9/11日経ビジネスオンライン 石黒千賀子『中国に欺かれ続けてきた米国 米中国交回復の驚くべき真実を著書「China 2049」で明かしたM・ピルズベリー氏に聞く』について

何を今頃気付いたのかという気がしないでもありません。「後から言うのは福助頭」でしょうと言いたいです。でも better late than never です。今からでも軌道修正した方が良いに決まっています。ダメなのは日本の経営者でしょう。中国への投資に未練を残してはダメです。敵国を経済的に助けることは利敵行為です。レーニンの言った「資本主義諸国の経済人は 自分の首を絞める縄を編んで持ってくる “ 役に立つ白痴”である」そのものでしょう。そんな大局的な判断ができる経営者は日本にはいなくなってきています。戦後教育の咎めでしょうか。自分だけ良ければいいという人や保身に固まっている人しか選ばれなくなっている気がします。東芝など最たるものでしょう。

でも経営者だけではありません。日本人全体が如何に騙されて来たのか。小生が中国から20005年に帰ってきて「騙す人が賢く、騙される方が馬鹿と言うのが中国人の基本的価値観」という話をしたら、国粋主義者だの人種差別主義者だの言われました。今小生が同じことを言っても、昔のような言われ方はしないでしょう。騙されて来たのに気付いてきたからです。中国の尖閣への対応や爆買来日中国人の実態を見るにつれ真の中国の姿に気付いたからです。

アメリカも百年経たないと気付かないほど愚かなのかという気がしましたが、アメリカは変わるときは早いです。日本のようにモッタリしていません。第二次大戦の時に太平洋艦隊司令長官をキンメルからニミッツにすぐ変えました。危機管理という点で日本は農耕社会そのものです。敵は大自然だけで他国が攻めてきても武士同士の戦いですから、百姓は関係ありません。平和な社会が続いたので騙すことを毛嫌いし、信頼をベースにした社会ができたのだと思います。中国とは全く正反対の社会です。

さて、中国が今一番考えていますのは中国系米国大統領を出すことと思います。何せ戦わずして勝つのが上策の国ですから。中国の人口の多さによる移民と賄賂、ハニトラを駆使して大統領を出し、中国に有利な世界を作ろうとするのでは。中国人にとって黒人は侮蔑の対象です。「黒人が米国大統領になれたのだから中国人が大統領になれないはずがない」というのが彼らの頭の中でしょう。中華思想に固まっていますので。何の科学的根拠もないのに自分たちは優れた民族と思いこみます。朝鮮半島も同じですが。

記事

Michael Pilsbury

マイケル・ピルズベリー(Michael Pillsbury)氏

1945年米カリフォルニア生まれ。米スタンフォード大学卒業(専攻は歴史学)後、米コロンビア大学にて博士課程を修了。1969~70年国連本部勤務を経て、73~77年ランド研究所社会科学部門アナリスト、78年ハーバード大学科学・国際問題センターのリサーチフェロー、81年国務省軍備管理軍縮庁のディレクター代行、84年国防総省政策企画局長補佐、86~90年議会上院アフガン問題タスクフォース・コーディネーター、92~93年国防総省総合評価局特別補佐官、98~2000年国防総省特別公務員(米国国防科学委員会)、1997~2000年米国防大額客員研究フェロー、2001~2003国防総省政策諮問グループメンバー、2003~2004年米中経済・安全保障検討委員会シニア調査アドバイザー、2004年以降、現在も国防総省顧問を続けながら、ハドソン研究所中国戦略センター所長も務める。米外交問題評議会と米シンクタンクの国際戦略研究所(CSIS)のメンバーでもある。米ワシントン在住。

著書に『Chinese Views of Future Warfare』『China Debates the Future Security Environment』などがある。(写真:大高 和康、以下同)

「米国の対中戦略は根本的に間違っている」。なぜか。「中国は再び世界の覇権を握るべく、米国や一般に世界が考えているよりはるかに長期的な視点で、戦略的に考え、動いている。そのことにあまりに多くの人が気づかず今に至っているからだ」――。

 こんなメッセージの本が米国で今年2月に出版され、米「ウォールストリート・ジャーナル」や米「ニューズウィーク」が取り上げるなど話題を集めている。英語の原題は、『The Hundred-Year Marathon:China’s Secret Strategy to Replace America as the Global Superpower』。中国が取り組んでいるのは、まさに「100年の歳月をかけて実現させようとしているマラソンのような長期的な戦略」なのだという。

 著者は、1969年以降、米ニクソン政権からカーター、レーガンと歴代の政権を通じて計約30年にわたり米国防総省や米国務省などで、中国の軍事力の分析に携わってきたマイケル・ピルズベリー氏だ。このほど日本語版『China 2049』が出版されたのに伴い、同氏が見る中国の考え方、そして、米国や日本がそうした中国にどう対応していけばいいのかを聞いた。

 インタビュー4回に分けてお届けする。ピルズベリー氏は、本を書いた目的は決して中国への敵対心をあおるためではないと強調する。米国や日本はどうすべきなのか、同氏の提案する対応策を最終回で紹介するので最後までご覧いただきたい。

 第1回は、米国と中国の国交正常化プロセスに至る驚くべき真実を含め、ピルズベリー氏がなぜ本を書くに至ったかを話してもらった。記事の末尾にピルズベリー氏へのインタビューを一部収録した動画を掲載した。(聞き手 石黒 千賀子)

—「米国の中国に対する認識の誤りは、米中の国交回復に遡る」と指摘されています。

ピルズベリー:米国ではこれまで、米中の国交を回復させたのは、リチャード・ニクソン大統領とヘンリー・キッシンジャー氏(ニクソン大統領の国家安全保障担当大統領補佐官)だったと誰もが信じてきました。実際、キッシンジャー氏は自らの回顧録の中で何度もそう書いてきた。「中国の扉をノックしたのは自分たちで、それによって我々が中国を世界の舞台へと導き出したのだ」と。米国には「Only Nixon could go to China」という諺まであるほどです。朝鮮戦争以降、あれだけ米国が敵対してきたしてきた中国への訪問を実現できたのは、米国内の反対派をも押さえ込めるほどの支持を誇っていたニクソン氏だからできた功績だという意味です。しかし、事実は違った。国交を回復すべく、米国に働きかけてきたのは中国でした。これが真実です。

「米中関係は知られていない事実があまりに多い」

 事実、キッシンジャー氏も2011年に出版した彼にとって4作めとなる回顧録『On China(邦題:キッシンジャー回想録 中国)』では、国交回復への表現を微妙に変えています。中国側からも、米国側からも双方が「並行して」働きかけた結果、実現したものである、と。それまでの3つの回顧録には、このような「並行して」という表現は出てきません。

 私が今回、本を書こうと思った理由は複数ありますが、大きな理由の一つがキッシンジャー氏のこの4作めの回顧録を読んだことでした。彼はこの回顧録を書くのに8年かかったと語っています。すべてではないものの、以前よりずっと多くのことを明かしているし、それまで彼が書いてきた本とも見方が全く異なります。「キッシンジャー氏も、中国への見方を変えつつある」と確信しました。私も、30年近く国防総省や国務省、米上院委員会、米中央情報局(CIA)など米連邦政府機関で中国の専門家として働いてきて、少し前までは「パンダハガー(親中派)」として知られてきた。しかし、近年、中国に対する認識を改めるに至りました。

 米中関係については知られていない事実があまりに多い。自分自身の経験も踏まえつつ、そうした知られていない事実を明らかにすることで、中国や米中関係の全体像をしっかりと伝えることが今こそ重要だと感じ、本を書きました。

「中国は1969年以降、同じ戦略を実行し、成果を上げている」

—米国も私たちも中国に対する理解、認識が全く間違っていると…。

ピルズベリー:中国については、多くの政治家がこれまでずっと「中国は貧しい、遅れた国だから支援してあげなければならない」と考えてきた。ニクソン大統領に至っては「我々は、怒りを抱えたまま殻に閉じこもっている中国を放っておくわけにはいかない。彼らによくしてやって、固く閉じた殻から出してやらなければならない」とまで言っていた。これが従来の見方でした、しかし、実際の中国の姿は全く異なります。

—数年前まで先進国の多くの人は、「中国も西側諸国のように経済成長すれば、自ずと市場経済も発展し、民主的で平和な国になっていくはずだ」と信じていました。しかし、特に習近平政権になって以降、「中国が進もうとしている道は全く違う」との認識が広がっています。

ピルズベリー:確かにそうした見方は広がってきています。しかし、何が起きているかと言えば、中国は1969年以降、同じ戦略を今に至るまで一貫して実行しており、着実に成果を上げている、ということなのです。少なくとも私は、そう見ています。

米国は中国から受けた国交回復の誘いを5回断った

 ただ、そうした中国の動きを理解するには、米中の国交正常化への動きがいかにして始まったのかから理解する必要があります。ですから、米中国交回復に話を戻しましょう。

 まず米国は、米国と関係を築こうとする中国からの誘いを何回断ったと思いますか――。米国は、ニクソン大統領が1972年2月に訪中するまでに、中国からの誘いを実に5回断っています。

—それほど、中国は必死だった?

ピルズベリー:はい。キッシンジャー氏が残した当時のメモなどの関連資料の「機密扱い」が解除されたのは、ほんの1年ほど前のことです。私は今回の本を書くにあたって、アメリカ国立公文書記録管理局やニクソン、カーター、レーガン大統領それぞれの図書館・博物館に足を運び、キッシンジャー氏に関連する資料を入手し、全部を時系列に並べて読み込みました。そこには、まだ知られていない情報が多くありました。

 例えばレーガン大統領は、中国に関する機密事項の文書はコピーを常に15部しかとらせなかった。つまり、その内容は15人しか知らない、ということです。その前のカーター大統領の場合も、中国の機密事項については7人しか知らない。こうした重要な事実が10年、20年、30年と時が経つ中で埋もれていくと、米中関係の全体像を知ることは難しくなる。

 キッシンジャー氏の残した文書の機密指定が解除になり、これらの資料を集めて、付き合わせた。その結果、米中国交回復への動きが実際にはどのようにして始まったのかを突き止めました。

 まず、重要な真実として、中国から米国に1970年末か71年初めに届いて、今も米国の機密文書として保管されている手紙があります。英文タイプライターで打たれたもので、署名はない。パキスタンの駐米大使からホワイトハウスに届けられた手紙です。そこには「ニクソン大統領が訪中することを歓迎します。あるいは誰か代表を北京に派遣して下さっても結構です」と書かれている。これはニクソン大統領による訪中が、中国からの働きかけで始まったことを示す重要な証拠の一つです。

 中国は、この手紙を送る前にも複数回、米国にアプローチしていました。ノルウェーの首都オスロにある米国大使館に中国大使館の人物が来て「あなた方と話がしたい」と語った事実もある。その後、アフガニスタンのカブールにある中国大使館の人たちが米国大使館を訪ねてきて、「あなた方に会いたい。本当だ」と働きかけた事実もある。

 いずれのケースにおいても、非常に驚いた現地の米大使館がワシントンに「中国大使館の人たちと会っていいか」と指示を仰いでいますが、米政府の回答は「ノー」でした。私はニクソン大統領およびキッシンジャー氏による彼らへの返信も見つけました。そこには「会ってはならない」と記されている。

毛沢東はエドガー・スノー氏にまで声をかけていた

 こうした米国の反応に怒り出した毛沢東は1970年10月、スイスに住んでいた米国人ジャーナリスト、エドガー・スノー氏(1972年2月にスイスにて死去)をわざわざパレードに招き、彼に直接「ニクソン大統領に訪中してほしい、と伝えてくれ」という旨のメッセージを託すことまでしました。しかし、これも成功しなかった。このメッセージがニクソン大統領のもとに届くことはなかった。スノー氏がニクソン大統領のことを非常に嫌っていたためです。詳しくは本を読んでほしい。

 これらの事実についてもキッシンジャー氏が書いたメモを私はリチャード・ニクソン図書館・博物館などで見つけて読みました。

—中国は、米国と何とか関係を構築しようと必死に何度も働きかけたけれども、米国は一貫して否定的なスタンスだったということですか…

ピルズベリー:そうです。ニクソン氏が強い反共産主義者だったことは有名です。大統領に就任した翌月の1969年2月には記者会見を開いて、「中国を念頭においたミサイル防衛システムを構築する」「なぜなら中国は信用できないからだ」とまで発言していたほどです。キッシンジャー氏も首席補佐官に就任した当初の2年間は、中国に近づくことには反対の立場でした。

 一方の中国の方は、ヨシフ・スターリンが1953年に死去するとソ連との関係が悪化し、60年以降、中ソの緊張は高まりつつあった。64年と65年にはソ連が100万人規模の部隊を中国との国境に移すなど、中国はソ連から軍事的圧力を感じていた。「最大の友好国が自分たちを敵視し始めた」という状況を前に、中国は自らの戦略を見直すことを余儀なくされていたわけです。

ソ連とのデタントを重視した米国

 中国が5回もアプローチしてくる中、当初は否定的だった米政権内で、中国との関係を築くことに関しては2つの見方が浮上します。一つは、中国と仲良くすれば、ソ連を怒らせることになるからまずい、という見方です。

 ニクソン氏が大統領に就任した最初の年の1969年、ニクソン大統領とキッシンジャー氏は「ソ連とはデタント(緊張緩和)が必要だ」というメモを多く書いています。米政権が、核兵器を削減し、軍備増強を控えれば、ソ連は、米国がベトナムから撤退するにあたって、それなりの協力をソ連から得られるのではないか、との期待からだ。当時、ベトナム戦争で苦戦を強いられていた米国は、ベトナムからの撤退を望んでいました。そのため「中国と友好関係を築こうものならモスクワを怒らせることになる。そうなれば、ベトナムでソ連から支援を得るどころかデタントまでキャンセルとなり、最悪の展開になる」というわけです。「中国に近づけば必ずソ連の知るところとなり、中国とは距離を置いた方がいい」と。だからオスロの誘いも、カブールでの誘いも断った。

 もう一つの見方は、中国と多少仲良くしてもソ連は中国と米国が接近することを既に想定しているのでそれほど怒らないのではないか、というものです。

—米中が接近した場合、ソ連がそれをどのように受け止めるかについて、ピルズベリーさんご自身もCIAやFBI(米連邦捜査局)に情報収集を依頼されたと本の中で明かしていますね。

ピルズベリー:はい、1969年当時、私は国連本部の35階で働いており、上司はロシア人で非常に高位の外交官でした。しかも周りの同僚もソ連の人たちばかりだった。CIAとFBIが、米中が接近した場合のソ連の反応や中ソ分裂の可能性を私に探るよう頼んできたのはそのためでした。何しろCIAやFBIは、国際組織である国連本部には足を踏み入れることすらできませんから。米政府としてはソ連側の反応を何としても知る必要があった。これが、CIAやFBIの協力者として私が働くようになったきっかけです。

 ですから今回の本を出版するに当たっては、日本語版でも目次の前に「筆者注(Author’s note)」を入れてもらったように、CIA、FBI、国防長官府、そして、国防総省のある部署に内容を査読してもらっています。内容が非常にデリケートなためです。実際、この4つの米連邦政府機関による査読を受けた結果、残念ながらそれぞれの組織から削除を命じられた部分があります。また、私は本に書いた内容以上のことは話してはならないことにもなっています。

中ソ関係は悪化

—まるで映画のような話ですね…

ピルズベリー:国連で共に働いていたソ連の上司や同僚からは、中ソ国境でソ連軍の中隊が待ち伏せをしていた中国軍に奇襲攻撃をかけられた話など、中ソ関係がかなり悪化している状況を聞き出すことができました。機密指定解除になった一連のキッシンジャー氏の資料の中に「ソ連は、米国と中国の関係がある程度近づくことを既に予想している」と書かれた国連本部発の情報があります。それには「最高機密」と書かれていました。FBIもCIAも、何人もの協力者を抱えています。そうした協力者が書いたレポートはすべてキッシンジャー補佐官の元に届けられ、彼はそれをメモにまとめていたということです。

 こうした約2年の歳月を経て、中国に近づいてもソ連の怒りを買うことはないだろうとの結論に至った米国政府は、ついに中国からの招待を受け入れ、1971年7月と10月にキッシンジャー補佐官が訪中し、翌72年2月、ニクソン大統領による訪中が実現するわけです。

—しかし、本にも書かかれていますが、当時の米国はソ連との関係に全神経を集中させていたことから、中国がいったいかなる意図で米国に接近してきたのかという点にはあまり注意を払っていなかった…

ピルズベリー:そうです。私はソ連から来ていた同僚や上司から複数回にわたり、「中国には気をつけた方がいい」というアドバイスを冗談を交えながら聞いていた。しかし、当時の私にはそれは、「ただの冗談」にしか聞こえていなかった。 本では「Only China Could Go to Nixon(アプローチしたのは中国)」と題した第2章で、かなりのページを割いて、米中の国交回復への動きがどのようにして始まったかを説明しているので、読んでほしいと思います。

 私が何より強調したいのは、今、あなたが私に質問した「なぜ中国は米国に近づいてきたのか」の答えが、単にソ連との関係が悪化したため、などという単純な話ではなかったということです。

—そこには、先ほどおっしゃった中国が1969年以降、追求してきたもっと深い戦略的な狙いがあった…

ピルズベリー:そうです。それを次にお話ししましょう。

https://youtu.be/97_SEQmJPfA

9/11日経ビジネスオンライン 石黒千賀子『中国に欺かれ続けてきた米国 米中国交回復の驚くべき真実を著書「China 2049」で明かしたM・ピルズベリー氏に聞く』について」への3件のフィードバック

  1. この本を読んで気がつきましたが、中韓が真に憎んでいる相手は米国で日本はいままで代理でたたかれていたということです。日本の左翼のいかに甘いことか!!

    • コメント有難うございます。
      小生は、まだ「China 2049」は読んでおりませんが、
      中国は「指桑罵槐」の国ですし、韓国は小中華ですので
      本来叩くべき国ではない国を表面的に叩くことはあると
      思います。
      左翼だけでなく戦後日本人が「戦う姿勢」を忘れ、
      「主張すべきは主張する」ことを忘れていますので
      国益も国の名誉も守られてないと思っています。
      本ブログでいろんな記事を紹介することでお役に立て
      ればと思っております。

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