黄 文雄『それでもなぜ、反日大国の中国人、韓国人は日本に憧れるのか?』について

中国が如何に歴史的に大虐殺をしてきたかという事です。「洗回」とは回教徒の洗浄(=ethnic cleansing )を意味します。大清帝国の満州への漢人の入境を認めたことが、満州人の没落の始まりです。日本統治のお蔭で治安が良くなり、安心して漢人が入ってきました。そういう歴史を中国は認めません。

一帯一路構想も漢人の世界規模での進出を図っています。軍事力ではなくマンパワーを送り込むようにしてその国の政治・経済に影響を与えて乗っ取ろうと考えています。東南アジアの経済が華僑に乗っ取られているのは皆知っています。それが世界的規模で行われようとしているのですから、日本人は注意しておかないと。

中韓の人達は「生まれ変わったら別の国で生まれたい」と言うのが2/3も占める(2006年と調査は古いでしょうが傾向は変わらないでしょう)のは、如何にその国の統治がおかしいかという事です。「日本人が生まれ変われるなら、日本or外国で生まれたいか?」(2013年調査)との問いに83%が日本と答えています。メデイアや日教組が如何に日本を貶めようとも日本人は国民レベルで日本を愛していることが分かります。それに引き換え、日本を口汚く罵る両国は国民から信用されていないという事です。日本が余りに素晴らしいので嫉妬、羨みの気持ちが働き、他人の足を引っ張ることで安心感を得ようとしているのでしょう。下種な劣情の持主です。彼らには近づかないことです。

http://www.ism.ac.jp/kokuminsei/table/data/html/ss9/9_22c/9_22c_all.htm

http://www.j-cast.com/2014/10/31219779.html

http://www.all-nationz.com/archives/1046629175.html

内容

P.47~51

中国からのヒ卜とカネの 大脱走が止まらない

こうして中国から人が噴出するようになった

19世紀末の清朝イスラム教徒の反乱(回乱)後には、大きな国是国策の大変化があった。 それは、文革以後の改革開放と似ていて、清は先に開放をやって、その後に戊戌維新や立憲運動に続く。ことに20世紀に入ってから清は「改革開放」に湧き、「黄金の10年」と もいわれ、経済•社会の大繁栄によって、逆に辛亥革命で帝国が滅びた。

アヘン戦争後の太平天国の乱と回乱は、文革に似ている。

人類史上最大の反乱といわれる「太平天国の乱」によって人口の5分の1が失われ、回乱の後には、「洗回」(イスラム教徒皆殺)運動が20世紀までも続く。イスラム教徒の約2000万から4000万人が殺された。イギリスのインド植民地化は、満州人の中国植民地化に似ていることが少なくない。清帝国の崩壊後に、中国はインド植民地のようにインドとハキスタンが分離独立しなかったのは、この「洗回」に関係が深い。

インドとパキスタンの分離独立は、ヒンズー教徒とイスラム教徒の対立が、精神的•思想的な根本的対立からくるということは、もはや「常識」となっているが、現在のチべット問題やウイグル問題の背後には、「孔子と釈迦」と「孔子とモハメド」との思想的対立が根源的だということまで見る者は、それほど多くはない。

イスラム教徒の反乱後民間の武力集団が「洗回」に夢中になっているが、政府は古代に「西域」と称されたウイグルの地に「新疆」省を新設、新たに内地化した以外には、満州など従来の「封禁の地」を開放する。アヘン戦争後に五つの港湾都市を開港はしたものの開国はしなかった渡海禁止令を廃止したのは1885年で、台湾への渡航を解禁したものの、10年後、日清戦争の結果、日本の地となった。

この大きな人流の大変動の時代には台湾を永久割譲。数千年来、南に向き、漢人の民族大移動か初めて北へ向き、万里の長城を越え、モンゴル草原を満州平原へこの「平和的浸透力」は逆流し、満鉄を大動脈として、20世紀に入っても年間平均l00万人以上が北流していった。

人民共和国の時代に入ってから、農村戸籍と都市戸籍を二分し、農村では一時「人民公社」中に縛りつけても、自然や社会の変動のたびに人流は奔流にもなって、北上だけでなく、「生産建設兵団」として、新疆ウイグルに流入し、そしてチベット高原に登っていく。 資源と人口のバランス調整のために、政治的だけでなく生態学的理由からも、ことに改革開放後には、地上資源が枯渇するにつれて、地下資源も喰い尽くされ、中国の流民は地球資源まで鯨飲しながら、祖国から大脱走して、陸路だけでなく、海路からも、空路からも、地球的規模の噴出が起こっていく。

改革開放後、国内農村の「人民公社」が廃止されただけでなく、竹のカーテンまでが開かれた。開かれた農村の産業予備軍は、1億、2億、3億へと増え続け、盲流(農民が都市に大量に流れる現象)として沿岸開放都市に押し寄せただけでなく、内陸の都市も辺境も埋め尽くしていった。人口がすでに億を超えるホームグラウンドの河南以外にことに湖南や四川省からの流出者が多い。それらは以前から人口過密の地だったので、噴出し続けている。

四川省の産業予備軍は「川軍」とも呼ばれ、ずっと人口過密の地だった。毛沢東はかつて、「四川はタイとほぼ同面積で、人口はタイの倍もある。そんな不公平な存在は、許されるのだろうか。『不公平是正』のため、タイを解放して、四川から大量移民をしたい」とまで語ったことがある。しかし、「世界革命・人類解放」は文革を最後に、ソ連・東欧改革開放後、中国の沿海都市、辺境さえも流民に埋め尽くされたので、盲流(民工)に限らず、裸官や青年エンジニアに至るまでが祖国大脱走の潮流となっている。

ヒ卜.カネの大脱走は、これからも続く

20世紀以後の中国人祖国大脱走史を見ると、時代とともに質的変化がはっきりと見られる。

20世紀前半は戦争難民と飢餓から生まれた生態学的流民が主だったが、戦後に国共内戦が再燃した結果、海外流出したのは主に政治難民だった。たとえば人民共和国の成立とともに台湾に流入した政治難民だけでも200万人と推定される。陸路や海路を用いて、東南アジアへ逃げ延びた者も少なくない。

竹のカーテンが開かれた後、主流は徐々に「経済難民」に代わり、蛇頭に率いられて、日米欧など先進国をめざして留学やらさまざまな名目で脱出していく。祖国からの大脱走を阻止するのに万策が尽きた後、「走出走」(出て行く)と奨励策へと変わらざるをえなかった。

中国は「社会主義」国家から「權貴資本主義」といわれる体制になり、国是国策の変化によって、格差は拡大し、富が政府高官に集中していく。国富も私富に変えられ、そこから「裸官」が生まれてくる。GDPの十数パーセントから4分の1、さらに半分が不正所得となり、汚職追放の負け組に兆円や千億円単位の不正所得があったことが世に知られるようになる。

一人が国内で国民の金を絞り上げ、家族が海外で暮らすといわれる裸官の数字については、習近平など国家指導者だけでなく、2012年の第一七期党中央委員会委員204人のうち91パーセントに当たる委貢の家族が欧米で暮らしている,国家指導者の家族は先に国外へと逃げ、その後に続くのが「裸官」たちである。

もちろん時代とともに流出するものは、経済難民から環境難民へと変わっていく中国は経済成長とともに、徐々に環境が悪化、黄泉の国へと沈んでいく。

裸官の祖国大脱走の条件は誰と比べても優位であるが、めざす国によっては、社会階層も異なる。

P.56~58

2006年9月4日から、中国のインターネット上の三大ポータ’ルサイトのひとつ「網易」で、興味深いアンケート調査が行われた。それは「もし生まれ変わったら、もう一度 中国人になりたいか」というものだったが、回答は1万1271件のうち、65.1パーセン トの人が「生まれ変わっても、中国人にはなりたくない」と答えている。これは全回答者のおよそ3分の2にあたる。中には「豚に生まれ変わる方がまし」という回答まであった。 もちろん調査対象は「憤青」ではないにしても、回答者は老人ではなくネット世代である。不特定のネットユーザーで、ネットウヨクを排除してはいない。

中国政府はこの結果に激怒した。アンケートは削除されて、編集者は即座に解雇されてしまった。

その調査結果をもとにした、『来世不做中国人』(邦訳すると「来世は中国人として生まれたくない」、鍾祖康著)という本が中国以外の地で出版されている。著者(北欧に移住した香港人)によると、「中国社会は情報が閉ざされているから、もし全人民が情報公開をされたなら、99パーセントが『来世では中国人になりたくない』と答えるだろう」とまで言っている。

もちろん、それは決して過言ではない。「中国人の誇り」を押し売りするプロの愛国者でさえ、チャンスがあれば自分が真っ先に中国から逃げ去ってしまうに違いないのだ。実際に、蒋介石を筆頭とする四大家族の前例だけでなく、習近平主席を始め、鄧小平以降も それ以前の国家指導者の家族も、すでに家族が逃げ去った後の、「裸官」といわれる(権貴)政府高官も、党の高級幹部も、祖国大脱走の「予備軍」として待機しているのだとみなされる。

中国人に生まれ変わりたくない理由

では、「中国人になりたくない」と答えたネットユーザーたちの理由とは何なのか。「中国人は人間としての尊厳を欠く」という答えが37.6パーセントでトップ。中には、「前世で悪いことをしたから中国人に生まれ変わったのだ」という答えがあって、来世どころか「いますぐにでも、中国人以外になりたい」という人が多い。

なぜ中国を愛さないのかという理由については、「いくら探しても、中国を愛する理由が見当たらない。もしあなたが中国を愛する理由があれば教えてくれ」「奴隸になりたくないというのが、人間の本音だから」という回答がある。

もちろん、3分の1にあたる35パーセントの人は、「また中国人になりたい」と回答したのだが、その理由は以下である。「祖国を愛しているだけで、別の理由はない」が18パ-セント。若干似ているのは、中国人とは、「鬼神を信じない」極めて世俗化した民族でありながら、それでも漠然として「天」や「鬼」(祖先)を信じている。「中国には悠久の歴史と偉大な文化があるから」は6.6パーセントである。それが中華思想であろう。本当に歴史文化を知っているかどうか、もう少し世界史や文化•文明の「常識」を知れば、 もっと歴史観も世界観も変わるだろう。

P100~102

自然史から見ると、李朝の時代に入ってからは、徐々に原始社会に先祖返りしつつある。モンゴル人は人類史上初めて、紙幣(交鈔)の発行・使用に成功した通商帝国で、資本主義の元祖とまでいわれる。そして、100年以上も高麗を支配したので、朝鮮半島のオリジナルの文化の多くは、モンゴル文化がベースとなっている。

それなのに、李朝時代にも白銅貨や葉銭があったが使用は限定的で、日韓合邦まで褒負商(行商人)とそのギルド(組合)しかなく、貨幣経済も商品経済も発達せず、早市ではなく午後の定期市しかなかった。

そこにあったのは「貨幣」の代わりに、米・布・人参・器物などで物々交換する原始社会だった。市場も形成できなかった。日本の江戸時代と比べれば、まさしく対照的というより対照的な格差である。少なくとも、税金はなおも布によって払われた。

1885年12月から翌年2月にかけて、ソウルからシベリアまでを踏破したベ・エム・ジェロトケヴィチの 『朝鮮旅行記』によれば、「植生皆無」。 なぜ独立開化派の甲申改革が三日天下になったのか、これは原始社会の「文明開化」は絶対不可能という視点からも見るべきだ。なぜ初代朝鮮総督の寺内正毅大将が「治山治水」の綠化政策によって崩壊した山河を甦らせようという執念をもって朝鮮経営をスタートしたのか、その視点が見逃されたら、何も語ることはできない。

李朝末期には、王室はすでに100年以上にわたって財政赤字を抱え、両班階級が3分の2の国富を私富にして、産業資本の原初的蓄積さえできていなかった。山野は火田民(焼畑農民)に焼き尽くされ、京城には土幕民(流民)があふれ、世界一不潔な都ともいわれる。李朝は19世紀末になると、実際、すでに:国家破産しており、町中には土幕民が溢れ、餓死者が路頭に捨てられた。この国の生民をどう救出するか、列強が無理やりに日韓合邦を押し付けた歴史背景をも見なければならない。 清の盛世が過ぎてから、白蓮教の乱をきっかけに、戦乱と天災、流民の生き地獄落ちとなった大陸とほぼ同時期に、「枯死国」(新渡戸稲造は「枯死国朝鮮」と書いた)に閉じ込められた朝鮮人は家族連れで、厳しい国禁を破り、移動•移住断禁の号牌法もなんのその。 すでにシベリアや満州で密墾、密猟、密採をし始めていた。 それは李朝の時代の人流の一大潮流である。

日韓合邦後、「強制連行」どころか、朝鮮人の日本列島への密入国をどう阻止するか、政府は朝鮮総督府と協議を繰り返し、治安当局にとっての頭痛問題の一つであった。むしろ半島のほうが、市民・労働組合の万人集会で「阻止には法的根拠がない」と抗議していた。だから強制連行は、時代条件から考えるとほとんど存在した可能性がない。この一言に尽きる。

P.135~137

なぜ韓国人は国を捨てたいのか?

韓国人も67%が「韓国人に生まれ変わりたくない」

中国の大手ニユースサイト「網易」が2006年9月4日から「生まれ変わっても中国人になりたいか?」という調査を行った。同じ年の8月31日、韓国の「ゴーニユース」がポータルサイトの「デイーシー•インサイド」で、韓国ネチズン(ネットユーザー)を対象として、「生まれ変わるなら、また韓国人として生まれ変わりたいか?」というアンケート調査(参加者8406人)を行った。

その結果は次のようだった。

回答者の67.8パーセント(5696人)が、「韓国人に生まれ変わりたくない」、24.5パーセント(2058人)が「もういちど韓国人に生まれ変わりたい」と答えている。 中国と数字だけを比べてみると、「中国人に生まれ変わりたくない」と答えた中国人の割合65.1パーセントよりも、「韓国人に生まれ変わりたくないと答えたネチズンの割合の方が数パーセント高くはあるが、「また中国人に生まれ変わりたい」と答えた中国人が 35パーセントであったのに対し、「また韓国人に生まれ変わりたい」と答えたネチズンがたった24.5パーセントだけなのは、意外に少ないとやや驚くのである。

中国は同じ年の9月に入ってからの調査だから、韓国からの刺激でそうなったのではとも考えられるが、同じことは前にもあった。1919年の三・一独立運動の直後、北京では五・.四運動が起こった。ウィルソン米大統領の「民族自決」からの影響で、あっという間にアジアまで火がついたという国際政治のグローバル化とも考えられる現象である。

中国はプロレタリア独裁国家として、「人権」よりも「生存権」が大事と主張する。言論の自由がないどころか、ますます統制強化を強めている国である。

OECDの加盟国である韓国では、「約70パーセントに近い」韓国人が、「生まれ変わったら、韓国人になりたくない」と答えていて、想像の域をはるかに超える。驚くどころではない。

何か理由があるに違いない。

さらに驚くべきことは、20〜30代の男女を対象として行われた、2003年9月17日)。この国政監査の調査資料を見ると、その72.1パーセントが「移民を考慮している」と答えているのだ。同調査ではその理由として、「将来の子どもの教育問題」が42.3パーセント、「国内の政治的・社会的混乱」19.7パーセントとなっている(『朝鮮日報』2003年9月17日)。この国はOECD加盟国であるだけでなく、「愛国心が世界一」と自画自賛をする国でもある。それなのに生まれ育った社会、故国に住みたくないといぅのは、「何かのウソがある」に違いないと誰でも連想するだろう。

興味深いのは、「脱北者」よりも「脱南者」が断トツに多いことである。移民先は主にアメリカ、そしてカナダである。才—ストラリア、ニユージランドも多い。

P.190~191

神代から続いている日本については、戦後の反日日本人からぼろくそにいわれ、貶められてきた。しかし、戦後のいわゆる「進歩的文化人」の日本観とは違って、「いちばん天国に近い国」という説に同感共鳴するのは決して私一人だけではあるまい。

ユートピアというものは、地上にはなかなか実在しえないもので、いくら空想的ではなく科学的だと謳っても、実際、人類最大の実験だった社会主義型地上の楽園は、すでに幻想として消えてしまった。中国人と韓国人は、どちらかというと極めて世俗的にして実利的な民族である。地上で一番天国に近いのはやはり日本しかない。

いくら反日を建前にしても、中国人と韓国人はその色眼鏡を外さなければならない。中国からの密入国者、オーバー•スティをはじめ、さまざまな犯罪者が数多く日本の刑務所に収容されている。喰ったり寝たりしているだけでぶくぶく肥えて、牢屋を「天国」 だと思い、祖国に帰りたくないので、さまざまな手で日本の牢屋という天国にしがみつきたがる。

あるとき、防衛大のある教官が私に、「一人の中国人犯罪者の一食の食事代だけでも、日本の自衛隊員より200円高い。そういう日本という国家の存在はおかしいのではないか。いくら公文書で抗議提言しても、政府と官僚は聞く耳をもたない。なんとかできないのか」と語った。

中国人犯罪者だけでなく、韓国のスリ団にとっても、平和ボケの日本はじつに「仕事」をしやすい天国である。

P.263~264

中国は、時代とともに言論統制が強くなり、人権や人間の尊厳が消えていく国家である。韓国は軍事独裁からOECDにまで加盟した国家である。国の「かたち」も社会のシステムも違う。

しかしそれでも、多くの共通点がある。以下に、そのいくつかを取り上げてみる。

①国是国策としてつくられた反日国家、反日教育と反日メディアが旗振り役になって、反日しないと政権は安定できない。

②反日世代は老人よりも簡体字かハングル世代、そしてネット世代が主役で、日本を知 らないほど反日意識が強い。

③生まれ変わったら中国人•韓国人になりたくない者が3分の2以上で、中国人の富裕層は64パーセントが外国に移住したい。韓国はさらに多く、90パーセント以上にのぼる。実際、中韓ともあの手この手で、祖国大脱走が加速的に昂進中の国である。

④儒教文化の伝統と中華思想が強く、大中華と小中華の差があっても、ともに国自慢に必死で、とくに小中華は近年ウリジナルで知られている。

中国と韓国は政治に限らず、あらゆる分野で一つになるのが極めて難しい国である。いくら国是国策として、反日•仇日運動を断行しても、「全民運動」になるのは難しく、全員一致とまではなかなかいかない。

それは自然の摂理と社会の仕組みからくるものだから、漢の武帝の時代から「儒教独尊」 をしても、実際そうはいかなかった。だから表面は儒教、背後は法家の刑罰という、「陽儒陰法」やら「外儒内法」とまでいわれたのである。

実際、歴史を見ると、「仏教」に対しては、「三武一宗」の廃仏毀釈、義和団の「キリスト教徒の皆殺運動」としての「扶清滅洋」という皆殺反乱、長期にわたる「洗回」というイスラム教徒の皆殺し運動が見られる。朝鮮半島の歴史を見ても、李朝の「崇儒斥仏」運 動から「衛正斥邪」運動がないと、一つにはなれなかった。

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