『フランスとロシア、歴史解釈巡り激しい応酬 300年、1000年前の出来事でマクロン、プーチン両大統領が火花』(6/8JBプレス 杉浦史和)について

6/1産経ニュースプーチン氏、北方領土は米軍に対抗する「便利な場所」 日米安保を口実に日本牽制

【モスクワ=黒川信雄】ロシアのプーチン大統領は1日、露西部サンクトペテルブルクで行われた各国の通信社代表らとの会見で北方領土問題について言及し、島を日本に引き渡した場合、現地に米軍が展開する可能性があると述べ、事実上困難との見方を示した。日米安保体制を理由に、領土問題をめぐる日本側の要求を強く牽制した格好だ。

プーチン氏は北方領土で露側が進める軍備拡張の動きについて「同地域で起きていることへの対応」だとし、韓国への最新鋭迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」配備など、北東アジアでの米国のミサイル防衛(MD)網拡大への対抗措置との考えを示した。また、北方四島はそのような「脅威」に対抗するのに「極めて便利な場所」だとも述べ、ロシアにとっての北方領土の軍事的重要性を強調した。

プーチン氏は、米国がイランの脅威を理由に欧州でMD網を拡大してきたが、イランとの核合意がなされてもMD配備を継続していると主張。同様に、仮に北朝鮮が核開発をやめても米国はMD配備をやめないと述べ、朝鮮半島情勢にかかわらず、極東での米国の軍事プレゼンスは拡大するとの見方を示した。

プーチン氏は北方四島の非軍事化は「可能だ」とも述べたが、そのためには地域全体の緊張緩和が不可欠だと発言。将来的にそのような合意が結ばれる可能性も示唆したが、具体的な話には至らなかった。>(以上)

この話は昨年11月初旬に谷内正太郎国家安全保障局長とパトルシェフ安全保障会議書記と会談時、谷内氏が引き渡し後の北方領土に米軍基地を設置する可能性を否定しなかったことを念頭に発言したものと思われます。プーチンのことですから、日本は「北方領土に米軍基地は置かせない」と明言できないことを読んでのことと思われます。北方領土を米軍の防衛範囲の適用除外とすれば、北方領土は日本の領土でないのを認めることになるので難しいでしょう。そこを突いて、北方領土を返還しないように論理構成したと考えます。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016121400936&g=pol

韓国へのTHAAD配備は北方領土返還にはあまり関係ないと思われます。昨年11月にロシアは「北方領土の択捉島と国後島に新型の地対艦ミサイルを配備した」と発表しました。射程距離が300Kmというので到達できるのは北海道内くらいで、配慮を示したのかもしれませんが。でも日本国内では余り騒がれませんでした。平和ボケの極みです。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS22H5H_S6A121C1PP8000/

本記事を読みますと、マクロンよりプーチンの方が遙かに格上という気がします。歴史には歴史で勝負、先生が自分は頭が良いと思っている生徒を窘めた構図です。プーチンはなかなか手強いです。安倍首相も彼が相手では骨が折れるでしょう。経済協力も民間が儲かるのであればという判断で良いと思います。先日の「一帯一路」はそれに(1)インフラ整備は万人が利用でき、透明で公正な調達が行われる(2)プロジェクトに経済性がある等の条件を付けました。遠藤誉氏は「日中首脳会談を開きたいために、そこまで中国に媚びなくても」との思いのようですが、以前本ブログで記載しましたように、日本企業が喜び勇んで「一帯一路」に乗るとは思えません。Newsweekの遠藤誉氏の記事を読むと、中国人は流石共産国の人達で、日本も国と企業が一体と勘違いしているとしか思えません。所詮自由のない国の国民の発想です。ただ遠藤氏がその中で、『「中華民族の偉大なる復興」を政権スローガンに掲げる習近平政権のもくろみ通り、中国のネットは、やがて世界一になるであろう中国への自負心に満ち満ちている。その手段は、アメリカを凋落させてから、対米追随の日本を落すことである。』と述べているのは、要注意です。日米豪印で中国の封じ込めを完成させねば。

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/06/post-7761_1.php

http://dwellerinkashiwa.net/?p=6455

記事

フランスのエマニュエル・マクロン大統領(右)とロシアのウラジーミル・プーチン大統領(左)。仏首都パリ郊外のベルサイユ宮殿の庭園で(2017年5月29日撮影)〔AFPBB News

ウラジーミル・プーチン大統領がフランスを訪問した。ベルサイユ宮殿で開かれている300年前に訪仏したピョートル大帝を記念する展覧会で序幕式に出席するためであった。

エマニュエル・マクロン新大統領は、ホストとしてベルサイユの豪華絢爛な空間を活用し、文化的にも大国であるフランスが、長期政権を担っている大先輩のプーチン大統領を恭しく迎えたといった図であった。

しかし両者の会談終了後、開催された記者会見は、マクロン大統領が、ただの新米大統領ではないことを見せつけたという意味で衝撃的だった。

「ロシアの通信社はプロパガンダ機関」

プーチン大統領の面前で、ロシアの通信社、RTとスプートニクという2つの機関は報道機関ではなく、フランスや他の国々に影響を与えるためのプロパガンダ機関であると明言し、これを非難したからである。

フランスとロシアの関係は、歴史的に見ればおおむね良好な関係が続いてきていた。しかしながら、マクロン大統領の強烈なプーチン大統領への一撃は、近年の両国の緊張関係の表れである。

昨年12月、プーチン大統領はフランスへの訪問を突如取りやめた。

セーヌ川左岸にオープンが予定されていたロシア精神・文化センターの序幕式に参加する予定だった。しかし、シリア問題をめぐるフランソワ・オランド前大統領との意見対立から、これに抗議した形で訪問を取りやめたのだった。

1期目でありながら国民の支持を急速に失ったオランド前大統領は、2期目の大統領選に出馬することができず、大統領選は混迷を極めた。

まず、右派の代表予備戦で、アラン・ジュッペ前首相や二コラ・サルコジ前大統領を抑えて、フィヨン前首相が大統領候補となった。

フランソワ・フィヨン候補とプーチン大統領は、大統領が首相を務めていた時代に外交関係上のパートナーであったことから仲が良く、フィヨン氏はロシアに対する経済制裁解除を公然と主張していたこともあって、この予備選にロシアの介入があったのではないかと、早くも噂された。

しかしその後、フィヨン氏は身内の不正雇用疑惑で逆風に晒され、結局大統領選では決選投票まで残れなかった。

一方で、高まる移民排斥の機運と歩を合わせて人気を高めたのがマリーヌ・ル・ペン候補だった。

ル・ペン候補の率いる国民戦線は、ロシアの金融機関から党運営のために資金融資を受けていたり、ロシアも支援する欧州の反体制勢力を糾合する会合に出席したりと、親ロシア、親プーチンの傾向は最初から明らかだった。

選挙戦中にモスクワで会談

決定的だったのは、選挙戦の最中、プーチン大統領自身がル・ペン候補にモスクワで会見したことだった。

一般的に言って、選挙中の候補者と国の大統領が会見すれば、それが政治的な意味を持たないはずはなく、また万一、その候補者が敗れれば当選者との間で軋轢を生むから非常なリスクを冒すことになる。

プーチン大統領がそれを知らないはずはなく、この会見を通じて、フランスはもちろんロシアの意図を正確に受け取ったと考えられる。つまり、ロシアはル・ペンを応援すると見なしたのである。

さらに大統領選挙が行われる1日前に、マクロン陣営の私的な文書がウィキリークスで公表されるという事件が起こった。

フランスの大統領選挙は、マスメディアの情報で選挙結果が変わることを恐れ、選挙前の1日は候補者は選挙活動をしてはいけないとされる。これでは情報漏洩の中身について弁明することもできない。このタイミングでの情報漏洩はマクロン側の反論を封じるという意味で、大変巧妙だった。

フランスの大統領選挙に、ロシアが介入する恐れがあるという点は、米国からも発信されており、ある意味では予想通りに、ロシアが悪者になる形でフランス大統領選挙は進行した。そして、新大統領にはまだ30歳代の若いマクロン氏が就任したのだった。

こうした背景の下、仏露首脳の会談が、大変に緊張をはらんだものになったであろうことは想像に難くない。

マクロン大統領は就任後、重要で多様な外交日程をこなしてきたが、外国首脳をフランスに招くのはこれが初めてだったのである。その意味で、ベルサイユ宮殿へのプーチン大統領受け入れは、フランス当局として十分に練られた外交政策だったと言っていい。

そのメッセージの肝は、ピョートル大帝にある。

ロシアのピョートル大帝は、後進国ロシアを目覚めさせ、ほぼ1代で、ヨーロッパ大国の1国にロシアを仕立て上げた人物だった。

サンクト・ペテルブルクとして知られるロシアの西の都をほぼゼロから築き上げたことはもちろんだが、その精力溢れる行動力は、欧州各国への視察旅行としても記録されている。偽名を使い、オランダの船大工とともにかんなを握ったとの伝聞もある。

毀誉褒貶のピョートル大帝

ピョートル大帝は、西側の先進文明から学び、先進文明を凌駕するまでに国を導いた強力な指導者だった。サンクト・ペテルブルク生まれのプーチン大統領も、ピョートル大帝を尊敬しているという。かつて執務室には、大帝の肖像画が掲げられていたとの情報もある。

しかしながら、ピョートル大帝はその並外れた行動力ゆえに、ロシアの一部の人々の間では、理解できない人、ロシアの旧来の伝統を壊す人と見られていたのも事実である。実際、彼の事業を受け継ぐべき息子は父の方針を受け入れられず、父により獄につながれ、そこで死んだ。

こうした歴史的背景を勘案すれば、マクロン大統領のメッセージは次のようなものだ。

「ピョートル大帝が目指したように、ロシアを再び西ヨーロッパの価値観の中に戻してほしい!」

ロシアとEUの間では、多くの懸案がある。ウクライナにおける紛争継続と、それに端を発した経済制裁の応酬。シリアの体制をめぐる支援のあり方。最近明らかになったロシアのチェチェン共和国における性的マイノリティーに対する弾圧への対処。ロシアが展開する「プロパガンダ戦争」。

これらの問題を解決するには、ロシアが西側と同じ価値観を持つだけでよい。「さあ、あなた自身も尊敬しているピョートル大帝に倣おう!」というわけである。

プーチン大統領は、マクロン大統領のメッセージにどう反応したか。彼は歴史には歴史で切り返した。それもフランスとロシアの歴史的関係をただの300年ではなく、1000年も遡ったのである。

曰く「フランスとロシアの歴史的関係は、キエフ・ルーシのヤロスラブリ賢帝の娘が西フランク王国カペー朝アンリ1世に嫁いだところから始まる」と述べ、ロシアとフランスの関係が対等だった時代を思い起こさせ、フランスが先生、ロシアが生徒という関係を復活させるつもりはないとの意思表示を行った。

史実に照らせば、カペー朝の嫁探しは、権威を求めていたと言われる。東ローマ(ビザンツ)帝国の皇帝の血を引くキエフ大公の娘アンヌは、アンジュー伯、ノルマンディ公、フランドル伯など力のある領主を押さえ込むことができなかった王家カペー家にとって、王家の権威づけに不可欠だったのである。

ロシアの方が権威が髙かった

もともと予定していたドイツの皇帝コンラッド2世の娘は結婚する前に亡くなってもいたからだ。つまり、ロシアの方が高い権威を持ち、それをフランス側が欲したという構図を見せて、どちらが先生、どちらが生徒などと言うことはないと切り捨てたのだ。

アンリ1世はアンヌとの結婚を経て、その子フィリップ1世を共同統治者として戴冠させ、その後の王国の統治体制の基礎を築く。

プーチン大統領は、アンヌが高い教養を持ち、幼いフィリップ1世の事実上の摂政の役割を果たしたことにも触れて、その役割を高く評価した。ロシアがフランスの発展に貢献したのですとマクロン大統領に教え諭したのである。

実は、この話はここで終わらない。

プーチン大統領が提起したキエフ・ルーシは、ロシアなのか、ウクライナなのかという問題があるからだ。

ウクライナ側はキエフ公国はロシアではない。我々がロシアの先輩だという感覚がある。ロシアがフランスに貢献したのではなく、ウクライナの人物こそがフランスに貢献したのだというのだ。

ヨーロッパは長い歴史を持ち、東西の交流を幾重にも積み重ねているので、歴史問題は掘り返せばきりがない。そんな中、プーチン大統領の今回の対応は、ロシアの国益を守るべく歴史の知識を振りかざしながらの奮闘が続いていることを示している。

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