かったわけではない。むしろ同じ土地に共存し、文化交流があった。潮目が変わったのは、約130年前のある出来事がきっかけだ。それに追い打ちをかけたのが、ナチスのユダヤ教徒大虐殺(ホロコースト)であり、ユダヤ教徒への「同情」が国際的に高まった。1400年にわたる歴史の局面を振り返ってみよう。

イスラム以前、アラビア半島には多数のユダヤ教徒が住んでいた

ユダヤ教徒とイスラム教徒の最初の接触は7世紀初頭、預言者ムハンマドがイスラム教を開創した時のメッカ(マッカ)にさかのぼる。古代からアラビア半島には多数のユダヤ教徒が居住していた。そこにイスラム教が誕生したので、メッカでは、しばらくイスラム教徒とユダヤ教徒の両者が共存している時代があった。

ユダヤ教徒から見れば、イスラム教は“新興”宗教である。

「何か新しい神を信じる人が増えてきたな」
「これまでと違う礼拝の仕方だな」

両宗教の信徒が遭遇する度、こんな会話が繰り広げられていたのではないだろうか。両者はけん制しながらも共存していた。

ただ、新興宗教であったイスラム教は、当初メッカでは街の中核を担うだけの十分な数の信者を獲得できなかった。そこでムハンマドは、622年にメッカからメディナ(マディーナ)に聖遷し、そこで初めてイスラム共同体(イスラム教の信仰に基づく社会)が形成された。メディナではイスラム教が中心となり、ユダヤ教や当時アラビア半島に存在していた多神教に代わって絶大な地位を誇るようになった。

その後630年には、ムハンマドがメッカを奪還した。また、カーバ神殿の多神教の偶像は破壊された。以降、メッカがイスラム教の拠点となり、アラビア半島においてユダヤ教徒はおおむねイスラム教徒に服従する立場になった。

イスラム帝国の一員としてユダヤ教徒は平和裏に暮らした

632年にムハンマドが死亡すると、預言者の代理人とされるカリフが跡を継ぐ。イスラム帝国時代(この呼称はさまざまある)になり、帝国はその領域をイランや北アフリカに拡大していった。

この時代にも、イスラム帝国内部には特定の領国を持たない多数のユダヤ教徒が居住していた。ユダヤ教徒は、“異教徒”としてジズヤ(人頭税など)を払うと、ユダヤの宗教活動が許された。

こうしてイスラム帝国の一員としてのユダヤ教徒は、おおむね平和裏に暮らしていた。一例として、イスラム帝国支配下のスペイン(都市で言うとコルドバ、グラナダ、セビリアなど)では、イスラム教徒のムーア人とユダヤ教徒の交流も見られた。例えば、コルドバ出身のユダヤ教指導者・哲学者のモーシェ・ベン=マイモーンは、同郷のイスラム法学者イブン・ルシュドと交流があったといわれる。

しかし、スペインがキリスト教徒の手に落ちると、イスラム教徒だけでなくユダヤ教徒もスペインから追放された。多くのユダヤ教徒は、宗教的に寛大なオスマン帝国に移住。そして11世紀末~13世紀末、キリスト教世界から、イスラム教が支配するエルサレムを奪還するために十字軍が派遣された。十字軍は、イスラム教徒だけでなく、ユダヤ教徒もターゲットにして攻撃することもあった。

アラビア語とヘブライ語は言語的に近い 旧約聖書でもユダヤ人とアラブ人は「兄弟」

言語的に見ると、アラビア語と、多くのユダヤ教徒の母語であるヘブライ語は、同じセム語族に属する。だから似た単語も多い。例えばアラビア語で「家」は「bayt」、ヘブライ語でも「bayit」である。筆者はアラビア語を解するが、ヘブライ語を聞いているとしばしば、推測できることもある。両者は、兄弟言語であることを実感する。

同じ語族に属するということは、枝分かれを繰り返した人類史において、両者には共通の祖先がいたということだ。

旧約聖書では、アブラハムの子供にはイサクとイシュマエルが含まれており、イサクはユダヤ人の祖先とされ、イシュマエルはアラブ人の祖先とされている。すなわち両者は共通の祖先を持ち、ある時点から分離したとされている。このように、ユダヤ教徒とアラブ人が同じ語族に属することと、旧約聖書の記述は符合するのだ。

ユダヤ教徒への差別や偏見 シオニズムが潮目を変えた

ハマス・イスラエル紛争の勃発後、筆者は何人かのイスラム教徒とディスカッションの機会を持ったのだが、彼らはおしなべて、こうした見解を持っていた。

「イスラム教徒とユダヤ教徒は、ずっと共存してきた。その潮目が変わるのは、シオニズムだったのです」

シオニズム(シオン運動)とは、ユダヤ人の国家を建設し、維持することを主張する政治的・文化的運動および思想のことだ。1894年にフランスで起きたドレフュス事件(ユダヤ系であるフランス軍大尉ドレフェスがスパイ容疑の冤罪をかけられた)は、ユダヤ教徒への根強い差別や偏見を明らかにした。この事件を契機に、2000年にわたりディアスポラ(離散)していたユダヤ人が、聖書にあるカナンの地、約束の地であるパレスチナに帰還するシオニズムが始まった。現在に至るパレスチナ領土問題の直接の端緒である。

その当初は、パレスチナはオスマン帝国領だった。ユダヤ教徒の受け入れを否定しないオスマン帝国内にユダヤ教徒が移住して、パレスチナの地にユダヤ教徒の人口が増えていったのだ。第1次大戦中の1917年に英国がバルフォア宣言を出して、パレスチナにユダヤ教徒の地を建設することへ支持を表明したのも、シオニズム運動に拍車をかけた。

と、ここまでであれば、イスラム教徒の国の中に、ユダヤ教徒が少数宗教として存在することは十分可能だっただろう。

ナチスのユダヤ教徒大虐殺が「同情」を集めイスラエル建国につながった

状況を大きく変えたのは第2次大戦中、ナチスのユダヤ教徒大虐殺(ホロコースト)である。人類史上最大の民族殲滅(せんめつ)を目指したナチスの蛮行は、世界に大きな衝撃を与え、ユダヤ教徒への「同情」が国際的に高まった。

世界中から集まるユダヤ教徒への同情が、オスマン帝国崩壊後は委任統治領になっていたパレスチナへ「2000年ぶりにユダヤ教徒を帰還させよう」と、ユダヤ教徒国家の設立を後押しした。こうして1948年、イスラエルが建国され、その地域に住んでいたパレスチナ人は土地を奪われた。

驚くべきことに、イスラエル建国に合わせてヘブライ語が公用語として復活した。ディアスポラのユダヤ教徒は現地の言語で生活をしており、ヘブライ語は儀式などを除き日常的に話される母語ではなかった。しかし、再度カナンの地に戻る際に、聖書の言葉であるヘブライ語が公用語かつ日常で使われる言葉として復活したのだ。2000年も日常で使われていなかった言葉が復活した例は、世界史上存在しないだろう。

4度の中東戦争を経て、イスラエルの領土は拡大し、パレスチナ人はヨルダン川西岸とガザ地区に押しこめられ今般の事態に至った経緯は、連日報道される通りである。

人道支援はもちろんのこと寛大な歴史の叡智に学べ

先日、ヨルダンから日本に戻ったばかりの日本在住のアラブ人と食事をした。ヨルダンの首都アンマンの空港は特に支障なく通常稼働であったというが、街はイスラエルを批判するデモであふれていたという。彼もまた、先に述べた「共存」見解の持ち主であり、今般の事態に肩を落としていた。

アメリカのバイデン大統領、フランスのマクロン大統領をはじめ、イスラエルを支持する世界の首脳は多い。彼らはイスラエルの自衛権を認める一方で、ガザ地区への人道支援についても表明している。それに加えて彼らは、1400年超の歴史的な関係、シオニズム以前は互いが譲歩することで共生してきた関係を熟考すべきではないだろうか。

世界が歴史の叡智に学び、事態が好転することを望みたい。

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