『2018年秋、習近平は「裏門」を開けられるか 「青空」の下で高まる「人民の不満」、対応を誤れば…』(1/1日経ビジネスオンライン 福島香織)について

1/1アポロネット<習近平的鬧心事 政治局25名成員逐一上鏡發言=習近平が心を煩わせるのは、25名の政治局員が逐一報告する内容について>何清漣に依れば、「習近平が政治局員に求めていることは2つあり、一つは本人の問題、二つ目は家族の問題である。但し、王岐山が退職以降、誰もが王の仕事をやりたがらず、またこのメンバーでは王ほどの才能は持ち合わせていない。要求の落とし所は、実の所難しい。毎回の会議は説明会のようである。」と。

香港の雑誌「争鳴」の2017年2月号に依れば、2016年12月26、27日と二日間、政治局は長い民主生活会を開いた。延べ20時間にも亘り、一人ひとり先ず自分の検査報告、5分間は自己批判に充てる。習近平が相次いで4回に亙る講話と5条に基づく自己批判を展開、劉雲山は習の批判を受けた。

<香港メデイアによると王岐山は江派の大物と話し、最後通牒を突き付ける>

香港の雑誌「争鳴」の2016年7月号に依れば、6月中旬の週末に中共中央は香山中央幹部休養所で学習座談会を開いた。退職した元政治局常務委が集められたが、江と胡両元総書記は集められなかった。

王岐山はこの会議で,直接曾慶紅、李長春、賈慶林、賀国強を指名し、3つの要求を突きつけた。1,個人、配偶者、子供の財産と収入の出所についての公開・公示意見にいつ署名するのか2,子供・配偶者・直系親族のビジネスについての規範についていつ署名するのか3,当然、自律・自覚して執行紀律や規則を遵守し、一切非正常な活動を停止すると。

http://tw.aboluowang.com/2018/0101/1048515.html

福島氏の記事と上記のアポロネット記事を読んで思い出したのは、毛沢東が共産党内部の権力奪取の為起こした「整風運動」です。1942年から始まり45年には終了した運動ですが、自己批判の手法は文革でも引き継がれ、多数の善良な市民を死に至らしめました。日本の左翼もあさま山荘事件のように総括・自己批判をさせてリンチして仲間を殺し合いました。左翼の特徴でしょう。仲間を敵に仕立て上げ、自己批判させたうえで殺すというのは。革命が如何に血を見るかです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B4%E9%A2%A8%E9%81%8B%E5%8B%95

習近平も毛のこのやり方を真似ています。中国人民がまたあの時代に逆戻りするのを恐れる気持ちは分かります。特に知識人は臭老九として文革の時には弾圧されましたから。折角豊かになったのに財産は剥奪、悪く行けば処刑となりますので。

これが続けば、優秀な人間ほど中国から出るようになるでしょう。でも中国人の本質は変わりません。「騙す方が賢く、騙される方が馬鹿」ですから。近くてお人好し日本人は彼らから見ればカモです。今の日本人にどれだけ彼らを撥ね付ける力があるのか。「悪貨は良貨を駆逐する」状態にならなければ良いですが。

記事

習近平主席は「人民の不満」に対処できるのか(写真:新華社/アフロ)

2017年暮れに北京、山西省雲城、河北省・石家荘、貴州省貴陽と所用があって出かけてきた。一つ印象的であったのが、空気がずいぶんきれいになっていたことだった。北京でも山西でも河北で貴州でも、現地に行って一番最初に接触する中国人、つまり地元のタクシー運転手や白タク運転手たちが共通して口にしたことは、「今年の空気はずいぶんいいだろ。太陽が見えているからな」というセリフだった。言い方は、それぞれの表現があるが、北京や河北や山西では、この季節、スモッグがひどくて太陽が鈍いオレンジ色をしている日が多い。だが、今年の冬は太陽の日差しが北部の黄色い大地に届いていた。もちろん、まったく大気汚染がないということはなく、東京などと比べると、やはり空気の透明度は相当低いのだが、一時のひどいPM2.5のことを思えばすばらしく空気がきれいになった。

「よくなったのは空気だけ」「追っ払われたのさ」

地元の中国人はこれを「習近平の青空」と呼んだ。なぜなら、この青空は、習近平政権の数々の政策、つまり北京など北部での「煤改気」と呼ばれる「石炭から天然ガスへの燃料転換」(途中で、石炭の代わりに使用されている天然ガスの高騰で、この通達は一部緩和された)や、北部の大気汚染原因である中小工場の一斉閉鎖や、北京市での冬季の建設プロジェクト中止、爆竹の禁止などの通達による効果とみられるからだ。興味深いのは、「では習近平政権のおかげで、大気汚染が改善されたんだな。みんな喜んでいるかい?」といった問いかけをすると、必ずしも肯定的な答えは返ってこない。

「よくなったのは空気だけだな」「習近平の青空のために我々はたくさん犠牲をはらっている」「我々の指導者は、民生よりも国防や国家のメンツを重視しているんだ」といった微妙なニュアンスの答えが返ってくる。

かつて貧困の代名詞であった貴州省の省都・貴陽はいたるところで高層ビル建設、再開発、モノレール建設が進み、いかにも景気がよさそうだが、では地元のタクシー運転手たちの稼ぎがよくなったか、生活がよくなったか、という話になると、「農村がいきなり強制撤去された」「新しくできた都市やマンション街にやってきたのは外地のやつらばかり」「確かに月収はこの数年よくなったが、それ以上に物価が高くなったので生活は前より悪くなった。特に家賃の高騰がひどい」といった不満の声の方が多い。

山間部の小さな少数民族の村がいきなり消えてそびえるようなマンション群、別荘群が登場するが、買い手は外国籍を持つ華僑らだ。貴陽は今後、世界のビッグデータセンターとして、国際的なIT、AI、VR関連企業が集中すると喧伝されているので、目ざとい華僑の金持ちたちは値上がりを見込んで不動産を買いしめる。では、そこにもともと住んでいた、いまだ民族衣装を日常に来ている高齢者も含む村民たちはいったいどこにいったのだろう? 案内してくれた運転手に聞くと「追っ払われたのさ」。貴州省のGDPが急上昇しているのは、建設ラッシュぶりをみれば納得がいくのだが、肝心の人々の暮らしがどのくらいよくなったのか、という話になると、あまり見えてこない。

「習近平はものすごく切れやすい」と、ある北京都市民は語った。ニュースにはなっていないが、トランプ米大統領が訪中したとき、首都国際空港の付近で小さな工場が爆発事故を起こした。それは偶然の事故だったが、習近平は、これに激怒し、すぐさま空港周辺5キロの工場をすべて問答無用でつぶした。こうした工場の中には安全基準に問題のあるものもあったが、多くは出稼ぎ者や周辺の村の農民の現金収入源であった。こうした中小工場は、地元の政府や党委員会の関係者に、ささやかな賄賂を贈ってお目こぼししてもらって営業していたが、この一斉閉鎖命令は、地元の政府や党委員会を越えて党中央の指示であったために、言い訳も懇願も通用しなかった、という。

「普通の中国人にとって悪い方向だ」

大興区の火事をきっかけに「低端人口」の追い出し政策を実行したのは、北京市委書記の蔡奇であるとして、批判はもっぱら蔡奇に向かっている。だが、ある事件をきっかけに、「キレた」ように、強権的な政策をいきなり一気に容赦なく実施するのは、習近平の性格を反映しているのではないか、と思う。

北京を中心に、北部の人たちの多くが今なんとなく予感しているのは「中国は今激しく変化している。しかも普通の中国人にとっては悪い方向だ」ということだ。

今振り返ると、2008年の北京五輪前も、確かに土地の強制収用問題とそれにともなう人権問題、急激な再開発計画による人々の暮らしへの激震というものがあり、多くの庶民が戸惑い顔を見せたが、少なくとも、あの時の変化は、まだ自分たちが予想できる範囲の変化であり、また中国全体に、明日はもっとよくなるはず、という期待感はあったように思う。だが、知り合いの北京市民の間で聞こえるのは「今の中国の変化は予想を上回る。あす、どんな通達が出て、これまで許されてきた生き方が、ダメだといわれるか、正直わからなくなっている」という不安だ。

いきなりの明日働く場所が失われる。いきなり住んでいるところが撤去される。今まで習慣化していたささやかな脱税や密輸が、いきなり信頼する部下や同僚に密告され刑務所に入ることになる。今まで存在はしていたが、守らなくてよかった法律がいきなり厳密に施行され、いきなり巨額の罰金が科される。そういった話を北京のあちこちで聞いた。

そういう話の中には、北京で長年、北京流でビジネスをやってきた日本人ら外国人が当事者のケースも結構含まれる。ある日本人ビジネスマンは「この激しい変化の先を予測できるものだけが、中国で生き残れる」と慄いていた。

変化の年、過渡期の年

もともと法律が多く、規制・統制の厳しい北京では、法律通り規則通りに商売をやっていてはぜんぜん儲けにならない。だから、その法律や規制の「走后門」(裏門を行く)という表現で抜け道を探す。「走后門」は外国人が中国語を習うと、最初の方に習う言葉であり、それが中国人の生き方そのものであった。だが、習近平政権はその「走后門」を完全に閉じ、共産党の管理を徹底しようとしている。

つまり中国人の生き方そのものを変えよう、ということである。中国は昔から、自由がひどく制限され、統制され、貧しく、自然環境と政治が苛酷で、差別も人権無視も公然とおこなわれる厳しい社会であったが、どこか「なんとかなる」「なんとかできる」という楽観が救いだった。習近平政権二期目の特徴は、その楽観を根こそぎつぶしにかかっているというところにある。だが、そんなことが可能なのか。

2018年に中国がどうなるのか、という予測が今回のコラムのテーマであるが、2018年の予測自体はあまり意味がない。

なぜなら2018年は、変化の年、過渡期の年であり、その先、結果はおそらくまだ見えないからだ。習近平政権が中国をどのようにしたいか、ということは第19回党大会で打ち出されている。習近平独裁を確立し、これまでの中国共産党秩序から習近平が新たに作る秩序で中国を支配する。それは腐敗せず清廉潔白で規則を重んじる「理想の共産党」による支配の徹底であり、習近平を頂点とする共産党ヒエラルキーと、その共産党に従順に従う、清く正しく文明的な人民によって構成される中国の実現であり、その中国が世界の秩序・文明の中心として影響力を発揮し、米国一極の世界から米中二極時代、最終的には中国一強時代を目指すという壮大な野心が背後にある。それを実現するための処方箋を2018年秋の三中全会(第三回中央委員会総会)で打ち出すことになる。

この処方箋を最終的にどのようにまとめるかは、2018年夏までの党内の権力闘争の行方にも左右されるが、それまでに北京など直轄市や重要省で実施される、さまざまな政策の成否を見ながら調整されると思われる。

「小康社会」はどこへ?

もし今、北京や北部の都市で行われているような、統制強化と、統制しきれぬものは問答無用で徹底排除というやり方が習近平政権の根本的な方針として三中全会で承認されるようであれば、おそらく今後の中国は、私たちが過去30年余りの間になじんでいた国と大きく様変わりする可能性がある。

旺盛な欲望や活力をもち、政府の厳しい統制下でも柔軟にずる賢く臨機応変に生き抜く人々があふれる、厄介ながらも魅力的な部分もある中国から、共産党に従順な統制された人民以外は排除された厳しく冷酷な先軍的専制国家になるかもしれない。民間経済は萎縮する一方で、国家主導の都市建設、一帯一路戦略が経済利益無視で進められた結果、GDP的には目標値を上回るかもしれないし、大気汚染問題は目に見えて改善するかもしれないが、習近平政権が人民に約束した「小康社会」の実現や魅力あるグローバルな市場の誕生とは全く別物だ。

だが、こうした習近平の“中国”が誕生したとして、長続きするか、というとこれも話は別である。中国の政治はいつの時代も、統制が基本であったが、それは強い統制がなければ無秩序に暴発しやすい中国人民の性格が関係あると思う。それは近代に入っても繰り返し発生する政治動乱の多さを見ても想像がつくだろう。だから政権側は常に、統制を強化しつつも、ある種のいい加減さや、抜け穴や逃げ道を認め、そして適度なガス抜き対策を一緒にやっていた。

習近平政権が従来の政権と違う、と感じるのは、こうした抜け道や逃げ道をほとんど認めず、徹底した人民コントロールを目指しているように見える点だ。かつてはやろうとしても不可能だった徹底支配、徹底統制が、IT、AI、フィンテックといった技術の進歩でできるようになった。だが、外国人はもとより、統制慣れしている中国人ですら「息苦しい」と訴える、そんな徹底支配、徹底統制が長続きするのだろうか。

中国の政治は、今なお王朝政治に例えられ、法治ではなく人治、徳治を掲げるのだが、こうした王朝を覆すきっかけはだいたい農民起義、つまり人民の反乱である。王に徳がない、と誰かかが言い出せば、その煽動にのった大衆によって政権は倒されてきた。だから、中国の政権にとって最大の敵は人民、というのは本質である。

習近平は、その人民の中から、意に染まないもの、貧しすぎるもの、文明的でないもの、規律・秩序を乱すもの、中国のイメージを悪くするものを徹底的に排除し、従順な人民のみで構成される中国を創ろうとしているのだが、だからといって排除されたものが、死滅しているわけではなく、彼らは何かのきっかけで集団化し暴発する可能性は今後高まっていくという気がしてならない。

「徳」はあるのか

習近平政権が私の予想より聡明であれば、中国人の本来の生き方や価値観を根本的に変えていくような徹底的な統制は不可能であると気づき、どこかで政策の転換を打ち出すかもしれない。党規約にまで書き込んだ一帯一路戦略に象徴される、自国の民生改善につながるどころか圧迫しかねない国家主導の大型プロジェクトよりも、民営経済の振興を重視する規制緩和政策に転換する可能性もゼロではない。

だが、今の方向性を堅持した結果、そこで生じる庶民の不満の矛先を外国人や外国、たとえば日本に向けようと世論誘導するかもしれない。2018年は首相の相互訪問の予定があり、表面的には日中関係改善が期待される年ではあるが、それが大きく裏切られる可能性も常にあることを頭の片隅に置いておく必要があるだろう。

いずれにしろ、予測といえるほどのものが見えてくるのは2018年の秋以降だ。それ以降、ひょっとすると「習近平には徳がない」と叫び出す誰かが登場するかもしれない。

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