『中国人留学生「巻き添え刺殺事件」母娘の無念 12月の裁判員裁判で死刑判決を切望する被害者の母』(11/24日経ビジネスオンライン 北村豊)について

11/28日経朝刊習近平氏「トイレ革命」指示 国民生活重視を演出

【北京=高橋哲史】中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席は27日までに、観光業の発展に向け各地にきれいなトイレを整備する「トイレ革命」を推進するよう指示した。トイレの改善は人々が暮らす環境そのものの問題として、整備の遅れた農村など全国的な運動に広げる構えをみせる。国民生活の隅々にまで目配りする偉大な指導者を演出する宣伝工作の一環との見方も出ている。

中国の公衆便所は以前に比べれば格段に改善したが……

国営の中央テレビは27日午後7時(日本時間同8時)のニュースで、トイレ革命を習氏の「重要指示」としてトップで伝えた。習氏は「トイレは決して小さな問題ではない。観光地や都市だけでなく、農村部でもこうした大衆生活の品質の足りない部分を補っていかなければならない」と強調した。

臭くて汚いと外国人の評判が悪かった中国のトイレは、2008年の北京五輪を境に北京や上海などの大都市では大幅に改善した。しかし、地方都市や農村部には不潔なだけでなく、外から丸見えといった外国人には近寄りがたいトイレがまだ多く残る。

国営の新華社通信によると、習氏は12年秋に最高指導者の地位に就いて以降、トイレの問題を極めて重視してきた。地方を視察するたびに農村に入り、農民に水洗のトイレを使っているかどうかをじかに尋ねてきたという。

15年には習氏の指示で、観光行政を統括する国家観光局が全国の観光地に3年かけてきれいなトイレを整備する「トイレ革命」に着手した。

今年10月末の時点で、すでに目標を大きく上回る約6万8000カ所のトイレを改修したり、新設したりした。今回の重要指示には観光振興にとどまらず、なお貧困にあえぐ農村部にもトイレ革命を広げ、習氏が国民生活の質の向上に心を砕いている姿を印象づける狙いがちらつく。

習氏のトイレへのこだわりは、文化大革命のさなかに陝西省の農村に下放され、青年期の7年をすごした経験にさかのぼるとの指摘がある。当時の習氏を知る人たちの証言をまとめた本には、習氏が男女共用で簡単な仕切りがあるだけだった村の公衆便所を壊し、男女別々の個室式トイレにつくり直したエピソードが紹介されている。

ただ、最高指導者が「革命」と銘打ってトイレの改善に力を注ぐ姿には違和感を覚える庶民も少なくない。30代の女性は「もっと優先的に取り組んでもらいたい課題はたくさんある」と話す。

中国では、建国の父である毛沢東が1950年代に「四害」と呼ぶハエ、蚊、ネズミ、スズメを駆除する大衆運動を展開した。生活に密着した問題で大衆の関心を誘うやり方に、危うさを感じる声も聞かれる。>(以上)

小生が中国駐在の為、97年9月に北京へ語学留学した時は、北京と雖も「ニイハオトイレ」がごく普通でした。また「衛生間」とか「洗手間」とかスマートな名前でなく、「厠所」でした。モロ「便所」というイメージです。今は流石に北京や都会で「ニイハオトイレ」(記事上にあるように外から丸見え、仕切りがなく挨拶が交わせることから)は少ないと思われますが、田舎へ行けば普通にあるでしょう(何せずっと中国には行っていないので分かりません。中国へ行くのなら、親日の台湾へ行った方が良いと思いますので)。ただ、いくら外形を整えても、心が卑しければ「成金」と思われるだけです。習はトイレへのインフラ投資で経済成長させようという狙いがあるのでしょうけど。毛沢東の四害の話は「大躍進」のことです。記者はこれを説明しないと、中国に詳しくなければ何のことか分かりません。鉄鋼生産を当時の先進国の英国に追いつく為、あらゆる分野での生産を国全体で上げる必要があり、米も増産する必要がありましたが、嘘の報告を毛に上げたため、餓死者が続出、少なくとも1500万、多ければ億の人が亡くなったと言われています(名簿がないため正確には出せないと。幻の南京事件みたいなものです)。庶民が危うさを感じるのは尤もな話です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%BA%8D%E9%80%B2%E6%94%BF%E7%AD%96

同じく11/28日経朝刊中国スマホ決済660兆円 2年で6倍 信用力で特典、利用に拍車

【上海=小高航、張勇祥】中国で「生活インフラ」として定着したスマートフォン(スマホ)決済。14億人の消費市場での決済は2年で6倍に増え、年間660兆円にも達した。簡単にお金を徴収できる仕組みは起業家スピリットを刺激し、波状的に新しいサービスを生む。だが怖さもある。国家が触手を伸ばしたとき、最新の技術は「監視の道具」としてすごみを増す。

アリペイの「ゴマ信用」は個人の信用力を950点満点で評価

「(船着き場を出ると)何十人もの車屋(馬車の御者)が包囲した」。1921年、芥川龍之介は上海を訪れた時の第一印象を「不気味に感ずる」と記した。それから1世紀。船は飛行機に、馬車はタクシーに姿を変えたが、空港で白タクの運転手が渡航者に群がる状況は変わらなかった。

ところが最近、この風景がめっきり減った。「警察の目を盗んで観光客に群がるより、配車アプリで捕まえる方が効率がいい」。ある白タク運転手は3台のスマホを操り、毎日数百元(数千円)の収入をスマホで受け取る。芥川も見た「百年の慣習」はスマホの登場であっさりと消えた。

中国は今、消費生活とお金の流れがガラリと変わる転換点に立つ。中国の調査会社によるとスマホ決済は3年ほど前から急拡大し2016年に総額で39兆元(約660兆円)と日本の国内総生産(GDP)を上回った。

14億人の巨大な消費マネーを追い求め、起業家がシェア自転車や生鮮食品の30分配送など斬新なサービスを世に送る。利便性が高まって消費者に浸透し、それが新サービスを呼び込む。

日銀のリポートでは店頭でスマホ決済を利用する人は日米独が2~6%だが、中国では98%が「3カ月以内に使った」と答えた。上海の一角に密集する八百屋や雑貨店など20店に聞くと、電子決済を使えないのは婦人靴店1店のみ。ある飲食店員は「支払いの9割がスマホ」と言う。中国のスマホ決済は「支付宝(アリペイ)」(アリババ集団系)と「ウィーチャットペイ」(騰訊控股=テンセント系)の2強に延べ12億人が登録する。

アリババのアリペイの場合、1日の決済件数は1億7500万回に及ぶ。アリペイを使うには実名や身分証番号の登録が必要だ。支払金額や商品、店舗名などの消費情報が、名前や年齢といった個人情報とひも付いた形で毎秒2千件のペースで蓄積される。

「データは新しい石油になる」。アリババの馬雲会長はビッグデータ解析や人工知能(AI)が進化する今のビジネス環境において、膨大なデータはなくてはならない「石油」だと主張する。

この現代の石油で何ができるのか。カギを握るのが、アリペイの「芝麻信用」というサービスだ。「芝麻」は日本語で「胡麻(ゴマ)」。物語「アリババと40人の盗賊」で主人公が宝の山を見つけるために唱える「開けゴマ!」は中国語で「芝麻開門!」と言う。

「ゴマ信用」を開いてみた。利用者の信用力を950点満点で評価し、スコアは勤務先や学歴など個人情報を追加入力すると増す仕組み。個人情報の入力を避けている記者の信用力は590点だが、頻繁に使うという知人の中国人に聞くと840点と高い数字だった。

信用力が高いとシェア自転車の保証金がタダになったり、海外旅行の際にWi―Fiルーターが無料で借りられたりするなど様々な特典が付く。この特典目当てに中国の消費者はこぞって個人情報を登録する。アリペイのデータは厚みを増すと同時に、信用スコアの信頼度が高まる。

信用力評価は多くのビジネスで重要な意味を持つ。上海の消費者金融会社は「ゴマ信用」のスコアだけを基に無担保で最大5千元を貸し出すサービスを始めた。

富裕層にアクセスしたい高級ブランド店や、所得水準に合わせ効率的に広告を打ちたいメーカー、貸し倒れリスクを減らしたい金融機関――。中国では今、アリペイが見つけた「宝の山」に多くの企業が群がり始めている。アリペイを運営するアント・フィナンシャルの陳竜・最高戦略責任者(CSO)は「中国ではフィンテックはすでに生活に浸透した」と話す。>(以上)

小生も豪州から個人輸入する際にペイパルにクレジットカードが拒否され、止む無くアリペイを使いました。当然個人情報は中国に筒抜けとなっています。悪用されなければ良いですが。まあ、中国に行かずに、日本に居れば大丈夫だろうと思っています。

日本は「スマホ決済」以前に「スマホ」使用者が少ないのではと思っていましたが、直近の調査では8割超えとのこと。ただ、老人の使用がまだ少ないです。NTTの「おサイフケータイ」がモバイル決済の元祖ではないかと思っていますが、日本企業はワールドワイドで売り込む発想がないので、結果として米中にしてやられるのでは。

https://marketing-rc.com/article/20160731.html

北村氏の女子大生殺人事件の記事は、小生の11/23のブログでも紹介しました。今回詳しく書かれた記事を読んで、「やはり中国人というのは自分勝手な人間が多い」と言う気持ちを一層強くしました。野放図に中国人を日本に入れないように政府はしないと。声を上げないと家族が襲われることになります。「2人以上殺さなければ死刑にならない、日本の刑務所は待遇が良い」というのを中国人が知ったら、「あぶれ者」がワンサカ日本に来て罪を犯すでしょう。インバウンドがどうのとかいう経済の話でも無ければ、人種差別の話でもありません。「安全」の話です。韓国・北朝鮮を含め反日教育をしている国とは付き合わないようにすることです。

江歌のお母さんは、犯人が刑に服して出所後、彼を殺すよう手配するのでは。正義の鉄槌を下すのです。でも元々は女友達が悪いのでしょうけど、彼女が中国人の標準と思った方が良いです。厚かましい奴のいう事を聞いては駄目で、峻拒すべきです。日本人は断るのが下手ですけど。

記事

2016年11月3日午前0時18分頃、東京都中野区のアパートで中国人留学生の“江歌”さん(当時24歳、以下敬称略)が刃物でめった刺しにされて殺害される事件が発生した。殺害された江歌は中国山東省“青島市”の管轄下にある“即墨市”の出身で、日本文化が好きだったことから中国の大学では日本語を専攻した。2015年4月に来日した江歌は日本語学校で半年間学んだ後に、成蹊大学大学院を受験して合格したが、2016年2月に改めて法政大学大学院を受験して合格し、同年4月から法政大学大学院の学生となった。そんな彼女が大学院生となって半年後に刺殺されたのだった。

事件の捜査を担当した警視庁組織犯罪対策第2課は11月7日に中国人留学生の“陳世峰”(当時25歳)を同じく中国人留学生の女友達“劉鑫(りゅうきん)を恐喝した容疑で別件逮捕して取り調べた結果、陳世峰が江歌の殺害を認めたことから、11月24日に陳世峰を殺人の容疑で逮捕した。12月14日、警視庁は陳世峰を殺人罪で正式に起訴した。

別れ話のもつれに巻き込まれ…

事件の経緯を日本と中国の各種メディアが報じた内容を基に取りまとめると以下の通り。

【1】2015年に来日した陳世峰は福岡県福岡市にある九州言語教育学院で日本語を学んだ後、2016年4月から東京の大東文化大学大学院外国語学研究科中国言語文化学専攻に入学した。劉鑫(当時24歳)は山東省青島市の“城陽区葦苫村”出身。彼女は2014年に山東省“泰安市”にある大学“泰山学院”の日本語学科を卒業した後、同年に日本へ留学した。来日後は日本語学校で学んでいたが、2015年に来日した江歌とはその日本語学校で知り合った。彼らは日本語学校の寮で暮らしていたが、劉鑫が同室の学生と不仲になったことから、江歌の部屋へ移って生活を共にするようになった。そこで初めて分かったことは、劉鑫は江歌が学んだ中学に一時在籍したことがあり、お互いの実家は10km位しか離れていなかった。その後、江歌は日本語学校を離れたが、残留した劉鑫は2016年4月に大東文化大学大学院の外国語研究科に入学した。

【2】陳世峰と劉鑫の2人は入学から1か月後の5月に同じ大東文化大学大学院に学ぶ中国人留学生仲間として知り合ったが、それから1週間後には劉鑫が陳世峰の住む板橋区高島平のアパートへ引っ越して同居を始めた。始めのうちは恋人同士で甘く楽しい日々を送ったが、そのうちに言い争いが絶えなくなり、劉鑫は陳世峰と別れたくなった。しかし、何分にも異国の地で、行く当てがなければ動けない。そこで劉鑫が思い付いたのが江歌だった。人の良い江歌なら頼めば断れない。8月下旬に陳世峰の部屋から逃げ出した劉鑫は、別の友人の部屋に数日厄介になった後、江歌に事情を話して同居させて欲しいと頼み込み、9月2日に有無を言わさず強引に江歌の部屋へ転がり込んだ。

【3】江歌の部屋は狭小で、劉鑫がいると勉強する場所もない。仕方なく、江歌はハンバーガーショップでの勉強を余儀なくされる始末。そればかりか、図々しい劉鑫はカネも出さずに部屋の中の物を勝手に使い、ただでも懐が寂しく、アルバイトに明け暮れる江歌にとっては耐えられない状況になった。このままでは留学生生活に支障を来すと考えた江歌はこの部屋を劉鑫に譲り、自分は別の場所へ引っ越そうと考え始めた。

逆上した男が凶行

【4】そんな矢先に現れたのが陳世峰だった。劉鑫に未練を残す陳世峰は劉鑫を連れ戻そうと劉鑫の居所を探し求め、遂に劉鑫は江歌が居住する中野区のアパートの部屋で同居していることを突き止めた。11月2日午後、陳世峰は江歌の部屋に押しかけたが、当時部屋の中には劉鑫しかいなかった。劉鑫は外出していた江歌に電話を掛け、戻って陳世峰を帰らせて欲しいと依頼した。江歌は警察に連絡しようかと提案したが、劉鑫はこれを拒否したので、江歌は大急ぎで自分の部屋に戻った。陳世峰は江歌の前で劉鑫にしつこく自分の元へ戻るように要求したが、江歌は大学院へ、劉鑫はアルバイトへ行く時間となったことから、3人で一緒に部屋を出てJR東中野駅で別れた。

【5】しかし執拗な陳世峰はアルバイト先へ向かう劉鑫の後を尾行したばかりか、劉鑫の携帯電話にメールを送り、自分の所へ戻らないなら劉鑫のヌード写真をネットに流すと脅した。恐ろしくなった劉鑫は21時に東中野駅で待っていて欲しいと江歌に依頼した。江歌は21時に東中野駅に出向いたが劉鑫は現れず、近くのコーヒーショップで劉鑫の到着を待った。江歌は中国版Line“微信(WeChat)”の電話を通じて中国にいる母親と会話し、今日起こった劉鑫に関する出来事を報告し、母親からは「くれぐれも気を付けるように」との言葉を受けた。日付が変わった翌3日の午前0時8分、江歌が「今、劉鑫が着いたから電話を切るね」と言ったのが最後の言葉だったが、母親は通話が切れる前に江歌が「餃子を買って来たから一緒に食べよう」と劉鑫に言ったのが聞こえたという。なお、2人の通話時間は1時間42分だった。

【6】陳世峰は11月2日の23時頃に東中野駅へ到着し、23時40分頃に江歌のアパートの玄関前に現れた。江歌の部屋に電灯の明かりが無いのを確認した陳世峰は、玄関の前で劉鑫の帰りを待った。江歌と劉鑫の2人がアパートの近くまで来ると、玄関前にたたずむ陳世峰の姿があった。江歌はすかさず110番へ連絡し、「アパートの玄関前に不審者がいる」と通報した。それから2人がアパートに着くと、陳世峰は2人を追って江歌の部屋の前まで付いて来た。部屋の前で2人は陳世峰と対峙し、執拗に劉鑫に戻れと要求する陳世峰に対して江歌は「ここは私の家だから帰って」と反撃した。陳世峰はこれを歯牙にもかけず、劉鑫に罵声を浴びせ、劉鑫の腕を取って無理やり連れ帰ろうとした。江歌が2人の間に割って入って劉鑫をかばうと、激高した陳世峰は隠し持っていたナイフを取り出して劉鑫に迫ろうとした。

【7】その剣幕に驚いた劉鑫は江歌を外に残したまま部屋の中へ逃げ込んだ。陳世峰はドアノブを回して扉を開けようとしたが、扉は中から鍵が掛けられて開かなかった。それで逆上した陳世峰は反転して江歌に襲い掛かり、手にしたナイフで江歌をめった刺しにして殺害した後に逃亡した。その直後に通報を受けて駆け付けた警察官がアパートへ到着したが、現場となったアパートの廊下には血だまりの中に江歌が倒れていた。江歌は頭部の傷口からの出血が止まらず、病院へ救急搬送された後に死亡が確認された。

世界一周旅行の夢

さて、殺害された江歌は母親の“江秋蓮”と2人だけの母子家庭だった。江秋連は江歌が1歳の時に夫と離婚し、20年以上にわたって女手一つで江歌を育てて来た。離婚の原因は夫が男尊女卑の封建思想に凝り固まり、生れた娘に見向きもせず、息子を産まなかったと言っては連日のように江秋連に暴力を振るったからだった。離婚した江秋蓮は娘の“歌”を連れて実家に戻り、娘の姓を“江”に変えた<注>。当時の中国では離婚は恥さらしとされ、後ろ指をさされるのが常だったから、江秋蓮は実家を離れて娘の江歌と2人寄り添いながら暮らし、あちこちでアルバイトをしながらぎりぎりの生活を送った。最も貧しい時期にはたった80元(当時のレートで1000円前後)の家賃が払えず、何カ月もため込むこともあった。

<注>中国では結婚しても女性の姓は変わらない。子供は父親の姓を名乗るのが普通だが、離婚協議書があれば地元の公安局に申請して承認を得ることにより、子供の姓を母親の姓に変えることが出来る。

しかし、生活は苦しくとも、江秋蓮は江歌に対して「人は善良で誠実でなければならない」と教え、「人が危険な時は先ず自分の安全を確保した上で助けねばならない」と諭(さと)して、誰からも好かれ、善良で意思強固な人間に江歌を育てた。江歌は学業成績も良く、人に誠実で、彼女の友人は「江歌は猫のような女性で、やんちゃで可愛く、人付き合いが良く、虚栄心がなく、人と張り合わず、必要な時には自分の意見を主張し、しかも親孝行であった」と述べている。

そんな江歌が日本へ留学する直前、江秋蓮は江歌が馬鹿にされないようにと900元(約1万5000円)のオーバーを買ってやった。ところが、家計が苦しいことを知っている江歌は受け取れないから返品するようにと言い張った。江歌は最後にはオーバーを受け取って大喜びしてくれたが、それは江秋蓮が娘に買ってやった最も高価な服となった。それほどまでに江秋蓮と江歌の母子はつましい生活を送って来ていたので、江歌が日本へ留学する費用を捻出する余裕などあるはずがなかった。ところが、幸運にも彼らが住んでいた住宅が都市計画で取り壊されることになり、代わりに2軒の住宅が支給されたので、1軒を売り払って留学費用を賄うことができたのだった。

江歌は大学院で修士課程を終えたら、日本に留まって就職し、5年働いて30歳になる前に300万円を貯めて世界一周旅行に出ることを夢見ていた。江歌はその夢を実現することなく、他人の色恋沙汰のとばっちりを受けて殺されたのだった。修士課程を終えて就職すれば、母親に経済的な負担をかけることもなくなるし、仕送りして親孝行もできるようになると、勉学に励んでいた江歌。その思いもよらぬ死は彼女自身が無念であったに違いない。一方、後に残された母親の江秋蓮はどうだったのか。

「探し出して死刑に」誓った母

事件当日の11月3日17時頃、江秋蓮は日本大使館からの電話で江歌が殺害されたと連絡を受けた。そんな馬鹿なことがあるはずない、嘘に決まっている。混乱する中で思い付いたのは近く住むと聞いていた劉鑫の両親だった。彼女は彼らに連絡を取って落ち合ったが、そこに折好く劉鑫から両親にテレビ電話が入った。画面の中の劉鑫は警察署にいる様子だったが、両親から携帯電話を奪い取った江秋蓮が江歌について問いかけると、劉鑫は「ごめんなさい」というばかりで何も答えぬまま電話を切った。これを見ていた劉鑫の両親は「心配しなくても、何でもないさ」と気楽なことを言い、江秋蓮が「劉鑫のボーイフレンドが娘を殺害したんでは」と推測を口にすると、2人はぎょっとして、何も言わずに慌てて去って行った。

それから14時間後に江秋蓮は東京で江歌の遺体と対面した。江歌は不織布の手術服に包まれてベッドに横たわっていた。警察が遺体の横に用意してくれた椅子に座り、江秋蓮は深い悲しみに耐えながら、娘を殺害した犯人を必ず捜し出し死刑にすると心に誓った。11月4日に日本から帰国した江秋蓮は“微信”を通じて劉鑫に犯人逮捕に協力すると共に、事件当時の状況を教えるよう連絡を入れた。その後、劉鑫からは“微信”で、「当日の夜、私は江歌と一緒に帰宅したが、生理でズボンが汚れたので、履き替えようと先に部屋に入った。すると、外で江歌の叫び声が聞こえたので、慌てて部屋の扉を開けようとしたが開かず、ドアアイから覗いても良く見えなかった。そこで、110番に電話を掛けて異常を通報した」と連絡があった。

陳世峰が逮捕されたのはこの連絡の後だったが、その後の陳世峰に対する警察の取り調べで判明した状況は上述の通りであり、劉鑫は明らかに嘘をついていた。そればかりか、劉鑫は犯人が陳世峰であると知っていながら、犯人は誰か分からないと事実を隠蔽していた。さらに、劉鑫はナイフを持って迫る陳世峰から逃れようと部屋に入って扉の鍵を掛け、江歌を外に放置して見殺しにした。本来ならば、陳世峰に刺されるべきは劉鑫だったはずである。しかし、その後、劉鑫は行方をくらまし、江秋蓮が“微信”で連絡を入れても一切応答しなかった。劉鑫の父母も江秋蓮を携帯電話のブラックリストに入れ、連絡が取れないようにしていた。

12月、裁判員裁判の行方は

2017年5月21日、しびれを切らした江秋蓮は“微信”と中国版ツイッターの“微博(Weibo)”に『涙の叫び、劉鑫、江歌の魂は貴女に出て来て証言するよう求めている』と題する文章を投稿し、事件の詳細を記した上で、劉鑫およびその父母の氏名、身分証番号、携帯電話番号などの個人情報を暴露した。この文章は注目され、“微信”で4万人、“微博”で3000万人に読まれた。同日夜、劉鑫は“微信”で江秋蓮に連絡を入れ、当該文章を削除するよう要求したが、依然として裁判で証言することを拒否したので、江秋蓮は憤然とこれを拒絶した。世論は江秋蓮に味方し、雲隠れして裁判での証言を拒否する劉鑫を非難する声が盛り上がった。

世論の圧力に負けた劉鑫は事件発生から294日目の2017年8月23日に、江秋蓮が住む村の“村委員会”で初めて会った。しかし、劉鑫が告げた事件当時の状況は依然として自分の責任を回避する内容でしかなかった。一方、江秋蓮が不思議に思うのは、犯人の陳世峰の両親からは何一つ連絡なく、息子が殺人を犯したことに対する詫びの一言すらもないことだった。劉鑫とその両親、さらに陳世峰の両親は、たった1人の肉親である娘を他人の色恋沙汰の巻き添えで亡くした母親の気持ちをどう考えているのか。それが同じ中国人の姿とは、江秋蓮には到底信じられなかった。

中国人留学生・江歌殺害事件の裁判は2017年12月11日から15日まで東京で裁判員裁判として行われる予定になっている。日本では1人を殺害しただけでは死刑になる可能性が極めて低いことを知った江秋蓮は、陳世峰を絶対に死刑にしたいと念願している。陳世峰に死刑判決を求めるためには署名運動が必要と知った江秋蓮は、中国で運動を開始し、あらゆる手段を通じてすでに数十万人の署名を集めた。また、11月4日に東京入りした江秋蓮は日本の支援者の協力を受けて東京の街頭で署名活動を展開した。

裁判の結果がどうなるかは分からない。しかし、日本の裁判員が母子家庭の1人娘を巻き添えで殺された母親の気持ちを理解して、陳世峰に死刑判決を下すことを江秋峰は念願している。陳世峰に死刑判決が下されなければ、江歌の無念は晴れないし、江秋峰はわだかまりを抱えながら孤独な人生を歩んで行かねばならない。

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