『北戴河で習近平の「毛沢東に並ぶ夢」は叶うか 党大会で「党主席復活」「党規党章に“習近平思想”」目論むが…』(8/9日経ビジネスオンライン 福島香織)について

昨日に続き、中国の秋の共産党大会の動向です。議会制民主主義体制と違い、共産主義の人民民主体制は秘密主義を旨としますので、情報がなかなか入ってきません。「鉄のカーテン」ならぬ「竹のカーテン」です。ただ、中国は何でもご都合主義で、西側を利用する所は利用し(資金・技術・貿易)、軍事大国になるまでになりました。米日の愚かさです。

党大会が習の思惑通りに行くかどうかは分かりません。王岐山を利用した反腐敗運動で怨みを買っているためです。結局、面従腹背の役人が増え、業務停滞を招いています。中国人は上から下に至るまで賄賂を取らない人間はいません。チップのようなものと思っているのでしょう。桁は違いますが。ですから反腐敗運動が正義の実現の為でなく、政敵打倒で使われているのは、中国人は先刻承知です。

昨日の「看中国」の記事では、習は政治局常務委をなくすと噂を流しているとのことでしたが、それも噂だけに留まるのかどうか。ハッキリしていますのは習が独裁できるだけの絶対権力をほしがっているということでしょう。

習がもし、独裁できる権力を握れば、福島氏が懸念していますように、日本と戦争を引き起こすことを考えているのでは。中国は日本のことをよく研究していて、平和憲法の制約があり、自衛隊は思う存分戦えないと思っている可能性があります。戦争になれば、国民もやっと覚醒するでしょう。日本から戦争を仕掛けることはありませんから。自衛隊は超法規的存在として戦うしかありません。憲法や法改正は間に合いません。戒厳令の発動でしょう。(法律がありませんから宣言して、治安維持を警察にさせることになるかも)。中共の手先であるメデイアの活動はストップさせないと。中国に攻撃情報を与えるようなものです。

また、中国国内では「食い詰める」人間が増え、海外に人口輸出を強制的に行うのでは。毛沢東の「大躍進」のように餓死させるわけには行かないでしょう。「一帯一路」がそれに使われるのではないかと考えています。余剰産品だけでなく、人もです。AI、ロボット化は中国の人件費の高騰から来ています。この流れは変わりません。となると人口の多さが逆にハンデになります。

8/9日経電子版習近平派が牛耳る「一帯一路」と「北京大改造」 

中沢克二(なかざわ・かつじ) 1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞

中国が総力を挙げる「一帯一路」。海と陸で欧州、アフリカまでつなぐ経済ベルトづくりを通じて、中国の影響力を広げてゆく「新シルクロード経済帯」構想である。今後、長い間、天文学的な数字の巨費を投じる一大国家プロジェクトの要のポストが、いま次々と入れ替わっている。

「一帯一路を核とする大きな国家プロジェクトの司令部は、あっという間に習近平国家主席の側近らで占められた。彼らの出身地は浙江省と福建省に偏っている。“浙江閥”と“福建閥”の勢いはすごい」。中国の経済関係者が指摘する。

「一帯一路」の総合計画や国際協力を仕切るのは、かつて社会主義計画経済の司令塔だった国家発展改革委員会。トップは2月に抜てきされた習近平側近の何立峰(62)である。前任は前首相、温家宝(74)の人脈だったが、習近平派への衣替えが一気に進む。

■「浙江閥」に加え「福建閥」台頭

習と何立峰の親密さを示す32年前の物語がある。まだ30代前半だった習は、当時としては異例の若さで副市長として福建省アモイ市に赴いた。出迎えた職員は目の前の習が余りに若いため、新任の副市長だとは夢にも思わなかった。そこで習本人に「習副市長はまだ来ないのですか」と尋ねたという。

習は、元副首相の習仲勲を父に持つ「紅二代」(高級幹部の子弟)だ。いきなりやってきた若すぎる副市長が“落下傘人事”と見られたことも響いて、当初は年長の部下が多い役所で手持ち無沙汰だった。そんな習の気晴らしはバスケットボール。市の秘書職で2歳下だった何立峰もバスケ好きで、2人は年の近さもあって意気投合し、休憩時間にバスケを楽しんで親交を深めた。

「一帯一路」の要を担う国家発展改革委トップは「福建閥」の何立峰氏

スポーツは時に身を助ける。何立峰の場合、バスケが将来を切り開いたといえる。ありがちなゴルフやテニスではなく、米国のスポーツであるバスケというのが面白い。

習はアモイに赴いて2年後、軍の国民的な歌手、彭麗媛と再婚し、新婚生活を始めた。17年近く過ごした福建省で出世の階段を登っただけに思い入れは深い。この9月、ロシア大統領のプーチン、インド首相のモディらがやってくるBRICS首脳会議をアモイで開く裏には、習の想いがある。

アモイを代表する観光地のコロンス島は2017年、世界遺産に登録された。福岡県の「神宿る島」宗像・沖ノ島と同時の承認だ。コロンス島は西洋風家屋から常にピアノの音が響く風流な地である。「習主席は故郷アモイのコロンス島を推すため、一筆添えてくれたんだ」。現地の人々は、うわさし合う。

「一帯一路」に絡む習側近は、もう一人いる。中国の命脈に関わる対米貿易摩擦の処理を担う商務省のトップも習派が制した。浙江省トップだった習を副省長として支えた鐘山(61)だ。こちらは「浙江閥」。失脚した孫政才(53)の後任として重慶市トップに座った陳敏爾(56)と同じグループだ。

対米貿易問題を仕切る商務相には「浙江閥」から鐘山氏を起用

習側近の新任閣僚、何立峰と鐘山は4月、フロリダにいた。米大統領、トランプの別荘「マール・ア・ラーゴ」の米中首脳会談で、2人は習の横に並んだ。いまトランプは、フロリダで習が約束した北朝鮮への圧力が功を奏しないため、再び貿易で中国を攻める構えである。「米中貿易戦争は百害あって一利なし」。鐘山は訴えるが、さすがのトランプも中国に甘い顔は見せにくい。正念場である。

中国のマクロ経済政策の司令塔としては、中央財経指導小組弁公室主任の劉鶴(65)が知られる。「この人は私にとって重要だ」。習がこう言ってはばからない知恵袋だ。国家発展改革委トップの何立峰、商務相の鐘山は今後、重鎮の劉鶴が描く画に沿って動く。

■北京大改造と雄安新区「千年の大計」

「一帯一路」と並んで、もう一つの巨費を投じる注目プロジェクトは、大気汚染と人口増でパンク寸前の北京の大改造だ。ばらばらだった北京、天津、河北省を三位一体で開発し、バランスのとれた人口、産業の再配置を目指す。すでに北京市の核となる政府機能は中心部から東の通州地区に移った。

次の焦点は北京から150キロも離れた河北省の農業地帯、雄安地区に一からつくる新たな開発区である。「雄安新区は千年の大計である」。習自らもこう大風呂敷を広げた。現地では、習の老齢の母親、斉心の出身地近くであることが選定の決め手になった、といううわさまで出ている。

この5月、雄安新区の予定地を訪れた。広大なトウモロコシ畑と湿地帯、そして小さな町があるだけだ。毛皮加工が有名で、軒先にはピンクに着色した毛皮がぶら下がる。すでに地価高騰の兆しから土地取引は禁止されたが、ここが10年、20年後に摩天楼に一変するとは想像もつかない。

中国には、単なる原っぱだった上海浦東地区を摩天楼に変えて新空港を整備し、ディズニーランドまで引っ張ってきた実績がある。とはいえ、高度成長期はもう終わった。巨費を投じる新都市づくりには、大きなリスクも伴う。鳴り物入りだった河北省の曹妃甸地区開発は、すでに問題が生じている。

雄安新区に絡んで、北京中心から南50キロに超大型の新国際空港を建設する計画も着々と進む。19年末の完成・運用を目指す。現在の首都空港は第3ターミナルまで拡張したが、すでに満杯で便の遅れも深刻だ。2300万人の人口を抱える首都として、もう一つ空港を持つのは理にかなう。

浙江・福建両閥の顔を持つ蔡奇・北京市党委員会書記は、朝日まぶしい人民大会堂で引っ張りだこだった(3月全人代で、当時は北京市長)

「北京大改造」の中心は、5月に北京市トップに就いた蔡奇(61)だ。まだ中央委員候補ですらない。蔡奇もまた福建省の出身。1990年代末に福建省から浙江省に異動し、同じく福建省から浙江省トップに赴いた習を現地で待ち受けた。蔡奇が「福建閥」「浙江閥」の2つの顔を持つ由縁だ。

習は、珍しく人前で蔡奇の人柄を褒めたことさえある。きたる共産党大会で「三段跳び」の党政治局入りは確実だ。河北省の保養地に要人が集う「北戴河会議」が始まったとみられる8月3日、蔡奇は北京で動いた。会議で「習近平総書記の重要思想」に繰り返し言及したのだ。党大会で習近平思想を党規約に書き込むための露払い役である。慎重派の機先を制する手でもあった。

北京で蔡奇とコンビを組むのは、代理市長の陳吉寧(53)だ。首都の市長としては極めて若い。環境保護相からの横滑りである。習の出身校、清華大学の学長という経歴からわかるように明らかな習派だ。首都ナンバーワン、ツーを身内で固めた豪腕人事には、党内から驚きのまなざしが向けられている。

■「お友達人事」にただよう危うさ

「北京、天津、河北に投ずる巨費を自派(習近平派)で動かしたいと考えるのは当然だ」。元官僚はこう見る。一連の「お友達人事は」は、習の権力基盤固めに必要な権限の再編と関係が深い。長老とそれに連なる官僚の影響力が強い北京、隣に位置する直轄市の天津をいったん解体し、新都市「雄安新区」をつくる河北省と一体で開発。自派の人材を配すれば、全権限が習の周辺に集まる。

従来、北京官界には電子・機械部門に人脈を張る元国家主席の江沢民(90)、国家発展改革委を仕切った前首相、温家宝の影響力が強かった。しかも天津は地元出身の温家宝、現最高指導部メンバー、張高麗の金城湯池だ。巨大利権を習派が牛耳る第一歩が、首都大改造と雄安新区建設である。

「身内で固める人事からは基盤の弱さも見える。組織的登用の術(すべ)がないから、知り合いを配置せざるをえない」。中国の政治学者の指摘だ。これもまた真実である。習は十分な準備を経てトップに就いたわけではない。07年秋の党大会前、急浮上して「ポスト胡錦濤」の地位を固めた。

習は最高指導部メンバー入りに先立ち、上海市トップに就いたが、わずか半年間だった。その前の5年間は浙江省トップ、さらに前の17年間弱は福建省で過ごした。習は「紅二代」とはいえ、共産主義青年団のような組織的バックを持たず、浙江や福建の人脈に頼るのは致し方ない。

「一帯一路」「北京大改造」は習の目玉政策だけに、絶対に失敗が許されない。上から下まで担当者が受けるプレッシャーは計り知れない。各部門で経験が浅い習派の人材が司令塔として本当に機能するのか。誇り高き官僚らとの間に軋轢(あつれき)を生まないのか。興味は尽きない。(敬称略)>(以上)

「北京大改造」なんて不動産バブルを煽るだけでしょう。土建屋国家そのものです。8/7宮崎正弘氏メルマガ<中国の住宅ローン残高、ついにGDPの44・4% 香港のエコノミスト、朗喊平の予言「住宅ローンを組んだら99%は破産する」>にありますように、バブルの傷を深くするだけです。

http://melma.com/backnumber_45206_6566476/

8/9日経朝刊<中国の対外投資46%減 1~6月、資本流出規制が響く 

【北京=原田逸策】中国企業の対外投資の落ち込みが鮮明になっている。1~6月の中国による対外直接投資は前年同期比46%減の481億ドル(約5兆3千億円)と大幅に減り、対中国直接投資(656億ドル)を再び下回った。当局が資本流出と人民元安を止めようと海外企業の買収を制限したためだ。資本規制を嫌って対中投資も前年割れに落ち込む。目先の市場安定を優先した資本規制は、中国企業の経営の高度化に逆風となる。

中国は1978年の改革開放から外資を大胆に導入して経済成長を実現し、対中投資は対外投資をずっと上回ってきた。国内の資本蓄積が進んだ2000年代から中国当局は「走出去(海外に打って出よ)」の掛け声のもと、中国企業の海外進出を後押し。16年には金融以外の対外投資が1701億ドルに急増し、初めて対内投資を上回った。

対外投資が対内投資を上回る国を「資本純輸出国」と呼び、経済発展が成熟してきたことを示す。中国当局も「経済貿易大国から経済貿易強国へと躍進する上での重要な出来事」(商務省)と評価していた。それが17年に再び「資本純輸入国」へと逆戻りした。

原因は当局の資本規制による対外投資の急減だ。昨年11月から1件500万ドルを超す海外買収や海外送金、両替などは当局の事前審査を義務づけた。以前の5千万ドル超から対象を大幅に広げた。さらに「不動産、ホテル、映画館、娯楽業、スポーツクラブなどで非理性的な海外投資がみられる」(商務省)とし、高い技術を持つ製造業以外の買収が認められにくくなった。

6月には不動産大手の大連万達集団、投資の海航集団など5グループの海外買収向け融資を点検するよう、銀行監督当局が銀行に要請したことが判明した。アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所とヘリテージ財団の調査では5グループの海外買収は1~6月に全体の約6割を占めた。

中国当局は当面は海外買収の制限を続ける意向とみられる。今月1日からは財政省が国有企業を対象に、海外買収に失敗した場合に担当者の責任を問う制度を導入した。買収した企業の経営が健全か継続的に調べることも求めた。「買収先のいくつかの企業は資産状況が思わしくなく、収益力も弱く、投資の収益率も低いなどの問題がある」(財政省)という。

規制で資本流出と人民元安を抑える目的は達成した一方、海外企業による対中投資が減る「副作用」も出ている。1~6月は前年同期比5%減った。特に米国(44%減)、英国(40%減)、ドイツ(37%減)など、高い技術を持つ欧米企業の大幅な減少が目立つ。「資本規制により利益を本国に送金しにくくなった」との不満が一因だ。

李克強首相は「対中投資の減少を高度に重視し、投資の障害を必ず取り除く」とハッパをかけるが、利益を出しても自国に還流できないとの懸念があれば、海外企業も投資拡大には二の足を踏む。

中国の習近平国家主席は1月の世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)で「開かれた中国」をアピールした。だが、現状は中国と海外の間を行き来する資本が細り、このままでは掛け声とは裏腹に「閉じた国」に逆戻りしかねない。>(以上)

普通に考えたら、儲けた金を還流できないような国に投資する人はいないでしょう。政策がチグハグです。習は経済音痴と言われていますので、経済政策を統合する組織が必要と思われますが、余りに数字の改竄、バブルの額が巨大すぎて打つ手がないと言ったところでしょう。でも、世界制覇を目指す中国の野望を挫くには、先ず経済で打撃を与えることです。西側は中国への投資を止めることです。

記事

7月30日、内モンゴル自治区で行われた中国人民解放軍建軍90周年の記念パレードでは習近平主席が軍服姿で閲兵した(写真:新華社/アフロ)

河北省のリゾート地、北戴河で開かれる非公式会議、別名「北戴河会議」が8月3日ごろから始まったようだ。3日ごろから習近平を含む政治局常務委員7人の動静がぴたりと報じられなくなったからだ。同時に北戴河の警備がものものしくなった。

そのころ、香港誌・争鳴が7月14日に行われた政治局委員候補予備選の結果を報じた。選ばれた35人の候補で500票以上をとったのは習近平、王滬寧、王岐山だったとか。この報道を信じるならば、王岐山の留任の可能性は強い。69歳の王岐山が留任となると、共産党ルールである定年制は崩れたということになり、習近平としては三期目の展望が開けてきたわけだ。習近平独裁体制は本当に始まるのだろうか。北戴河会議の中身はまだ不明ながら、その見どころと予測について整理してみよう。

習近平派15人、胡錦涛寄り13人、江沢民派2人

争鳴の報道を信じるなら、政治局候補の名簿は以下の通りだ。

習近平派が15人。習近平(国家主席)、王滬寧(中央政策研究室主任、習近平の政策・理論ブレーン)、王晨(全人代常務委会副委員長)、丁薛祥(中央総書記弁公室主任、習近平のスピーチライター)、栗戦書(中央書記処書記、習近平の側近、大番頭)、呉英傑(チベット自治区書記)、蔡奇(北京市書記)、応勇(上海市長)、劉家義(山東省書記)、馬興瑞(広東省省長)、黄坤明(宣伝部副部長)、陳敏爾(重慶市書記)、趙楽際(中央組織部長)、楊潔篪(国務委員)、李鴻忠(天津市書記)。

比較的共青団派、胡錦涛寄りが13人。李克強(首相)、王勇(国務委員)、憂権(福建省書記)、汪洋(副首相)、許其亮(中央軍事委員会副主席、空軍上将)、房峰輝(解放軍参謀長)、張春賢(前ウイグル自治区書記)、胡春華(広東省書記)、陳全国(ウイグル自治区書記)、孫春蘭(元天津市書記)、韓正(上海市書記)、李源潮(国家副主席)、楊晶(国務院秘書長)。

江沢民派も2人いる。郭声琨(公安部長)、車俊(浙江省書記)。風見鶏的に態度を変えそうなのが周強(最高人民法院長)、曹建明(最高人民検察院長)、黄樹賢(監察部長)、張国清(重慶市長)だろうか。そして王岐山(中央規律検査委員会書記)。王岐山と習近平の距離感は今もって、よくわからない。少なくとも習近平に従順というわけではなさそうだ。これは私見であって、人によっては違う組分けもあり得るだろう。

予備選は512人の中央委員および中央委員候補、各省自治区直轄市書記らが合格、不合格の票を入れる。最多合格508票をとったのは習近平、次に王滬寧が504票、王岐山が501票。500票以上をとったのは35人中3人だけだったという。9割以上の合格票獲得者は李克強、丁薛祥、房峰輝、許其亮、趙楽際、栗戦書、楊晶らだ。

栗戦書は習近平の側近と評されるが…

この結果をみると、習近平は別として、王岐山の高得票が印象的で、普通に考えれば王岐山は政治局常務委員に留任することになるだろう。政治局委員が現行の25人のままだすると、習近平派とアンチ習近平派の勢力図は拮抗しているといえそうだ。ただし、派閥としての団結度、信頼関係の深さに関していえば、習近平派閥はかなり早急に養成されたメンバーが多く、またイエスマンが多いという印象がある。

たとえば、栗戦書は習近平の半径5メートル以内に寄り添う側近と評されているが、習近平とのしっかりした信頼関係が構築されているかというと、疑問視する人は結構いる。

栗戦書は河北省党委員会秘書長時代に当時の河北省書記であった程維高に苛め抜かれ、あわや潰されそうになったことがあり、このとき、助け舟を出したのが当時、陝西省書記であった李建国だった。李建国が栗戦書の遭遇している不条理な状況を中央に説明し、陝西省常務委員会秘書長に引き抜かなければ、今の栗戦書はいなかったことになる。団派の李建国は2015~16年、習近平によって失脚させられそうになるのだが、このとき習近平に逆らって李建国の失脚を防いだのは栗戦書であり、これが栗戦書が義理人情に厚い人間という評価の一つの根拠になっている。ただし、習近平の性格からすれば、一度自分に盾突いたことのある部下に対して深い信頼関係を維持できるかはあやしい、というわけだ。

とすると、政治局常務委員会メンバー、つまり最高指導部の顔ぶれを予想するに、習近平が全面的に信頼できるメンバーはいないかもしれない。政治局委員を最低1期務めた人間が政治局常務委員に昇格するという前例を考えれば、習近平、李克強、王岐山、汪洋、胡春華、李源潮、栗戦書、趙楽際、韓正あたりに絞られる。予備選における王滬寧の得票数を考えると彼がトップ7入りする可能性もあるが、王滬寧は地方政府における行政経験がなく、行政経験なしに政治局常務委員会入りする前例はなかった。王滬寧を一度、地方に出すという話は指導部でしばしば話題に出ているそうだが、本人が生粋の学者肌で、地方の実務で苦労することを望んでいないという噂もある。

李克強、汪洋、胡錦涛、李源潮の人間関係の深さに比べると、習近平と王岐山、栗戦書、趙楽際の関係は微妙だ。王岐山との関係の不安定さは、“十日文革”事件の背景や“闇の政商”郭文貴の暴露情報などから、推測できるだろう。趙楽際も栗戦書も今は習近平派に分類されているが、根っこは共青団派であるし、韓正に至っては、団派で江沢民派、しかも一度ならずも、習近平から汚職摘発の照準を当てられたことがあり、習近平に対しては警戒心がある。

となると、政治局全体では勢力は拮抗しているかもしれないが、政治局常務委員会では共青団派が優勢になる見通しが強い。

強人独裁「党主席」復活を目論む

そうなってくると、習近平としては政治局常務委員会の影響力、権力をいかに削ぐか、ということがテーマになってくる。そこで党主席制度の復活を目論んでいるといわれているのだ。

党主席というのは毛沢東の肩書であり、毛沢東の死後は華国鋒が受け継ぎ、その失脚後は胡耀邦が継いで、1982年に廃止された。その後は党中央総書記が新たに最高指導者職として設置された。初代総書記は胡耀邦である。

党主席と総書記のどこが違うかというと、党主席とは毛沢東のことなのだ。党の絶対的権力。一方、総書記は鄧小平体制の中で、分散された権力の一つにすぎない。天安門事件で楊尚昆が国家主席権限で戒厳令を出して以降、総書記職の権威はさらに低下し、鄧小平が確立した共産党秩序においては、政治局常務委員会メンバーの一人として以上の権限はない。つまり、政治局常務委員会の総意と総書記の意見が違えば、総書記といえども政治局常務委に従ういわば“党内寡頭民主”のシステムが今の中国共産党秩序の基礎なのだ。

党主席制度復活は、これを毛沢東時代に戻す、つまり強人独裁を復活するということが狙いだ。習近平が党大会でこの党主席制度を提案して通るかどうか。これがおそらく北戴河会議での重要テーマの一つになるだろう。

習近平はこれを実現するために、2015年暮れあたりから自分を党の“核心”と呼ばせる習核心キャンペーンを展開。また今年の6月30日に、解放軍香港駐留部隊駐留20周年記念においての閲兵式および7月30日の内モンゴル自治区朱日和訓練基地での建軍90周年記念の閲兵式において、従来の「首長」(軍内における司令官に対する呼称)ではなく「主席」と呼ばせたのも、党主席制に向けたアピールの一環ではないかと勘繰られている。建軍記念日(8月1日)にあわせた閲兵式を行った例はこれまでなく、また任期5年の間の三回目の閲兵式という点でも、習近平が軍において特別であるということを内外に印象付けようとしているということは、事実だろう。

ただ、党主席の権力が絶対的であったのは毛沢東だけであって、実力の伴わない華国鋒も党主席の地位のまま失脚したし、最後の党主席、最初の総書記であった胡耀邦も失脚した。つまり、肩書がどんなに立派でも、政治家としてのカリスマ、実力が伴っていなければ失脚するときは失脚する。中国共産党においては、そのカリスマの裏付けが軍掌握にあるということを考えると、閲兵式を繰り返す習近平の気持ちはわかるのだが、実際に習近平が軍が掌握できているかは微妙な気がする。

党規党章に“習近平思想”を盛り込めるか

党主席と並んで、習近平の独裁体制に向けた攻防の焦点は、党規党章に“習近平思想”という言葉を盛り込めるかどうか、である。

習近平思想の骨子は「四つの全面」(ややゆとりある社会の全面的実現、全面的法治、全面的改革の深化、全面的に厳格に党を治める)や「五位一体」(経済、政治、文化、社会、エコを一体化して進めることがゆとりある社会、中華民族の偉大なる復興を実現する中国の特色ある社会主義事業推進のための全体的な方針)などであるが、一番重要なのは偉大なる中華民族の復興による「中国の夢」の実現である。この「中国の夢」というのは、中国が最も栄えた清朝あたりをイメージした版図や国際社会への影響力の復興であることは、これまでの習近平の言動からも明らかだろう。

指導者の指導思想を党規に書き込むというのは鄧小平以来、慣例となっているが、しかし書き込むタイミングはたいてい任期二期目が終わる最後の花道であり、任期全体を評価されて書き込むというスタイルであった。

習近平の場合は、一期目5年が終わるこの段階での党大会で書き込もうとしている。しかも、当初は習近平の指導思想は「四つの全面」という用語であらわされていたが、ここにきて「習近平思想」という個人名を冠した用語を喧伝しだした。現在、党章に書き込まれているのは「マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、三つの代表理論、科学的発展観点」。個人名を関した指導思想・理論はマルクス・レーニン、毛沢東、鄧小平だけであり、江沢民、胡錦涛は奥ゆかしく自分の名前は隠している。鄧小平理論は自分で書き入れたのではなく、江沢民が書き入れた。ついでにいえば、共産党において思想と理論では思想の方が格上であり、鄧小平理論というのは、毛沢東思想よりも格下という印象を守っている。

毛沢東に並ぶイメージ構築と戦争の影

もし、ここに「習近平思想」という言葉を入れれば、習近平は鄧小平を飛び越えて毛沢東に肩を並べる指導者である、という印象を内外に与えることになる。これは普通の党員からすれば、非常におこがましい行為であり、まさか本気でそんなことをするとは思えないのだが、最近の習近平の周辺では確かに「思想」という言葉が多様されているのは事実である。

こうした漏れ伝えられる情報を総合すると、習近平はこの党大会で毛沢東に並ぶイメージを作り上げたいと目論んでいるように見える。

定年年齢に達した王岐山の政治局常務委留任となれば、年齢による制限もなくなるので、習近平独裁の道が開かれる公算は高くなるという見込みもある。

しかしながら、強軍化、軍権掌握こそが共産党執政の権威を維持する方法だと考え、西側の影響力排除を最優先に、イデオロギー、言論統制の猛烈な強化と党内粛清、経済コントロールに走る習近平政権の指導思想が、30年以上にわたる鄧小平路線、改革開放の道をきた中国社会の現実と乖離していることは言うまでもなく、習近平は次の任期で失脚するか路線を転換せざるを得ない局面がくると、私は思う。というか、それを願っている。なぜなら、過去の中国の歴史を振り返れば、強軍化、軍権掌握のプロセスには必ず外国との戦争・紛争が利用されているのだ。中国が戦争、紛争をしかける相手国に日本は入っていないだろうか。習近平が突き進んでいる路線は、少なくとも日本の国家安全や経済発展にとって望ましいという気はしない。

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