『世界に広がる慰安婦像、朝日新聞がすべきこと 吉田家から依頼を受けた奥茂治氏の勇気を見習え』(7/6JBプレス 森清勇)について

下の記事は、韓国人の異常さを伝える記事です。まあ、「恨」という情緒に左右される国民ですから、精神を病んでいると看做されてもしかたがないでしょう。韓国民に西側の価値観である自由、民主、人権、法治を求めるのは八百屋で魚を求めるようなもの。福沢諭吉はとうに見抜いていました。特亜3国は平気で嘘をつきますし、中華・小中華ですので「騙す方が賢く、騙される方が馬鹿」という価値観です。更に韓国は中国発の儒教(孔子も韓国人と言い張っていますが)の影響を受けて日本を見下し、何をしても許される、愛国無罪の立場を採っています。実証性や論理を尊重せず、都合が悪くなると喚くだけ。中国人も一緒ですが。とても文明人とは思えません。所謂従軍慰安婦も朝日の謝罪により捏造と知っていても、金をせびるため(暴力団と何ら変わらず)、分かっていても無理難題を吹っかけて来ます。強制徴用もそうでしょう。一番悪いのは朝日新聞等左翼新聞を購入して経営を助けている人達です。WGIPで刷り込みを72年間もされ続けている訳ですから。騙される方が悪いのです。今日ではネットでいろいろ調べられるのに、そういう努力もしません。調べれば間違っているのに気づくはずですから。気づかないというのは調べていないという事です。ネットはフェイクだとメデイアが言うことを信じてしまうのは愚かでしょう。自分達の売り上げが減る、今までの嘘がばれてしまうことを積極的に評価する訳があるはずもない。左翼新聞を読んでいるのは単なる権威への盲従なだけです。トランプが米国メデイアをフェイクニュースと言っているのは正しいです。ネットを読めば解説が沢山出ています。真実を追求する態度こそが大事だと思われます。

7/6ZAKZAK<文大統領が“ブチ切れる日” ストレス溜まり「国名表記」間違えた!?室谷克美>

http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170706/soc1707060011-n1.html

7/6自由時報<美日印抗中 4國戰艦擠進印度洋=米日印で中国に対抗、4ケ国の戦艦がインド洋狭しと進む>

http://m.ltn.com.tw/news/world/paper/1116542

中国の野心は留まるところを知りません。インド洋にもドンドン出て行くのを米日印で牽制と言う所でしょうか。米国は中国を経済的に封じ込めないと、軍拡で世界に出て行こうとします。人権を抑圧し、人類を不幸にする共産主義を世界に蔓延させるのを防がないと。経済より世界平和の方が大事ではないですか。

さて、本記事関連で、奥氏のfacebookからです。

<奥茂治 6月30日 22:45 ·

韓国からの出国が禁止されている奥茂治です。韓国の検察からまだ本格的な取り調べの連絡が来ないので、今日は私なりに、法廷で対抗するための証拠収集に奔走しました、韓国の国民を騙し続けた吉田清治の背景にある正体は反日の日本人と一部の在日韓国人です、今日は公園で井戸端会議のおばちゃんの中に日本語が堪能な人がいたので沢山世間話を聞きました、私が自分から慰安婦の碑を取り壊し出国禁止中だと告げると皆がビックリでほとんどが最初は怒りを全面にだして来ましたが、私も負けずに35年前の吉田清治がわざわざ建てた謝罪碑の嘘の経過などを説明し私はその長男から依頼されて取り変えた事を話したら全ての人に納得してもらえました。やはり韓国国民に慰安婦の真実を知らせるには法廷しかないと再認識しました。頑張ります。>(以上)

Japan Forwardは産経新聞の記事<Son of Comfort Women Perjurer Yoshida Removes “Unbearable” Apology Inscription=慰安婦「強制連行」偽証の吉田氏長男が「謝罪碑」取り消し 「耐えられない」 May 15 Sankei News>を英文化して掲載しました。こういうのがどんどん増えていってほしいです。

http://japan-forward.com/son-of-comfort-women-perjurer-yoshida-removes-unbearable-apology-inscription/

次は、昨年2月の杉山外務審議官の国連ジュネーブ本部でのスピーチです。外務省はこれを英語、中国語、韓国語で読めるようにすべきです。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/rp/page24_000733.html

日本は歴史戦でしてやられているという事です。敗戦国だからと言って事実と違うことまで責任を追及されることはおかしいでしょう。左翼が日本の弱体化を図って、歴史を改竄、捏造しようとしている訳です。でも大部分の日本人は、日本の名誉に無関心です。それがやがて自分の首を絞めることになるとは思っていませんので。先が読めない人が多すぎます。

奥氏は勇敢な好漢(haohan)としか言いようがありません。火病持ちの漢民族に事実を突き付けようと体を張って飛び込みましたので。政府は軟禁状態を解消すべく努力してほしいですが、下手な妥協は奥氏の望むところではないでしょう。奥氏も加藤達也産経ソウル支局長の前例を見ていて、そんなに簡単に行くものではないと思っているでしょうから。つくづく、河野や加藤、外務省の対応の不味さが悔やまれます。

記事

韓国・韓国・釜山の日本総領事館前に設置された慰安婦像(2017年1月2日撮影)。(c)AFP/YONHAP〔AFPBB News

朝日新聞は吉田清治氏の慰安婦や強制連行関連の記事を取り消したが、間違った記事がもとで慰安婦像などの建立が国際社会に広がっており、また吉田氏が韓国の国立墓地に建立した「謝罪碑」は残ったままであった。

外交問題や国際問題にまで発展した歴史の重みに苦悩する吉田氏の長男は、お墓は吉田家の私有物という思いからか、謝罪碑の処置を奥茂治氏に一任した。

奥氏は韓国(墓地管理事務所)に通知したうえでの撤去なども考えたが、事前通知は妨害されるという思いから、「慰霊碑」石板を張りつけ、事後に碑文変更届を出した。

韓国(警察)から数度の出頭要求があり、「吉田清治が寄贈した証拠を示してほしい」などを文書で尋ねたが返信はなかったという。その後出頭した奥氏は一時拘束されたが、今は公用物損壊などの容疑で取り調べを受け、出国禁止の措置が取られている。

朝日新聞が火つけ元

慰安婦などの強制連行は朝日新聞が1980~90年代初頭にかけて行った報道によって広まった。その嚆矢が吉田清治氏の「朝鮮人労働者の強制連行」を証言したとする記事(80年3月7日)であり、「済州島における慰安婦狩り出しの実体」と題した講演の報道(82年9月2日)であった。

今ではフィクションとされる吉田氏の最初の著書『朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記』は1977年に出版され、2冊目の『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』は83年7月に刊行された。

そして同年12月、印税で韓国の国立墓地に謝罪碑を設置する。朝日新聞は碑の除幕式で参列者に土下座して謝罪する吉田を「たった一人の謝罪」の見出しで写真つきで報道した。

このように、朝日新聞は吉田氏の言動について積極的に報道を続けた。そうした延長線上に「慰安婦」や「強制連行」などを認めたとされる河野談話が1993年に出されたのである。

これによって、日本政府がお墨つきを与えたとばかりに、国連人権委の特別報告者が日本の人権抑圧として報告(1996年にクワラスワミ、98年にマクドゥガル)し、米国下院も2007年に慰安婦非難決議を行う。

韓国では挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)が主導して、ウィーン条約に違反して慰安婦像を2011年に在韓日本大使館前に設置した。これを皮切りに、韓国系米国人などによって、慰安婦像などの設置が世界的に広まっていく。

こうした中で、2014年8月5日、すなわち、最初の報道から32年後、朝日新聞は吉田清治氏に関する報道など18本の慰安婦関連記事を取り消す。ただ、強制連行はなかったが強制性はあったと糾弾の主旨を変更し、往生際の悪さを示した。

奥氏が行った行動の端緒

吉田清治氏の長男は、父のフィクションが「日本の『戦争責任』や『暴虐を極めた植民地主義』の根拠とされ、外交問題・国際問題にまで拡大するという『歴史』の重みに耐えかね」、「慰安婦像をクレーン車で撤去したい」などの悲痛な思いを抱いていたようである(篠原章「吉田清治の謝罪碑を書き換えたのは私です 『実行犯』奥茂治氏の告白」、『新潮45』2017年7月号所収)。

しかし、朝日新聞が吉田清治氏関連の記事を取り消し、日韓合意が成立したことなどから、長男は「父・清治の建立した謝罪碑を書き換える道を選んだ」という。

本来であるならば、吉田氏の言動は朝日新聞の積極的な報道と表裏一体をなしたであろうから、朝日が記事を取り消した時点で、でき得るならば当人家族と接触などしたうえで碑と碑文の撤去を目指すべき事案であったろうが、それは詮無い期待というものだ。

そこに奥氏という願ってもない国士が登場する。ことは外国の地であり、手続きなどにいくつかの問題点があったことは言うまでもない。

「風が吹けば桶屋が儲かる」の諺以上に、奥氏の行動は朝日の自虐と碑への無関心などがもたらした点は間違いないであろう。今も慰安婦像などの設置が、世界のあちこちで進んでいる。

朝日新聞は奥氏を行動させた一半の関係性(責任と言いたいが)を認めて、今一度、慰安婦記事の取り消し事実を、英文とハングル、そして中国語で世界に向かって広報されてはいかがであろうか。

社内にはいろいろな意見があることは、元朝日新聞記者の長谷川煕著『崩壊―朝日新聞』などから分かる。しかし、そういう諸々を含めた蟠りを払拭する最高の、いや最後の機会ではないだろうか。

朝日流の創作記事?

朝日新聞は2014年の慰安婦記事取り消し(8月5日)以降、訂正やお詫びを連発し、月平均の訂正・お詫びが従来の2倍以上の27件(14年10月~15年6月までの平均)に増えた(小谷野敦「メディア検証・世にも奇妙な朝日新聞『訂正・お詫び』記事」、『SAPIO』2017年6月号所収)。

訂正記事が出る元の記事には、記者に知性と教養が不足していると思われる漢字の読み間違いなどもあるが、記者として致命的とも言える確認不足や、現場にいなかったがあたかもいたかのごとく書いたと思われる記事などがある。

例えば、乗馬クラブから脱走したシマウマ「バロン」がゴルフ場で捕獲時に麻酔薬の吹き矢を受け溺死したという記事がある。

「麻酔薬を打たれたバロン=中垣理さん撮影」と説明された写真で、立ったシマウマが映っており、そのたてがみ部分に刺さったように見える矢を指して、吹き出しで「麻酔薬(吹き矢)」と書かれている。

翌日、「シマウマの写真で、『麻酔薬(吹き矢)』と指し示した物は吹き矢ではなく、地面に置かれた棒状のものでした。確認が不十分でした」と訂正した。

また、札幌から新千歳空港へ向かう列車に乗った記者は「トンネルを抜けると、平原にふっかりと積もった雪に陽光が強く照り返している」と書く。

3週間後の訂正で「トンネルを抜けると、」の部分を削除するとして、「JR千歳線で札幌から新千歳空港へ向かう間に、通り抜けるトンネルはありません。沿線の林を抜ける際に視界が広がったのを、記者が勘違いしました」と説明する。

こうなってくると、麻酔薬で馬が死んだのを確認したのだろうか、記者は鉄路を利用したのだろうかなど、どこまでが真実か、現地現物を見ないで想像で書いた記事ではないだろうか、サンゴ礁を傷つけた記事なども思い出され、記事の信頼性が薄れてしまう。

朝日記者の先入主が作る記事

こんな訂正もある。戦後70年の安倍談話に向けた有識者懇談会の議論を報じた記事で、「北岡氏『侵略戦争』」の見出しで、北岡氏が先の大戦について「『侵略戦争であった』との認識を示した」と報じた。

翌日の訂正記事は「見出しのほか、本文中に北岡伸一・国際大学長が先の大戦について示した認識が『侵略戦争であった』とある部分は、『歴史学的には侵略だ』の誤りでした。懇談会の終了後、記者団の取材に応じた北岡氏は先の大戦について『私はもちろん侵略だと思っている。歴史学的には』と答えていましたが、『侵略戦争』という表現は用いていませんでした」とある。

小谷野氏は「実に奇妙な訂正である。朝日は『侵略戦争』という4文字をアピールしたかったが、北岡の抗議で〝やむなく訂正した感″がありありだ」とコメントしている。また、発言人物を取り違えた訂正もいくつかあり、「致命的だ」と述べる。

朝日新聞の慰安婦記事の訂正で「強制連行」はなかったが「強制性」はあったと言い張るように、どこまでも日本は悪い国だ、侵略戦争を仕かけた国だという意識が先にあり、報道記事をそのように持っていこうとする作為からであろう。

おわりに

1936年のベルリン五輪の男子マラソンで優勝した朝鮮半島出身の孫基禎(日本の統治下で、日の丸を胸につけて出場)の国籍は「JAPAN」と記念塔に刻まれている。

これを1970年にベルリンを訪れた韓国の国会議員が「KOREA」に書き換える事件が起きた。ドイツ当局はすぐに「JAPAN」に戻し、同時に議員には逮捕状を出したが、韓国の議員がドイツに戻ることはなかったと、「産経抄」(2017年6月27日)が書いている。

日本の企業がグアムに寄付した交番に、韓国人が(いかにも韓国が寄贈したかのように見せるために)勝手にハングル文字を掲げた事案や、レイテ島(フィリピン)では日本の支援で建てた小学校に「日比協力」の文字が両国旗で挟んであった。

ところが、台風で被害を受けた折、支援した韓国軍が「韓比協力」に改め、日章旗も消去して太極旗に書き換える事案もあった(拙論JBpress「異常国家、異常社会の実態を晒しつつある韓国」)。

上述のような韓国人の行動様式に対して、奥氏は事後ではあるが住所氏名を書いた通知書を発送した。韓国からの出頭要請に対しても、堂々と出頭した。正しく、日本男児ここにありである。

残念なのは、吉田氏の関連記事は取り消されたが、慰安婦像などは増え続けていることである。世界に広がる慰安婦像撤去のために、朝日新聞は組織を上げて頑張ってもらう必要があるようだ。

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