『今こそ明らかにしなければならない「先の大戦は誰の過ちか」 日本再生は、戦後の戦争世代が曖昧にし続けた戦争総括から始まる』(8/14JBプレス 森田 朗)について

8/16希望之声<阿富汗撤军搞砸 麦卡锡会议间罕见“大发雷霆”= アフガニスタンからの軍の撤退は混乱、マッカーシーは会議で珍しく「激怒」した>日曜日(8/15)、下院共和党リーダーのケビン・マッカーシーは、政府高官とのブリーフィングでバイデンのアフガニスタンからの米軍の撤退の処理に激怒し、「米国の名折れ」と言い、この件の後遺症は数十年影響すると。

このカリフォルニアの共和党員は、バイデン政権がアフガニスタン駐留20年近く経って米軍を撤退させるのに明確な計画を欠き、基本的に混乱していると非難した。

ポリティコによれば、電話会議に参加した2人は、マッカーシーが会議で「私は非常に興奮して、怒っている。(アフガニスタンの)ガニ大統領がどこにいるのか知りたい」と述べたと報道した。

マッカーシーは、アントニー・ブリンケン国務長官、ロイド・オースティン国防長官、統合参謀本部議長のマーク・ミリーとのほぼ1時間の電話会議中に爆発した。ブリーフィングは秘密ではなく、当局がアフガニスタン大統領が国を逃れたことを確認した直後に開催された。タリバンがアフガニスタンの戦略要地を占領し始めてから、米国議員がWH当局者からの報告を直接聞く機会を得たのは初めてである。

以前には、マッカーシーはトランプ前大統領時代にタリバンと和平合意に達するための努力について基本的に沈黙を守っていた。会議中に、彼は米国本土への潜在的なリスクについて警告を発した。彼は言った:「我々は自身の国境に焦点を合わせなければならない。我々は次の数週間、国内はまだ安全か?」

会議の途中で、タリバンはアフガニスタンの首都カブールを占領し、アフガニスタン政府は完全崩壊の危機に瀕しており、ガニ大統領は第三国に逃亡し、米国当局はそこで大使館を閉鎖する準備をしていた。

会議に参加した人によると、オースティン国防長官は議会の批判に応えて、テロ組織と戦うというアフガニスタン軍の決意は弱く、米軍は「(アフガニスタン人の抵抗する)意欲を買うことができないし、(米軍によってサポートされてきたリーダー)のリーダーシップも買うことはできない」と述べた。しかし、この言葉は、電話を聞いていた共和党員を怒らせ、かつてアフガニスタンで戦ったマイク・ウォルツ議員などは、米国政府の政策の失敗を、戦争遂行中に米軍と一緒に戦って犠牲になったアフガニスタン人のせいにしたと非難した。

情報筋によると、下院議長のナンシー・ペロシは、バイデンの「明確な目標」に感謝し、アフガニスタンでの女性の扱いと、米国がアフガニスタンに残っているNGOとどのように協力できるかについても提案した。

ブリンケンは、秘密でない電話では答えることができないが、安全な回線でフォローアップすると述べた。

他の多くの共和党員は依然として彼らの不満を表明している。別の共和党下院議員である陸軍退役兵のピーター・マイヤーは電話で発言し、米国の官員や市民、盟友達が、タリバンに侵略されたカブールから離れ、飛行するのに十分な燃料がアフガニスタンにあるかどうかを心配した。

議員達はまた、下院が8/23の週に再開するときに秘密のブリーフィングを聞くことを計画している。しかし、マッカーシーを含む数人の共和党議員は、関連する戦略についての情報をほとんど受け取っておらず、電話で質問をするのに十分な時間を与えていないと不満を述べた。

バイデン、オーステイン、ミリーが無能では、うまく撤退できず、犠牲者が出るのでは。

https://www.soundofhope.org/post/535682

8/15看中国<违反国际共识 北京准备承认塔利班(图)=国際コンセンサスに違反、北京はタリバンを国家承認する準備をしている(写真)>米国メディアは、タリバンが西側の支援を受けたカブール政府の打倒に成功した場合、中国はタリバンをアフガニスタンの合法的な統治者として認める用意があることを報じた。この見通しは、バイデン政権が反政府勢力のネットワークを抑え込む最後の機会を弱体化させ、米国のタリバンに対する国際的孤立戦略と政治的圧力に打撃を与える。

U.S.Newsが引用した米国と外国の情報筋によると、中共の指導者たちはイスラムの武装勢力との関係を正式に確立する準備をしている。

以前は、非情な軍事攻撃の下で、タリバンは34の州都の半分を含むアフガニスタンのほぼ3分の2を支配し、組織はカブールに近づいている。

WHの報道官ジェン・サキは8/13、次のように述べた。「タリバンが国際的な合法性を望んでいると主張するなら、これらの行動は彼らが求める合法性を得ることはできない。彼らは軍事作戦と同じように彼らの和平プロセスに同じエネルギーを注ぐことを選ぶことができる。我々は彼らにそうすることを強く勧める」と。

サキの話は負け犬の遠吠え。軍事制圧できなくて、合法性も何もない。中共はウイグル自治区にイスラム過激派が入るのを恐れ、当然タリバン政権を早くに承認して手名付けようとするのは当然のこと。

https://www.secretchina.com/news/gb/2021/08/15/981042.html

8/15阿波羅新聞網<专家:日本白皮书发出明确信息令北京心惊—名家专栏:台湾在中日关系中举足轻重=専門家:日本の防衛白書は、明確なメッセージを発し、北京に衝撃を与えた-有名なコラム:台湾は日中関係において重要な役割を果たす>「台湾要因」は実際非常に重要であるが、日中関係を解釈する際にはほとんど無視される。北京はかつて、「台湾問題は日中関係の政治的基礎である」と述べた。しかし、最近日本が発表した「防衛白書」では、日本の周辺の安全保障環境の中で、台湾について具体的に言及されており、台湾問題が焦点になってきている。

この白書は、北京に明確で強力なメッセージを送った。「台湾周辺の情勢を安定させることは、日本の安全と国際社会の安定にとって重要である。したがって、我々(日本)は危機感を持ち、情勢をこれまで以上に注視していく」と述べ、「中国と台湾の全体的な軍事バランスは中国に有利な方向に傾いており、その差は年々拡大しているようである」と明確に述べた。

台湾に関する日本の明確な声明は本当に驚くべきものだが、日本の台湾政策はこれを除いてもずっと例外であった。つまり、台湾はアジアで日本にとって最も友好的な国の1つであり、日本は親台湾政策を採り、これは北京の利益と矛盾する。東京の台湾政策は、北京の「一つの中国」政策に直接挑戦しているとも言え、台湾は中国と日本の間の論争の主な焦点となっている。

中国人は基本嘘つきで、「俺のものは俺の物、他人のものも俺の物」と言う考えなので、こういう人たちを普通友人とはしたくないと思うでしょう。日本精神が生きている台湾なら付き合えるというもの。

https://www.aboluowang.com/2021/0815/1632970.html

8/15阿波羅新聞網<孟晚舟引渡成定案?学者:中共犯战略错误=孟晩舟の身柄引き渡しが確定?学者:中共は戦略的な間違いを犯した>孟晩舟の身柄引き渡し事件は重要な段階に入り、中共の裁判所は2人のカナダ市民に次々と判決を下し、これは中共の「人質外交」と広く見なされている。学者は、孟晩舟の米国への引き渡しについては何の懸念もなく、中共が戦略的誤りを犯し、この事件が中国、米国、カナダ間のゲームの焦点となったと考えている。

中国は昔から何でもありの国で、当然冤罪をでっち上げ、人質として使うのは当たり前。今頃気づくのは遅いのでは。

https://www.aboluowang.com/2021/0815/1633116.html

8/15阿波羅新聞網<印外交部:巴外长就中国人员遇袭事件的指控是谎言=インド外務省:中国人員への攻撃に対するパキスタン外相の告発は嘘である>パキスタンのシャー・メムード・クレシ外相は8/12、先月パキスタンのダムで働いていた中国人のバスへの攻撃は自爆テロの結果であると述べた。彼は記者会見で、アフガニスタン国内にいるパキスタンのタリバンがこの攻撃を実行し、「アフガニスタン国家安全局とインド調査分析局によって承認された」ものと述べた。これに対し、インド外務省の報道官アリンダム・バグチは13日、この主張を否定し、クレシの発言を「嘘」で「ばかげた発言」​​と批判した。

真実は分かりませんが、パキスタンが自らの非を別の国に責任転嫁しようとしているように見える。

https://www.aboluowang.com/2021/0815/1633111.html

8/15阿波羅新聞網<她被金正恩封为“人民演员”,特别照顾是为何?=彼女は金正恩から「人民のスター」に選ばれた。なぜ特別な愛顧をうけているのか?>北朝鮮の「労働新聞」の報道によると、北朝鮮の最高指導者である金正恩は最近、国務院の演奏団の声楽スターである金玉珠に「人民のスター」の称号を授与した。 「人民のスター」は、北朝鮮が芸術家に授与する最高の称号である。

北朝鮮が2015年以来6年ぶりにこの称号と勲章を芸術家に授与した。30代の金玉珠がこの賞を受賞したのは注目され、写真では金正恩の横に立ち、彼女の地位が並外れていることを示している。彼女と金正恩の関係は「異常」だとさえ思う声もある。

今回の金正恩の金玉珠への名誉称号と勲章の授与については、外部分析では、これは金玉珠を新世代の「国民的スーパースター」として育成し、エンターテインメント業界への従事者に優遇政策を実施し、 「韓流文化」への若者の関心を阻止、北朝鮮国内で有名スターを訓練し、国の内部規律と精神的な武装を確立するためにそれらを利用する。

この観察から、金玉珠は金正恩の「新しい愛人」と言っても過言ではないが、「御用天団」からは際立って、最高指導者の祝福を受けて舞台の中央に向かって移動できるのは、明らかに高い政治的象徴である。

でも、今の金正恩は本物?

https://www.aboluowang.com/2021/0815/1633119.html

https://twitter.com/i/status/1427007197003780098

何清漣 @ HeQinglian 9時間

ポッパーはマルクス主義を「開かれた社会の敵」と見なしており、マルクス主義に対する厳しい批判は西洋の知識人の中で右に出るものがいないため、ポッパーはソロスの「開かれた社会」を絶対に認めていないと信じる。

ソロスは「開放」という2字を使って、かつて尊敬していた先生を辱めた。

引用ツイート

空乏 @ kongfazhixin 14時間

返信先:@ HeQinglianさん、@ RealBeiMingさん、@ li_jinjinさん

開放の名を使うのは、彼の先生ポッパーに敬意を表していることをより多く感じる。

以下は、ポッパーの「開かれた社会」についての彼の見方である。

https://xueqiu.com/1937308599/67652469

これはソロスがWSJに寄稿して「習近平は強烈な民族主義者で、世界の開かれた社会にとって最も危険な敵」と述べたことに対する見方でしょう。何清漣は言葉に騙されるなと。

8/16希望之声<索罗斯发文狠批习近平:开放社会最危险的敌人>

https://www.soundofhope.org/post/535700

森田氏の記事で、「戦後民主主義を肯定し、戦前の体制を否定する」というのは歴史の連続性を否定し、宮沢俊義の8月革命説にも繋がるのでは。歴史を善悪二元論で割り切ろうと言うのは危険。また「戦前のファシズム体制の下で、国民は言論の自由もなく人権は蹂躙された」と言うのも、戦後の歴史教科書通りに覚え込んでいるだけなのでは。戦後民主主義に変わったと言うがGHQは検閲と焚書したではないか。それに戦前から憲法も議会もあり、完全ではありませんが議会制民主主義が機能していました。ソ連や今の中共のゴム印議会とは違いますし、司法の独立も果たしていました。

学校教育で戦争について議論させるのは賛成です。単なる反戦教育ではなく、「人間の営みとしての戦争」として、過去の戦争の事例(日本だけでなく)を踏まえ、原因・問題点・現状分析・戦争の抑止まで考えさせるのが良いかと。日本学術会議の大学の戦争に関わる研究禁止も止めればよい。

米国の原爆使用は米国がどんなに弁解しようと国際法違反です。でも、米国を責めるならば、その核を国防のために抑止力として利用することこそ、先の大戦で亡くなった人たちの願いなのでは。こういう議論をイデオロギーや他国の思惑を外して、日本国民として議論するのが良いと思う。憲法改正も併せて討論すべき。

記事

天皇と日本政府を代表して降伏文書に署名する重光外務大臣(写真:近現代PL/アフロ)

 少子高齢化と人口減少が進むわが国の社会の質を維持し、さらに発展させるためには、データの活用による効率的な社会運営が不可欠だ。一方で、データ活用のリスクにも対応した制度基盤の構築も早急に求められている。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によって、これまでの経済、社会のあり方は大きく変わろうとしている。

 その中で、日本が抱える課題をどのように解決していくべきか。データを活用した政策形成の手法を研究するNFI(Next Generation Fundamental Policy Research Institute、次世代基盤政策研究所)の専門家がこの国のあるべき未来図を論じる。今回は戦後総括について。過去の経験を科学的、客観的に分析すべき時に来ている。(過去21回分はこちら)。

(森田朗:NFI研究所理事長)

今年もまた終戦記念日がやってきた。戦争の惨禍を忘れないように、戦死者を悼み、平和を誓う式典が各地で催される。平和の大切さを確認し、後世に伝えることは、無謀な戦争を繰り返さないためにも必要だ。

それはその通りである。しかし、具体的に戦争を回避し、平和を維持するために、わが国はどのように敗戦国の経験を活かそうとしているのか。昨年の記事でも書いたが、この点はいつも明らかではない。単に戦争に反対し、核廃絶を唱えるだけで、戦争をなくし核戦争を防げるわけではない。

わが国は、戦後75年にわたって、平和を享受し、現行憲法の下で、基本的人権が尊重される豊かで平和な社会を維持してきた。無謀な戦争を開始し敗北した反省に基づいて、平和主義を国是とし、戦時中の行為についての他国からの批判はあれど、戦後わが国から侵略されるという脅威を指摘されたことはない。

戦前のファシズム体制の下で、国民は言論の自由もなく人権は蹂躙された。それだけではなく、軍国主義が吹き込まれ、戦争遂行のために動員された。300万を超える国民が犠牲になったが、最終的には敗北した。

戦後、米軍を中心とする連合国の占領政策によって、民主化のための改革が実施され、わが国は新たな体制へと転換した。国民の意識としては、戦争の苦難から解放され、とにかく平和と安全を実現してくれる体制として、それを受け入れたといえよう。

私の父は22歳の時に陸軍に召集され、朝鮮半島で戦い、終戦時に平壌でソ連軍によって武装解除され、そのままシベリアに抑留され、1947年にようやく復員した。青春時代を戦争に捧げたが、それでも生きて帰国できた。その後は企業に勤め、戦後復興からわが国が先進国の仲間入りをするまで経済成長の担い手として働いた。

なぜか戦前の体制を否定しなかった戦争世代

父は青年期に軍国主義教育を受けたため、天皇に対する尊敬の念は強く、他方、ソ連での抑留中の経験から共産主義に対しては批判的であった。そして、戦後の民主主義や自由主義経済については高く評価し、戦後の平和と発展が米国による戦後改革の結果であると語っていた。

平和な民主主義を受け入れる一方で、苦難を強いた戦前の体制を批判するかというと、そうではなかった。このように書くと、首尾一貫していないように見えるが、本人は自分の考え方に矛盾を感じているようには見えなかった。父と同様の体験をした世代には、このような考え方を持った人は少なくなかった。

戦後の解放された自由な体制を幸福に感じるならば、自由が抑圧された戦前の体制に対する否定的評価があって当然だが、なぜか戦前の体制に対しては、それほど批判的ではなかったのだ。

そこで疑問が生じる。戦前のわが国の体制を肯定するならば、戦前を否定し、外部から強いられた改革の結果誕生した戦後の体制を、どうして素直に受け入れることができるのか。

戦前の体制と戦後のそれとは矛盾しており、戦前の体制を破壊することによって戦後の体制が形成されたことを考えると、両方を肯定的に評価する態度は、どのように理解すればよいのか。

学生時代の私は若者の純朴さもあって、このような疑問を、父を含む戦争世代の人にしばしばぶつけた。ロジカルに議論すれば、彼らの認識の矛盾を指摘できる。しかし、そのような指摘に対する戦争世代の反応は、多くの場合、「わきまえた」大人の回答であり、それはタブーであって口に出してはいけないことなのだ、というものであった。

あえて彼らの回答を忖度すれば、軍部は悪い、軍国主義体制も悪い。しかし、戦前の時代、彼らが青春を過ごした時代は、その軍国主義体制とは異なる体制であって、それは必ずしも悪くない。

戦後は、多くの国民が幸福になり、もう戦争はしないと決めたのだから、若かりし時に正しいと信じて命を賭けた当時の国家を否定しないのかと詰問されたくない。触れられたくない問題を思い出させるな、ということであろうか。

それから私も大人になり、ものごとを「わきまえる」ようになっていたが、戦後76年も経ち、曖昧なまま疑問を抱き続けることにどうにも耐えがたい。

戦争を体験した世代の人たちの姿勢を責めるつもりはまったくない。しかし、私たち戦後生まれの世代は、戦争を回避し平和を実現する方法を探求するために、問題を総括し、それを次の世代に伝える責任があると思う。

玉音放送を聞く、捕虜となったグアムの日本兵(写真:AP/アフロ)

戦争の研究を避ける大学の無責任

こうした問いかけは、パンドラの箱を開けることになるのかもしれない。だが、私はあえてパンドラの箱を開けてでも、問題を直視してしっかりと議論すべきであると考える。

第1に、戦後の教育は、この問題についてはタブーとして、考えること、教えることを意図的に避けてきた。そのため、戦争の歴史と評価について、それを伝承する者がいなくなってくると、若者の知識に空白ができる。

そうした世代の者が、以前とは異なる国際社会で、わが国の歴史と政治体制について他国の若い世代の人たちが納得できるような説明をすることができるだろうか。素朴な愛国主義であれ、非現実的な絶対的平和主義であれ、安易に一面的な見解にコミットすることはむしろ危険だ。

戦争は人間が始める。開戦の決定に至る政治的リーダーの思考プロセスを解析することによって、何が開戦のトリガーになったのか、換言すれば、どの時点までなら開戦を回避できたのか、なぜ早期の講和に持ち込むことができなかったのか。その評価は分かれるにしても、歴史の知識を共有し、議論して国民の共通の認識とすることによって、平和を実現し維持するための知恵を生み出していくことができるはずだ。

その点で、このような研究の担い手となるべき大学や学界が、軍事研究はしないという伝統を堅持し、研究そのものを避けているのは無責任のそしりを免れないと思う。第二次大戦時に大学が戦争協力したのを反省することは必要だが、科学的に戦争の原因と回避の方法を探求することは、大学や学界の責務であろう。

同様に、教育においても、誰が正しく何が悪いのかという評価はともかく、可能なかぎり客観的な事実と決断のプロセスについて、多角的に考える機会を作ることが必要である。

侵略の脅威から国土をどう守るつもりか?

第2に、相変わらず隣国韓国を中心に、第二次大戦で日本が迷惑をかけた国からの批判や責任を問う声が多い。政治的な意図によるものであろうが、わが国としては、それに対してどのように説明ないし反論するのか。

わが国は、戦後、戦前の行為を反省し、民主主義に基づいて平和国家を樹立したといくら主張しても、相手国に、靖国神社への参拝問題を含む戦前からの連続性と、戦後改革による戦前との断絶を整合的に説明ができなければ説得力はない。戦後の言論の自由が保障され、言いたいことを言える今の社会を肯定する一方で、言論の自由が認められていなかった戦前の体制を肯定することは矛盾しているからだ。

日本国民として、愛国心、ナショナリズムを持つことは当然だが、論理的にわが国の立場を説明し、外からの批判に反論するには論拠が必要である。これは、国内において、そうした議論をタブーとして封印するのではなく、われわれ自身が了解できる矛盾なきわが国の体制の原理を明確にすることにほかならない。

愛国主義は、わが国の民主的体制とどのように両立するのか。あるいは、非武装中立の平和主義を主張するとしても、侵略の脅威にさらされている国土をどのようにして守るつもりなのか。これらについての明確な答が必要である。

第3に、海外の国や企業の間で、わが国のカントリーリスクの評価が近年高まっていると聞く。それは、自然災害のリスク、安全保障上のリスク、そして政治的リーダーシップの脆弱性の3つであるが、中でも、安全保障上のリスクは、最近、特に高まっているとされるリスクである。

このようなリスクにどのように対処するか。日本国内でしか通じない「わきまえた態度」や「阿吽の呼吸」でわかりあおうとする「空気」に頼っても、わが国の安全保障に関する政策を、海外の人たちや若い世代の人たちに納得させることはできない。

主語のない原爆慰霊碑の碑文が意味すること

現在の国際社会において、わが国は、どのような理念に基づいて国家を運営しようとするのか、危機に際して、国家と国民を守るために、何を優先し、何を捨てるのか。

戦後民主主義を肯定し、戦前の体制を否定する時、戦前国家のために犠牲になった多くの戦死者をどのように受けとめればよいのか。彼らがそのために戦った価値を否定する時、彼らの死はどのような意味を持つというのであろうか。

しかし、戦前の体制を肯定するならば、敗戦をどう捉えるのか。わが国の国民を悲惨な目に遭わせた敵国を無条件に許すのか。昨年も書いたが、チェ・ゲバラが驚いたように、わが国は、広島、長崎に悲劇をもたらした米国に対して責任を問うことはしてこなかった。

戦前、戦後を生きた世代は、このようなジレンマ、矛盾に気づき、苦悶していたと思う。そして、矛盾を解き開戦の決定過程や戦争の責任を解明するのではなく、「戦争」が悪い、「原爆」が悪いという抽象的な概念を呪い、そこで思考停止することによって、矛盾から逃れようとしてきたと思う。

それを象徴しているのが、広島の原爆犠牲者の慰霊碑に刻まれた「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」という主語のない碑文である。

あえて主語を明記せず、誰が過ちを犯したのかを明らかにしないのが、「わきまえた態度」だったのかもしれないが、このような曖昧な姿勢を続けていても、緊張が高まる現在の国際情勢の下で平和で安心して暮らせる国家を維持できるとは思えない。

ひとたび戦争が起これば、その犠牲は大きい。過去の経験を科学的、客観的に分析し、それから学ぶことによって、今後ともわが国が平和で豊かな国であり続けるために、何をすべきであり、それをどのように実現すべきなのか。記憶が薄れゆく中で、貴重な経験を継承していくためにも議論を早急に開始すべきではないか。

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